第12話 違和感



「・・・アーティ?」



心配そうに呼びかけられ、ベアトリーチェはハッと我に帰る。



いけない。つい考え込んでしまった。



ここのところ頭を悩ませている不安を押し隠し、無理矢理に笑みを浮かべた。



もちろんエドガーがそんな笑みに騙される筈もないが、本人に話す気がないのに無理強いする様な人でもない。



エドガーは苦笑すると「あまり溜め込むんじゃないよ」と頭を撫でた。



エドガーは、留学前の言葉通り頻繁に手紙を寄越すだけでなく、これまでに三回も帰国してベアトリーチェに会いに来てくれていた。およそ三か月に一回の割合だ。



無理をさせているのではと気が気ではないが、エドガーは笑って「却って勉強にメリハリがついて良い」と言ってくれる。



卒業まであと一年を残し、医学の勉強のために隣国ドリエステに渡ったエドガーは、既に卒業に必要な単位は取得済みだった様で。


留学先にて早々に医学の専門コースへと進み、日々忙しく過ごしていた。


高名な博士の下につき、見習いとして現場で雑務をこなしつつ、週に三日を勉学と研究に当てている。



聞いているだけでも超多忙スケジュールなのに、どうやりくりしているのか、こうしてベアトリーチェに会いに数か月に一度は帰って来てくれるのだ。



申し訳ない、そう思いつつも、やはり実の兄の様に慕うエドガーに会えるのはどうしようもなく嬉しくて。



多少医学知識が付いてきたエドガーが、会うたびに脈を測ったり、栄養状態を調べたりと、まるで担当医の様に接してくれるのもまた面白い。



普段は王宮での仕事に忙しく、滅多に屋敷で顔を会わせる事のないベアトリーチェの実の兄レンブラントに至っては、何故かエドガーが訪れる日になると屋敷に顔を出し、ニヤニヤと訳知り顔をしてみせる。


父と母はあまり揶揄うものではない、とレンブラントに注意するものの、どこ吹く風だ。


だけど、そんな風景が妙に嬉しい。



そう、今の自分は幸せなのだ。


だが決して前の自分が不幸だったという訳ではない。


だってあの時も、ナタリアと笑い合って、アレハンドロも交えて三人でお喋りして、一緒にランチを取って。

世界は狭く、学園はやっぱり欠席しがちだったけれど、それは決して辛いものではなかった。


あの頃のような時間を、今はもう持つことが出来ない、少なくともナタリアとアレハンドロとは。

そして、幸せだった記憶がある分、それはやっぱり悲しい事で。



今のベアトリーチェにはヴィヴィアンがいる。

ケイトリンも、アシュリーも。


でもヴィヴィアンはヴィヴィアンで、ケイトリンはケイトリンで、そして・・・ナタリアはナタリアなのだ。


誰も、他の誰かの代わりにはなれない。


だから、幸せを感じている今も、こうして時々胸が痛むのだろう。



そして、ここに来てベアトリーチェを不安がらせる要素がもう一つ出来てしまったのだ。







「・・・うん。随分と脈が不安定になってるな。アーティは何か心配事でもある? あるいはストレスに思う事とか」


「・・・っ」



反射的に息を呑んだ素直すぎる反応に、エドガーが苦笑した。



「無理に打ち明けろとは言わないけど、もしアーティの気が楽になるのなら、話してほしいな」



そう言って困ったように首を傾げられれば、ベアトリーチェの気持ちも簡単にぐらついてしまう。



どうしよう。


エドガーの言葉に縋ってしまいたい。

一人でぐるぐると考え続けるのも限界に来ていた。でも。


何をどう伝えれば良いのだろう。

今現在感じている、この言いようのない不安を。


只の偶然で片付けるには違和感がありすぎる。


どうして、今回は彼なのか。

いや、そうではなく。


どうして今回は、レオポルドの家に何も起こっていないのか。



少しの間逡巡して、それからおずおずと口を開く。


肝心の箇所は、ぼかしながら。



「ええと、私は直接会った事のない方なんだけどね。どうもその人の家が経済的に困窮してしまったらしいの」


「・・・うん?」


「それで、その人が、その、学園を辞めて仕事に就くのではないかと噂されていて、それが少し気になっていて」


「・・・気になる、その人のことが?」


「そうなの・・・え?」



エドガーが訝しげに眉を寄せたため、ベアトリーチェは何かまずいことでも言ったのかと不安になる。



だが、それはすぐにエドガーが打ち消した。



「ああアーティ、大丈夫だよ。別に君は変な事を言ってない。ええと、そうだね。その噂の人物って、女子生徒なのかな?」


「・・・? いいえ、男子生徒よ。騎士訓練科の」


「・・・そうなんだ」


「エドガーさま?」


「まあ学園を卒業しないまま働くのは、この先ずっとハンデになるとは思うけど。でも噂に過ぎないんだよね? アーティが心配する必要はないんじゃないかな」


「まあ、それはそう・・・なんだけど」



なぜか少し不機嫌そうな様子のエドガーに、ベアトリーチェは心配になった。

こんなに頻繁に戻って来てるせいで疲れているのでは、と。


余計な事を言ったと今さら後悔するが、エドガーはそのまま話を続けた。



「ねえアーティ。その人は君の知らない人なんだよね? それにしては、すごく気にしてるみたいだけど」


「・・・ええ、まあ気にはなるわ。だって、どこの家にも起こり得ることだもの」



そう。レオポルドの家も、このくらいの時期から雲行きが怪しくなっていたのだ。



「アーティのお父上やレンブラントがそんなヘマをするとは思えないけどな」



そう言って笑うエドガーに、ベアトリーチェは笑みを返す。


エドガーの言う通り、ストライダム侯爵家には何も起きないから。


でも、ライナルファ侯爵家はこれから没落寸前の状態に陥る、筈。



だが何故か、巻き戻り後ではその兆候すら見えていない。



「・・・」



それは良い事だ。レオポルドの家に何も起こらなければ、それが最善。なのに。


今回はどうして彼が。

もしかしたら自分が知らないだけで、前もそうだったのだろうか。


巻き戻り前の記憶に彼はいない。そもそも会った記憶がないから。


だから、果たしてこの不安が的中しているのか、あるいは只の考え過ぎなのか、何とも言いようがない、だけど。



どうしようもなく胸が騒ぐ。

嫌な予感がして、どうかその予感は当たらないでと心が騒ぐ。



「・・・」



俯いたままのベアトリーチェを見て、エドガーは何か言いかけて、でも口を噤んだ。


代わりにそっとベアトリーチェの手を握る。



ベアトリーチェは、せっかくこうして来てくれたのに、エドガーの心遣いを無碍にしてしまった事を深く申し訳なく思いながら、やはりこれ以上はまだ話せないと考えた。



それでも、一度湧き上がった疑念がベアトリーチェをどこまでも不安にさせる。



だって彼が。


あの日、保健室の裏手で模擬戦を見に来てとナタリアを誘った騎士訓練科の子爵令息が。


その後ナタリアに告白して、まだ正式に付き合ってはいないけれど、よく放課後に会うようになっていたニコラス・トラッドが。



そのニコラスの家が手がけている事業が失敗して、結果、大きな負債を背負ってしまったなんて。



レオポルドの家ではなく。



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