第11話 束の間の ーー 逆行前



「ねえトリーチェ、どうしよう。私、あの方から告白されちゃった」


「・・・え?」



唯一の友人であるナタリアからの言葉に一瞬動きが止まったベアトリーチェは、やがてゆっくりと瞬きをして、それからようやく口を開いた。



「あ、あの方って、もしかして・・・」


「そうよ! あなたの幼馴染みの騎士候補の方。レオポルド・ライナルファさまよ」



ナタリアの幸せそうな微笑みが、興奮を抑えきれない声が、落ち着きなくあちこちを彷徨う手が、彼女が今、至福を味わっているのだと教えてくれる。



ずっと、ずっと好きだったレオポルドが告白した相手は、巻き戻り前のベアトリーチェのたった一人の友人だった。



久しぶりに会ったレオポルドは、頬を赤らめ、熱を孕んだ眼でナタリアを見ていて。



家格差を超えて結ばれた純愛として、美男美女の二人の恋は瞬く間に学園中に知れ渡った。



「トリーチェたちも一緒にランチ食べましょうよ。大勢の方が楽しいもの」



そう言って誘われれば、レオポルド会いたさに頷いた。アレハンドロは大抵断っていたけれど。



自分の片想いの熱に抗えず、のこのこと恋人たちの逢瀬に顔を出せば、そこで目にした光景に勝手に傷ついた。



その眼に自分の姿を決して映すことのない愛しい人に絶望して、なのにまた次の日になれば見えない縄で繋がれているかの様に、再びのこのことくっ付いて行く。



そうしてまた、再び幸せな恋人たちを目にしてひとりで絶望する。




ただ会いたかった。

少しだけでも顔が見たかった。

そんな軽い気持ちで見に行ったのが、あの模擬戦だった。


遠くからでも、レオポルドが剣を振るう姿を見られたらそれでいい、と。



彼の心が、決して自分に向けられることはないと分かっていた。


自分の病のことは、レオポルドももちろん知っている。


血が正常に作り出せない病気。

対症療法のみで、未だ確立された治療法は発見されておらず、このままでは二十歳を超えられないだろうと幼い頃に宣告された。



だから、そもそも自分が恋人として、将来の伴侶として選ばれることなどあり得ない。


大好きなレオポルドだけではなく、他のどの殿方からも決して。


決して自分が誰かの妻に選ばれることはない。



だから分かっていた、弁えていたつもりだった。


振り向いてもらえるなんて、思ってもいなかった。

そんな期待なんて、本当に、嘘偽りなく露ほども。



だけど、きっと、こんな自分が彼に密かに恋焦がれることすら身の程知らずだったのだろう。

だって、そうじゃなきゃどうして。


どうして自分はこんな思いをしているのか。


愛する人が自分ではない誰かに愛を囁く姿、その『誰か』が自分の大切な親友であれば葛藤はなおさらだ。



レオポルドにもナタリアにも幸せになってほしい。それは決して嘘ではないのに。


なのに、その幸せに自分があずかる余地がないと分かっていても悲しくて。



だから嬉しかった。

二人のために自分にも出来ることがあると気づいた時、そして、そこにほんの僅かな時間でも自分が共にいられることに希望を持った。



三学年になって、レオポルドの家の経済状況が悪化の一途を辿り、ナタリアとの結婚が絶望的になった時。二人の顔が絶望に染まった時。



ベアトリーチェは言ったのだ。



「ナタリアには言ってなかったわね。私は、この先天的な病のせいで二十歳まで生きられないだろうと言われていたのよ」


「え・・・」


「だから」



ベアトリーチェはナタリアの手を両手で包み込む。


そして彼女の隣にいるレオポルドにも、にこりと笑いかけた。



「だから私は結婚を諦めていたわ。お父さまも仕方ないと言って下さっていた。だって結婚してもあと数年で死んでしまう娘など妻に迎えても意味がないから・・・でも、レオポルドさま。貴方ならどうかしら」


「え?」


「ベアトリーチェ?」



二人が揃って首を傾げる。

こんなところまで仲が良いなんて、とベアトリーチェは苦笑する。



「娶っても意味がない妻を貴方は娶るの。可哀想な私の最後の思い出作りのために、貴方は私を妻にしたいと父に願い出るのです」



ナタリアとレオポルドの顔がさっと青ざめた。



「トリーチェ、それは」


「きっとお父さまはその見返りにライナルファ侯爵家に資金援助をして下さるわ。妻として役に立たない私と結婚するのですもの。そして私は数年後には儚くなる・・・そうしたらナタリア、あなたが後妻としてレオポルドさまのもとに嫁ぐのよ」


「後・・・妻、として・・・」


「そう」



ベアトリーチェは力強く頷いた。



「それまでにライナルファ家の経済状況は改善するわ。少なくとも持ち直すところまでは行く筈よ。そして後添えならば、家格差について強く咎める人も少なくなるわ、そうでしょう?」


「あ・・・」



話を理解したと同時に、二人の眼に光が灯る。



「確かにそれなら・・・」


「でもトリーチェ、待って。いくら何でもあなたにそこまでしてもらう訳にはいかないわ」


「いいのよ、ナタリア」



自分の使命を見出したつもりのベアトリーチェは、二人に優しく微笑みかける。



「どうせあと数年で散る命ですもの。だから、ね? せめて私の大切な幼馴染み・・・・と友人のために、何かさせてちょうだい」


「トリーチェ」


「それにね、ナタリア。安心して。私はご覧の通りの体だから、たとえ結婚したとしてもレオポルドさまとは清い関係のままになるわ。そう、これは白い結婚なの」


「白い・・・結婚・・・本当に、それでいいの? トリーチェに、そこまでさせてしまって、私・・・」


「いいのよ、ナタリア。でもね、私の命があとどのくらい保つのかは正確には言えないわ。後で主治医に診てもらうつもりだけれど、それまでレオポルドさまを待っててくれる? あなたのお父さまも説得する必要があるわ」


「・・・っ、ええ! もちろんよ!」


「レオポルドさまも、それでよろしいかしら。私を愛さなくていいの。書類上だけでも妻としてくれれば」


「・・・分かった。ベアトリーチェ、ありがとう。心から感謝するよ」



喜ぶのはナタリアとレオポルドであるべきで。


なのに、話をしながらベアトリーチェもまた歓喜に打ち震えていた。


形だけでもレオポルドの妻となれるのだ。


もう駄目だと思ってた。

この恋は、一生実を結ぶことのないまま終わる、と。



僅か数年で明け渡す妻の座だとしても。

レオポルドの愛は最後まで自分には向けられないとしても。


抱擁も、口づけひとつすら彼から貰うことのない、愛のない結婚だとしても。



それでも自分の想いはある意味で遂げられる。

そして自分の死後、この二人は幸せな未来を紡いで行ける。



この二人のためにも最善の提案をした。


この時のベアトリーチェはそう信じて疑わなかったのだ。



そこに誰かの悪意が存在するなど、露ほども思わずに。


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