第9話 見えた人影は彼ではなく

それを見つけたのは、ほんの偶然。



ここのところ調子が良くて、珍しく体が軽く感じて、つい調子に乗った。


結果、午後の授業が始まって間もなくベアトリーチェは気分が悪くなって、保健室で休むことになったのだ。



どれくらい眠っていただろうか、一時間も経ってはいないと思うけれど。



ふと目を覚まし、時計を見ようと起き上がった。


保健医の先生は席を外していて、室内にはベアトリーチェひとり。



時間を確認し、ちょうど休み時間であることを知る。

教室に戻ろうか、それともいっそ午後中ずっとここで休んでいようか、と考えながらふと視線を巡らせたその時だ。



「あら・・・あれは・・・」



校舎裏の大きな木の下、ちょうど保健室の窓から見下ろせる場所にナタリアが現れた。



授業の合間の休み時間はニ十分。教室移動を考慮して少し余裕を持たせてはあるものの、校舎裏に出て来る者はそうそういない。



珍しい光景にぼんやりと眺めていると、別校舎の方から走って来るひとつの影が視界の端に映った。



「・・・っ」



まさか。



室内には誰もいないというのに。

ベアトリーチェは、何故か息を潜め、身体を縮こませる。




関わらないと決めた。


なのに不安と期待と困惑がベアトリーチェを襲う。


だがそれも一瞬のことだった。



ナタリアに会いに来た男性はレオポルドではない、全くの別人で。


だが、恐らく騎士訓練科の生徒であるのは間違いないだろう、制服の色が普通科とは違っていた。



盗み見は良くない、そう思いつつ目が離せずにいると、騎士訓練科の生徒が何事かをナタリアに話しかける。

ナタリアはそれに笑顔で頷き、彼は嬉しそうな表情を浮かべて元の騎士訓練科の校舎へと戻っていった。



時間にして、ほんの数分。


ナタリアも次の授業があるせいか、すぐにその場を立ち去っていた。



それを見ていたベアトリーチェは、ほ、と息を吐いた。



「・・・レオポルドさまではなかったのね・・・」



ぽつりとそう呟いて、そこでまだあの模擬戦前だと気付く。



出会っている訳がないのだ。なのに、何を勝手に誤解して、期待して、不安になって。



「・・・はあ・・・ひとりでハラハラして馬鹿みたいだわ」



気が抜けて、そのままぽすりとベッドに倒れ込む。



「やっぱり・・・私が側にいないと二人は出会えないのかしら・・・」



巻き戻り前の、幸せそうに寄り添う二人を思い出し、胸に痛みを覚える。



ナタリアの笑顔が好きだった。

レオポルドの声に胸が震えた。

自分が選ばれなくて悔しかった。

二人を祝福できる優しさを持ち続けたかった。


二人の記憶に残りたかった。



二人の ーーー ナタリアとレオポルドの幸せな未来を導いたかけがえのない友として、死んだ後も二人に覚えていて欲しくて。

そのためなら何だってするつもりだった。



自分でも馬鹿だと思う。


だけど、殺されるあの瞬間までずっと、本当に、心から、嘘偽りなく、ベアトリーチェはナタリアとレオポルドに幸せになってもらいたいと、そう思っていた。


嘘でも、偽りでも、口づけ一つ貰えない白い結婚でも、契約上の関係に過ぎなくても、自分が恋焦がれる人と結婚生活を送ることを許してくれた二人に、せめて自分の死後は幸せに生きて欲しかった。


結果、ナタリアに無残に刺殺されたけれど、痛かったし苦しかったし何もかもが絶望に染まったけれど、それでも。



やはり彼らの不幸は願えない。


だって。

結局。

つまりは。



そう、あの日起きたことは。



種を蒔いたのは自分。あの悲劇を招いたのは、他ならぬ自分なのだ。



「模擬戦は明日・・・」



小さく呟いた後、ベアトリーチェは起き上がった。



今からだと多分、遅刻だろう。でも、今さら横になっていても休める気がしない。



そうして最後の授業を受けに戻ったベアトリーチェだったが、放課後になって、明日の模擬戦を見学しようと持ち掛けたのは、意外なことにヴィヴィアンだった。



「勝ち抜き戦らしいの。まだ騎士でも候補生でもない、学生による模擬戦だけど、なかなか見ごたえがあると評判なのよ」



ヴィヴィアンの他に、仲良くなった二人の令嬢がうんうんと頷く。



もしかしたら、自分が気付いていなかっただけで、彼女たちは前も見学に来ていたのかもしれない。そう考えていると、背後から記憶に馴染んだ声がした。



「あの・・・模擬戦に行くのでしたら、私も一緒させてもらってもいいかしら・・・?」



振り向けば、かつていつも側にいた綺麗な空色の髪があった。



「あら、オルセンさま? あなたもご興味あるの?」


「え、ええ」



嬉しそうにヴィヴィアンたちが問いかけると、ナタリアは少し恥ずかしそうに言葉を継いだ。



「実は、模擬戦を見学しに来て欲しいと騎士訓練科の方に声をかけてもらったのだけど・・・一人で行くのは心細くて・・・」


「まあ、お誘いがあったのですか。素敵」


「そうね。一人はちょっと心もとないわよね。いいですわよ、一緒に行きましょう」


「あらでも、あの人はよろしいの? ほらアレハンドロさん。あなた、あの人の恋人ではなくて?」


「アレハンドロは、そんなんじゃないんです。彼はただの幼馴染みで」



騎士訓練科の生徒からのお誘いと聞き、ヴィヴィアンたちは一旦は受け入れながらもアレハンドロの存在を思い出すが、ただの幼馴染みと否定する様子に、噂は噂でしかなかったのね、とそれ以上の追 追及はなく。



会話が途切れるのを待っていたベアトリーチェは、ここで口を開いて断りを入れた。


折よく今日、調子を悪くして保健室に行ったばかり。


それを理由に断れば、誰も不思議には思わなかった。



だけど、これで自分が関わらずともナタリアはレオポルドと出会える筈。



ほ、と安堵の息を吐き、ひとり友人たちの輪から外れたベアトリーチェは、先に帰ろうとして扉に向かって、そこで。



扉向こうにアレハンドロが立っている事に気づいた。



「・・・」



言葉は出なかった。いや、出せなかった。


ただ静かに、黙って会釈だけして通り過ぎる。




アレハンドロもまた、ベアトリーチェに何も言わなかった。



いや、そもそも彼の視界にはベアトリーチェなど映っていなかったのかもしれない。



アレハンドロはただ、今も模擬戦の話で盛り上がるナタリアたちにその昏い瞳を向けていただけ。



ただ、それだけだったから。

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