二話 全てが繋がること
「ちょっと! どうしたんですか、謝霊兄!」
私の腕を掴んだまま裏口を飛び出した謝霊に私は大声で呼びかけた。振り払おうとしても彼の手はびくともせず、おかげで私たちはおかしな注目を集めている。謝霊は探偵事務所まで一直線に帰ると、唐突に私を解放して一声叫んだ。
「お手柄です、慧明兄! パドストンはきっとマスタードソースに微弱な毒でも仕込んだのでしょう。モリソン氏以外は誰も白身魚のフライにマスタードソースをつけないのを知っていれば尚更だ。こうしてモリソン氏だけが寝込むように仕向ければ、クリスティン・フォスター嬢を簡単に一人にすることができるでしょう? それにパーティーの客としてのみ出入りすれば裏口の
「つまり人混みに紛れてマダム・フォスターの指輪を抜き取り、楽屋に忘れたかと思わせてパーティーを抜けさせたということか? そのうえで他人の目をごまかすために漢人の格好をして楽屋に行き、マダム・フォスターを手にかけたと。
ですが、事件の夜に盗まれたという衣装は? あれはどうなんですか」
私が聞くと、謝霊はためらうことなく答えた。
「クリスティン・フォスター嬢は首を絞められた際に失禁していましたよね。それに染みの形から察するに、パドストンは彼女の脚の間に自分の脚を突っ込んでいた。あの体勢ではズボンや靴が汚れないはずがありませんから、それをごまかすために拝借したのでしょう。なにしろ彼女を殺した後パーティーに戻らねばならなかったのですから」
「ではそのズボンと靴が見つかればパドストンを突き出せますね」
私はそう言ってから、ある可能性に気がついた。
もしも事件の後でパドストンが盗んだ衣装を捨ててしまっていたら、私たちは何も証明できないのではないか?
私がそれを聞くと謝霊はこくりと頷いた。
「そればかりは探りを入れてみるよりほかないですな。ですが仮に捨てていたとしても、そのとき着ていた上衣と対になるものを新しく仕立て直しているはずです。西洋人は上下でひと揃えになるように正装を仕立てると聞きますし、パドストンくらいの身分になると一着だけ上衣を余らせておくこともしないでしょう」
謝霊はそう言うと舌を軽く数回鳴らした。それに応えるように部屋の隅から
「分かっているね」
と言って頭を撫でた。
八黒は返事をせず、しかし俊敏な動きで窓に飛びついた。謝霊が帳を上げて窓を開けると、八黒はひらりと身を翻して外に出ていった。
謝霊は窓を開けたまま部屋の床にあぐらをかくと、何やら呟いたきり動かなくなってしまった。私は面食らった――せっかく真相に近付いたというのに、まさかこんなところで待ちぼうけを食わされるのか?
呆然と立ち尽くす私の足元では七白が伏せている。舌をちょっ、と出した七白は、まるで謝霊と八黒のしていることが分かるというように謝霊を凝視していた。私はひとまず近くの椅子に座ることにした。時計の針の音だけが妙に大きく聞こえる中、私は謝霊が身動きしないかと固唾をのんで見守った。
一時間もしないうちにそのときは来た。謝霊はぱっと目を開けると、机の上に置きっぱなしの旗袍を素早くひったくった。反対の手の指を二本立て、意識を集中させる謝霊の腕を私は慌てて掴んだ――全身の毛までもが引っ張られるような感覚がした刹那、七白が私の腕の中に飛び込んでくる。私が彼を抱き留めると同時に視界が白飛びし、次の瞬間には私たちは郊外の邸宅と思しき廊下に立っていた。
思わずふらついた私に向かって謝霊がにやりと目配せする。しかし彼はそれ以上軽口を叩くこともなく、代わりにもう一度指を二本立てて何やら呟いた。
すると、それに呼応するように男の叫び声が聞こえてきた。
「何をする、この化け猫め!」
それはパドストンの声だった。私の腕を飛び出して七白が風のように駆けていく。彼のあとを追って私たちは廊下を走り抜け、声のした部屋に飛び込んだ。
「……フェイミンか? それにお前は……」
パドストンは私たちを見て一瞬動きを止めた。
「どうも、ミスター・エリック・パドストン。私は
謝霊は涼しげな笑みを浮かべて実に静かに挨拶をした。その足元に八黒が駆け寄り、七白の前に立ってパドストンを睨みつける。それを見たパドストンは声を荒げた。
「……この異教の魔女め! くだらん妖術で私を愚弄するつもりか!」
どうやら謝霊は八黒の口を借りて彼に話しかけたらしい。しかし謝霊は涼しい顔を崩さないまま、手に持った旗袍をパドストンの前で掲げて見せた。
「野蛮かつ古臭い喧嘩はやめましょう、ミスター・パドストン。そんなことより、この旗袍を少し身につけてはもらえませんか? 実はこいつがフォスター嬢殺害事件の切り札でしてね。是非試していただきたいのです」
「なんだと? 妖術使いめ、今度は私にありもしない罪を着せる気か」
パドストンは冷ややかに答えた。彼の漢人に対する態度はいつも冷淡だが、今は怒りも相まってひどく乱暴な口調になっている。
しかし謝霊は構わずパドストンに旗袍を押し付けた。
「いいえ。私が言っているのは実際に犯された罪のことです。そしてこの旗袍はそれを証明してくれるものなのですよ」
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