二話 謝霊、助手を引き連れて上海の街を歩くこと

 長い脚を存分に動かして通りを闊歩する謝霊の後ろを私はとぼとぼと付いていった。あわよくば店の裏で一日中隠れて休んでいようという私の目論見はまんまと外れ、それどころか主人のサー・モリソン公認で謝霊の手伝いをする羽目になっている。謝霊を見張るという意味でもこうすべきなのだろうが、それにしてもあんまりだろうと私は思わざるを得なかった。

 よく晴れた空から降り注ぐ日差しは夏らしい雰囲気を作り出しているが、かえって私をどんどん弱らせていく。他の日はともかく、少なくとも今日ぐらいは店の裏に潜ませてほしかった――胸中でそうぼやきつつ謝霊のあとについて警察署の前まで来ると、謝霊はなぜか建物の入り口ではなく脇の路地へと私をいざなった。


「ちょっと失礼」


 謝霊はそう言うなり、ふらふらと路地に入った私をくるりと返して背中に手を押し当ててきた。私が驚いて固まっていると、謝霊の手から温かいものが流れ込んできた。

 私は何をされているのかまるで分からず、身をよじって逃げようとした。しかし謝霊は私の肩をぐっと掴み、「シーッ」と耳元にささやきかけた。


「すぐ終わります。動かないで」


 私は目を白黒させながらも動きを止めた。謝霊の手からは変わらず温かいものが伝わり続け、それが体の中心から先の方へと流れていくのが分かる。抵抗さえしなければそれはとても心地の良いものだった。ちょうど手足の指先がほんのり温かくなったところで謝霊は私の背から手を離した。そのときには、私はすっかり具合が良くなっていた。吃驚して謝霊を振り返ると、彼はいつもの笑顔を崩すことなく私をじっと見つめている。


「どうです? 気功術を体験した感想は」


 私は目を瞬いた。気功術というと、物語に出てくる仙人や乱暴者たちが使う奇妙な術のことではないか。

 しかし謝霊は、私の訝しげな顔を見ると軽く声を上げて笑った。


「なに、私も少しばかり心得があるのですよ。招魂の術を使うときに術者の魂魄こんぱく――平たく言うと生者の霊魂のことですが――が陰間に引き込まれないよう、気功術も併せて訓練するのが我が家の習わしでね。私の助手をしていただくなら、チャン先生も学んでおいて損はないかと思いますよ」


「……いや、結構です。あなたの助手をするのは今回だけだ」


 そう言って断った私の頭の中では昨日見た謝霊の事務所の様子が思い描かれていた。山と積まれた怪しい道具に二匹の怪しい猫、そしてその全てを司る怪しい男と三点揃ったあの空間に自分が身を寄せるなど荒唐無稽にもほどがある。それに何より、私には「英国商人に仕える漢人の使用人」というちゃんとした身分があるのだ。悠々自適とはいかないが、それでも得体の知れない探偵稼業よりはよほどましだろう。そもそも今彼の助手として駆り出されているのもサー・モリソンの意向あってのこと、即ち私に拒否権はなかったのだ。

 謝霊シエリンはなおも私をじっと見つめていたが、やがて「そうですか」と言うと路地の入り口へと足を向けた。


「何がともあれ、今回は私の助手として働いてくれるということですね。では参りましょう、慧明フェイミン兄、我らがモリソンの旦那様のためにも早く謎を解いて差し上げねば」



***



 こうして私たちは探偵と助手として警察署の敷居をまたぎ、サー・モリソンの存在をちらつかせつつクリスティン・フォスター殺害事件の記録を手に入れた。父親である故エドワード・モリソン氏の威名の影響に一大富豪として知られるエリック・パドストン氏の後ろ盾が加わって、レイフ・モリソンの名もまた上海では一定の地位を築いていたのだ。おまけにマダム・フォスターが亡くなってからというもの、サー・モリソンは被害者の婚約者という立場からひっきりなしに警察署に足を運んでは、そこで得た情報を独自の調査の足掛かりにしていたのだ。むしろ警察連中にとって我々は、サー・モリソンが使用人の一部を情報収集に寄越してきた程度のものだっただろう。我々は十分もしないうちにうんざりした様子の警察官から分厚い紙束を渡されて、まるで野良犬でも追い払うかのように署から放り出されてしまった。

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