五話 張慧明、謝霊と別れてモリソン宅に戻ること
謝霊は至極丁寧な手付きで髑髏を取り上げて元の箱に戻すと、私に箱を返してきた。
「こちらはお返しします。一度話を聞いたら十分ですから、また埋葬してくださって結構ですよ」
私は呆然としたまま箱を受け取った。ふと視線を移すと、マダム・フォスターのいた場所にとどまってじっと動かない七白と八黒がいた——きっと彼らなりに、こういったことについて何か思うところがあるのだろう。
謝霊は私が何も言わないのを見ると、
「大丈夫ですかな」
と聞いてきた。
私は何のことか咄嗟に分からず、おうむ返しに聞き返した。
「大丈夫?」
「ええ。この手の術を使うと、死者の霊魂が去った後に寝込む方がおられましてね。死者の霊魂は陰間、つまりあの世に属する存在です。それに対して我々生きた人間のいるこの世は陽間という。陰間の住人がこちら側に現れるところを見ると、体調を崩したり、そのまま死んでしまったりということがどうしてもあるのですよ」
私はまさかと眉を吊り上げた。しかし、いつもならあり得るものかと一蹴するのに、今はそれができなかった。
幽鬼を見たあとで急に病を得たり、そのまま死んだりというのはこの手の怪談の定番だ。今まではこの手の話に取り合ったことなどなかったのだが、目の前で招魂の術を使われ、実際に死者の霊魂が現れて口を利くところを見ては、あながち怪談の内容も嘘ではないのかもしれないと思えてくる。そう考えると途端に背筋がうすら寒くなった――私は急に寒気を感じて体をすくませた。謝霊も私の顔色が優れないのを見てとったのだろう、彼はすっかり冷めてしまった煙管に火を入れ直すと白い煙を吐きながら戸口に向かって歩き出した。
「まあ、本日はこれまでとしましょう。この証言をもとにこちらで調査を進めさせていただきます。進展があればこちらからお伺いしますよ」
「調査? 犯人が分かったのに、その上何を調べるのですか?」
私は思わず尋ね返した。
「それは色々と調べますよ。真犯人としてパドストン氏を突き出すにはミス・フォスターの話の裏を取らねばなりませんので。でないと、虚偽捏造をばらまいて西洋人を貶めたかどで逆に私が牢獄行きだ」
謝霊は平然と答え、さらには冗談めいた笑みまで浮かべて見せた。私はひとまず頷いた。期待外れではあったものの、彼の言にも一理ある。
ふと、私のふくらはぎを温かいものが撫ぜた。驚いて飛び上がった私の足元で七白がびくりと身をすくめる。謝霊は七白を呼び寄せると、にこりと笑って戸を開けた。
「それと、今後の調査次第ではまたご協力をお願いするやもしれません。そのときは一報差し上げます——では、モリソン氏によろしくお伝えください」
階段のところで振り返った私が見たのは、煙管を咥え、大量の煙を漂わせている謝霊が七白を抱き上げているところだった。七白は胴も脚も長かったが、彼に抱き上げられると異様なほど体が伸びて見える。謝霊は煙管を口から外し、煙を吐きながら七白に何やら話しかけていた。七白は煙が顔にかかっても平気なようで、それどころか舌をべろんと出している。まるで老犬のような仕草だと、私はいまいち働かない頭でぼんやり考えた――
そのとき、謝霊がふっと私の方を見た。彼は口の端を持ち上げてニッと笑うと、何も言わずに扉を閉めてしまった。
私は日ごろから何かをやたらと恐れることはないのだが、このときばかりは彼の笑顔に鳥肌が立った。戸板が枠に収まる音がやけに大きく聞こえ、私はそれに追い立てられるようにサー・モリソンの元に戻った。
***
サー・レイフ・モリソンは、明るい茶色の巻き髪に翡翠のような瞳が快活な若き紳士だ。彼が上海に渡ったのは半年ほど前、お父上のサー・エドワード・モリソンの他界に合わせてのことだった。先代の旦那様が立ち上げた茶葉の貿易会社の跡継ぎとしてやって来た彼を私たち使用人は総出で迎え、彼の生活と仕事を支えてきた。
ちなみに、このときサー・レイフ・モリソンを港で出迎えたのがエリック・パドストンであった——彼はサー・モリソンに上海での暮らしと振る舞い方を教え、一方の私たちは怠惰な行いをしないよう半ば脅しのような激励を受けたものだ。
しかし今、過去の微笑ましい思い出では到底埋められない溝がパドストン氏と我々の間に生まれていた。その日の夜、サー・レイフ・モリソンの居室で謝霊との一切を報告した私は、このいかにも好青年然とした若紳士が怒り心頭に発するところを初めて見た。
「何という奴だ!」
サー・モリソンは一声叫ぶと持っていた紙の束を床に叩きつけた。
「エリック・パドストンめ、私とクリスティンの間を取り持っておきながら影で彼女を狙っていたとは。それで拒否されたから殺したなど、まるで野蛮人の行いではないか!」
「それを立証するために謝霊先生がこれから調査をしてくださいます。なんでも、裏が取れないことにはサー・パドストンの通報もできないと」
私は素早く謝霊の言葉を投げかけた。サー・モリソンは顔にかかる巻き髪をかき上げて苛立たしげに息をつくと、ソファにどっかと体を埋めた。
「その謝霊という奴、報告には来るのだろうな」
「そう申しておりました」
またも謝霊の言ったとおりのことを私は答える。サー・モリソンはあごに手を当てて何やら考えていたが、やがて立ち上がると酒のテーブルの方に歩いていった。
「ミスター・シエの相手はお前がしろ。事件が解決するまでお前の仕事は彼の見張りだ」
「かしこまりました」
私が答えると、サー・モリソンはなみなみと注いだブランデーを一気に飲み干して部屋を出ていった。
残された私は散らばった書類を片付けた——一面に英語が書かれたそれはどれも警察からのもので、内容も全てクリスティン・フォスター殺害事件についてだ。彼は警察の調査に納得がいかず、自分でも調査をする中で謝霊の存在を知ったのだ。私を送り出したときには漢人の妖術使いなど、と言っていた彼だったが、どうやらちゃんと収穫があったことで謝霊を信用することを決めたらしい。
しかしその一方で、彼は謝霊を完全には信じきっていないらしい。謝霊を見張れと言い残したサー・モリソンの声がいつまでも私の頭をこだましていた。
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