1章 シルヴェン伯爵家の一騒動③

(……とにかく、会って話をしてみないと)

 リューディアは家族たちといつたん別れて、王城にあるらいひん接待用の客間に向かっていた。本当ならば父が出向くべきなのだが、なんきん生活が長かった父はふらふらですぐにしきに帰って休息を、ということだったので、母とアスラクにたのんで一足先に父を連れて帰ってもらっていた。

 そういうわけで、長子であるリューディアが一家を代表してくだんの闇魔術師に会いに行くことになったのだった。

「シルヴェンはくしやく令嬢、リューディア様のおしです」

 じゆうがそう言って、恩人の魔術師が待っているという客間のドアを開けると──中は、昼間だというのにうすぐらかった。それは、せっかくいい天気だというのに窓のカーテンを閉めているからだろう。

 薄暗い部屋の奥にあるソファに、くろかみの青年が座っていた。彼はこちらを見ると、しつこくのローブのすそをひらめかせて立ち上がった。

 彼の髪はとてもくせが強くて、くしゃくしゃのまえがみがまぶたにかかっている。その目の周りはくぼんでおり、灰色のぎょろっとした目はお世辞にも、すずしげな目元とは言えない。

 ソファに座っているときは分からなかったが、彼はかなり背が高い。リューディアが見上げなければならないくらいの身長差があるが体はガリガリにせているようで、だぼっとしたローブしでもその体の肉の少なさがよく分かるくらいだった。

 薄暗い部屋の中でも、血色が悪くて不健康そうな顔色をしているように見えた。痩せた人間のことをよくモヤシにたとえるが、まだモヤシの方がシャキシャキしていて歯ごたえがあるのではないか、とリューディアは思った。

 全体的にもっさりとした見た目だが、不潔というわけではない。王国魔術師団のローブはきちんと正しく着こなしているし、髪も──あの癖毛はどうしようもないのだろうが、清潔感はあった。彼のローブの裾がひらめくと、すっとするようなさわやかなにおいがした。意外とコロンなどを付ける習慣があるのかもしれない。

(お年は……私よりもいくつか上、くらいかしら? もうちょっと体にお肉が付いた方が、健康にもよさそうだわ)

 リューディアが個性的な青年をじっと見つめていると、彼は目を細めておをした。少し動きはぎこちないが、精いっぱい礼儀正しくおうとしていることが伝わってくるようだった。

「お初にお目にかかります、シルヴェン伯爵令嬢。王国魔術師団所属の闇魔術師、レジェス・ケトラでございます」

 あいさつをする青年──レジェスの声は、がらがらにひび割れている。のどの調子が悪い人もこんな声だが、彼は元々こんな声なのではないだろうか、と思われた。

(レジェスというのは、セルミアの名前ではないわ。でもケトラはこちらのせいだから……他国生まれなのかもしれないわね)

 そう思いながら、リューディアはドレスのスカート部分をつまんでこしを折るお辞儀をした。

「お初にお目にかかります、レジェス様。シルヴェン伯爵家のリューディアでございます」

「私ごときに敬語を使われる必要はございません。私のことはレジェスでも闇ワカメでも、お好きなようにお呼びください」

「では、レジェスと呼ぶわ」

きようしゆくです。……さあ、どうぞこちらへ」

 ククク、と笑いながらレジェスはリューディアにソファをすすめた。となりに立っていた侍従は不快そうにレジェスをにらんだが、リューディアは彼を手で制してレジェスの勧めた席に腰を下ろした。

 レジェスも座ったところで、リューディアの方から切り出した。

「このたびは、父共々大変お世話になったわ。私たちは初対面だと思うのだけれど……なぜ伯爵家を救ってくれたのか、理由や事情をお聞かせいただいてもいいかしら?」

 リューディアが尋ねるとレジェスは少し目をせた後、クツクツととくちようてきな笑い声を上げた。

「ククク……なぜだと思いますか?」

「えっ?」

 まさか質問を質問で返されるとは思っていなくてリューディアが言葉にまると、レジェスはリューディアの反応をおもしろがるようにクツクツと笑った。

「おっしゃるとおり、私はあなたともお父君である伯爵とも面識がございません。……そんな私がなぜ、一連の出来事を起こしたのだと思われますか?」

「……そうねぇ。あなたがとっても正義感の強い人だから、かしら?」

 とりあえず最初に思いついた答えを述べてみると、レジェスはふん、と小さく笑った。鹿にするというより、あきれた、と言いたそうな笑い方だった。

「はずれですね。だいたい、こんな見た目の正義の味方がいるわけないでしょう」

「えっ、正義の味方に見た目は関係あるの?」

「……つう、私のような見目の者は悪役にはなれても、正義の味方にはなれないですよ。お世辞なら、よしていただきたいですねぇ」

「あら、それが世間における普通なの?」

「……はい?」

 げんそうにまゆを寄せたレジェスに、リューディアは言う。

「私からするとあなたはちがいなく、我が家にとっての救世主でしょう? だから、正直に思ったことを口にしたつもりだったけれど……。もし気を悪くしたのなら、謝ります。ごめんなさい」

「…………いえ」

 自分の世間知らず具合をてきされたようでリューディアがしゆしように謝ると、なぜかレジェスはそっぽを向いてしばらくの間だまってから、またこちらを向いた。

「……答えを言いましょうか。あなたは、シルヴェン伯爵のしやくほうを求めるために私がものとうばつ作戦に参加したとお思いのようですが……そもそもそれが違います。私は、個人的なえんのためにやっただけです」

「私怨……?」

「私、あの女がだいきらいなのです」

 ふん、と馬鹿にするようにレジェスが笑ったしゆんかんかべぎわにいた侍従がさっと気色ばんだのが分かった。王城に仕える彼からすると、王家のひめへのべつてき発言は聞きのがせないだろう。

 だがレジェスはいかりの表情をあらわにする侍従を振り向き見ると、はっと鼻で笑った。

「おや、私に対して怒りをいだいている様子ですが……はてさて、あのこむす──失礼、王女にそれだけの価値がありますか?」

「……何?」

 まだ若そうな侍従の低い声も何のその、レジェスは手の中にぽんっと黒いかたまりを生み出すと、それをころころと手のひらの中でもてあそびながら楽しそうに言葉を続けた。

「あの王女はへんけんがひどくて、やみ魔術師であるというだけで私に暴言をいたり、馬でろうとしたり、闇魔術師の仕事がなくなるようにうそはつぴやくを国王にき込んだりしたのですよ? おまけに今回も、自分の過失を伯爵になすりつけようとした……ええ、とんでもない女です。それを、あなた、ようするんですか?」

「……貴様っ! それが王女殿でんへの物言いか!?」

 侍従がってもどこ吹く風で、レジェスは闇の塊で遊んでいる。

「はぁ……でも、あなたも知ってるでしょう? あの王女、気に入らない使用人とかを片っぱしからめさせていますよね? 根も葉もないうわさを流して相手をしつきやくさせる……きれいなのは顔だけで、中身は闇魔術師もびっくりのしようわるだったということですかねぇ……ククク」

 そう言いながらレジェスは、それまでころころ転がしていた黒い闇の形を変え、うぞうぞと動く虫のようにした。それを見て、侍従がひっと息をみ顔色を赤から一瞬で白に変えた。

「そういうことで、個人的にうらみのある王女をらしめてやろうという気持ちで、闇魔術を使って情報収集したのですが……そうすれば、真実が出てくるわ出てくるわ。王女はあろうことか、しつゆえのあやまちをはくしやくになすりつけ、さも自分が悲劇の主人公、がいしやであるかのようなつらをしているということがね」

 レジェスはいもむし状態の闇を自分の手の上でわせながら、小馬鹿にするような視線を窓の外に向けた。

「一歩間違えれば国際問題に発展しただろうに、それをシルヴェン伯爵が体を張って止めてくれた。それなのに逆ギレするあの女を擁護して、何になるのやら」

「……そ、それは!」

「しかし、それを口にするには私には権力がありません。よって、ちょうどいいところにしゆうがかけられていた魔物討伐作戦に参加することにしたのです。これで戦果をあげれば、だれも私の申し出をこばめぬだろうとんで、ね」

 ククク、と彼が笑うのに合わせて、彼の手の中にある闇の塊もうねうねと動く。

「私の読み通り、みながいるえつけんの間で罪を明かせば、王女殿下は怒り心頭で私をなじりました。しかし……しようき出せば、それはそれは面白いくらい黙り、青ざめ、私に許しをうてきたのですよ。……ええ、私に。身勝手な行いでとうごくした伯爵や、つらい立場にあるあなたたちではなくて、ね!」

 ぶわっ、と闇がはじけ、うすぐらい部屋のてんじように散っていった。じゆうは悲鳴を上げたがその光景はどこかげんそうてきで、リューディアはほう、とため息をついて降り注ぐ闇のざんを見ていた。

「無論、ここでほだされる私ではありません。ですがまあ、マルテ王国との関係が悪くなれば私にとってもめんどうなことになりますし、今回の件は『誤ってマルテ王女にぶつかりそうになったところを、シルヴェン伯爵に止めてもらえた』という形にとどめて差し上げることにしました」

「では、国民たちに父の無実を告げる際にも、そのような形で報告されるのね」

 リューディアがたずねると、レジェスはうなずいて闇の残滓を手のひらに集めてふいっとかき消した。

「ええ。……ですがまあ、かんのいい人は気づくでしょう。王女殿下は、マルテ王女にぶつかりそうになったのではないのではないか……とね。そういうことで伯爵家のめいはそそがれました。あなたも自由の身になれたようで、よかったですね」

「ええ、感謝するわ」

 リューディアがうなずくと、侍従のみならずなぜかレジェスも意外そうに目をまたたかせた。

「……あなた、私のきたない面を知ってもけろっとしているのですね。普通、こういうときって引きません?」

「まあ、ごめんなさい、世間知らずで。でも……あなたの私怨とかは置いておくとして、私たちが助かったのは事実だもの。だから……ありがとう、レジェス・ケトラ」

 リューディアが頭を下げると、レジェスはククッと笑ってからリューディアに顔を上げるよう言った。

「礼にはおよびません。私としても積年の恨みを晴らすだけでなく、皆にされる闇魔術で魔物をたおし、皆のせんぼうと嫉妬とおびえのまなざしを一身に受けるというのは……非常に気持ちのいい体験でしたからね」

「あなた、しゆが変わっているのね」

「ええ、悪趣味だと自分でも思っております」

「あら、そういう意味ではないわよ。趣味なんて、人それぞれでしかるべきじゃない。あなたが行ったことは法にれているわけでもないのだから、何を趣味にするかなんて人の勝手でしょう」

 リューディアが言うと、レジェスは笑うのをやめた。どこかさぐるような目で見られるのは少し心地ごこちが悪いが……いやだとは思わない。

(……ひとまず、話は終わったわね)

 リューディアは立ち上がり、ドレスのすそを直してからレジェスに向き直った。

「このことは、家族にも話しておくわ。……父もあなたに礼を述べたがっていたから、いずれお話を聞いてもらえるかしら」

「……。……ええ、もちろん」

「助かるわ。……では、ひとまずのところ話はこのあたりでよいかしら?」

「そうですね。私もひまではないので、魔術師団にもどらなければなりません」

「ええ、それもそうね。いそがしい中、話をしてくれてありがとう。これからもどうぞよろしくね」

 リューディアはおをして、侍従が開けたドアから部屋を出た。

(なんとか、レジェスとの話は付いた……)

 ろうに出たリューディアはふうっと息を吐き出し、待たせていた使用人たちを連れて歩きながら、レジェスのことを考えていた。

 つんっと突けばそのまま倒れてしまいそうなふんの、闇魔術師・レジェス。クククと笑う姿は変わっているし考え方もかなり個性的だが……リューディアはそんなレジェスのことを、不快な人だとは思わなかった。

(変な人。でも、いい人)

 知らない間に、ふふん、と鼻歌を歌っていたリューディアを、伯爵家の使用人たちは不思議そうに見つめていたのだった。


    ● ● ●


 リューディアが去っていった後の客間で、レジェスはしばらくの間黙り込んでいた。だが侍従に「早く出て行け」と目で指示されたため、にやりと笑って立ち上がり彼を見つめた。

「それでは、そろそろ失礼しますね。……このままじっとしていると、うっかり闇じゆつを発動させそうですので」

 ニヤニヤ笑いながら言うと、侍従はさっと青ざめた。彼は身分ではレジェスよりずっと上なのだろうが、しよせんそれだけだ。

 レジェスが本気になれば、こんなひ弱な男ごときいつしゆんほうむれる。そんなゆうえつかんを胸にレジェスは部屋を出て──ふと、先ほどのリューディアの言葉を思い出す。

『私からするとあなたはちがいなく、我が家にとっての救世主でしょう?』

『忙しい中、話をしてくれてありがとう。これからもどうぞよろしくね』

 話をしている間、リューディアのあんずいろの目はまっすぐレジェスを見ていた。

 こんなうつくつしていそうな見た目で不気味に笑う男に対してもきちんと話をしてくれて──何気ない一言一言で、闇にかった胸をつらぬいてくる。

「……本当に。あなたは……変わらないですね」

 ぼそっとつぶやくとなんだか少しずかしい気持ちがしてきたので、レジェスは通り過ぎざまにこちらをにらんできた別の属性の魔術師にやみ魔法をちらつかせて遊ぶことにした。

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私の婚約者は、根暗で陰気だと言われる闇魔術師です。好き。 瀬尾優梨/角川ビーンズ文庫 @beans

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