1章 シルヴェン伯爵家の一騒動①

 その日、セルミア王国のはくしやくれいじよう・リューディアの人生が大きく動いた。

「……お父様が、王女殿でんに暴行を!?」

うそだ! 父上がそんなことをなさるはずがない!」

 王城からやって来た早馬によってもたらされたきようほうに、リューディアと弟のアスラクは声を上げた。

 二人の父親であるシルヴェン伯爵は、現国王が王太子だったころからその身を支えてきた家臣だ。王城内での身分こそそれほど高くはないが顔がき、多くの貴族や、使用人たちからしたわれている人格者であり、リューディアたちもそんな父のことをほこらしく思っていた。

 だがそんな父が昨日王城でかいさいされたパーティーでおんとし十六歳の第二王女・ビルギッタに暴行して、王女は負傷した。しかもその場には現在遊学に来ていたりんごく王女もおり、伯爵が起こした暴力事件はあっという間に王城に広まってしまった。

 父はすぐにらえられ、いずれ裁判を受けることになるという。そして家族であるリューディアやアスラクたちにも、しばらくの間の自宅きんしん命令が下った。

 知らせを受けたアスラクは整った顔をいかりで真っ赤にしており、使者につかみかからんばかりの勢いだった。リューディアがそんな弟を落ち着かせてひとまず使者を帰らせた後に、姉弟きようだいはリビングのソファに座りなやましい顔になった。

「お父様が暴行だなんて、信じられない……いえ、あり得ないわ」

「姉上、こうに行こう! 父上が王女殿下に暴行する理由なんてないし、父上はそんなことをする人じゃない! 何かのちがいに決まっている!」

「気持ちは分かるけれど……それは悪手よ」

 はやる弟をなだめるリューディアも、どうようかくせない。彼女だって、今すぐ城に乗り込んでやりたいくらいだ。

「これは、国王陛下からのちよくめいでもあるわ。ということは、私たちが怒りに身を任せて城に乗り込んだとしたら最悪、国王の判断に異を唱えたとして私たちにまでばつが下るかもしれない」

「っ……陛下も陛下だ! どうして、何十年も王家を支えてきた父上をこうもあっさりとうごくできるんだ!」

「おやめなさい」

 ぴしっと弟をしかりつつも、リューディアはその背中を優しくでた。

 まだ十五歳のアスラクは体こそリューディアよりずっと大きいが、その背中は小さくふるえている。今、シルヴェン伯爵家の男子はアスラクしかいない。父が投獄されたという不安だけでなく、長男としてしっかりしなければならないというプレッシャーも大きく感じているのだろう。

「……お母様には、このことは?」

 リューディアが問うと、かべぎわに立っていたしつは苦い顔でうつむいた。

「……先に、お伝えしております。みなの前ではじようってらっしゃいましたが……ご無理をなさらないようにと、お部屋で休んでいただいております」

「ありがとう。……一番おつらいのは、お母様よね」

 リューディアが言うと、アスラクもはっとしたようだ。

 父は有能な伯爵だが、城内でも有名な愛妻家でもある。いくつになってもなかむつまじい両親はリューディアたちにとってまんの親で──だからこそ、愛する夫が投獄されたと聞いて母が打ちひしがれるのも仕方のないことだ。

(ここは、私がん張らないと)

 リューディアは現在十八歳で、けつこん相手を探している最中だ。またアスラクは、来年十六歳になったら王城の騎士団に入ることになっている。

 だが、父が投獄されたとなるとリューディアの社交もアスラクの騎士団入りも、難しくなるだろう。

(……いいえ、だからといってここでおとなしく泣き暮らすわけにはいかないわ)

「アスラク、落ち着いて確実に動きましょう。……お父様がすでに罪人あつかいされているのだから、お父様の無実をこわだかに主張したって聞き入れてもらえないわ。むしろ、私たちまで王女殿下にはんばくするのかと責められるだけだわ」

「それじゃあ、どうすればいいんだ。裁判の日まで指をくわえて待っているだけなんて、僕はいやだ!」

「指をくわえて待っていろ、とは言っていないでしょう。……もしかすると、事件のもくげきしやがいるかもしれない。だからまずはお父様の無実のしよう集めと、それからえんしや探しをしましょう」

 リューディアが言うと、それまでは興奮気味だったアスラクもいくぶん落ち着いた様子になり、考え込むようにまゆを寄せた。

「支援者……。確かにそういう人がいれば心強いし裁判になってもくちえしてくれるだろうけれど、僕たちを支えてくれる人なんているのか? だって、僕たちに付くということは王家に逆らうことになって……」

「……ええ。でも、お父様の無実を信じているのでしょう?」

「当たり前だ!」

「きっと同じように思ってくれる人はいるはずよ。……アスラク、謹慎期間が終わったら私はこれまでと変わらず王城を訪問して、情報収集を行うわ」

「そんな……それじゃあ、僕もっ」

「あなたはまだ十五歳の未成年だから、城内を歩き回る許可が下りていないわ。だからあなたは、お母様を支えてしきのことを取り仕切りなさい。そして、これまでこんにしてくださっていた皆様にお手紙を書くのよ」

 つまり、リューディアとアスラクで役割を分担するのだ。これまでは父や母の指示で動くことはあっても、姉弟だけで何かを決めることはほとんどなかったのだが……父が不在で母がせっている今、二人ががんらなければならない。

 姉の言葉を聞き、アスラクのひとみに光が宿る。活発な彼は自分にも仕事があたえられたのが嬉しいようで、きんちようしつつもうなずいた。

「……裁判は、半年後だよね?」

「ええ、それまでに小さめのしんもんとかがあるけれど、判決が下るのは半年後。……それまで、私たちはえなければならないわ」

「分かった。……でも、姉上の方が絶対に大変なんだから、無理はしないでよ」

「ふふ、分かっているわよ」

 弟には言いつつも……いざとなったらリューディアは、長子である自分がすべての責任を負うつもりでいる。使用人や私兵たちにも協力をたのむにしても、姉弟だけでできることは少ないし、伯爵家に見切りを付ける貴族もいるだろう。それに、たとえ裁判に勝てたとしても一度こうむっためいを完全にそそぐことは難しいということも分かっている。

(それでも。たとえ、味方がいなくても……音を上げたりしない)

 それが、伯爵令嬢としてのリューディアのきようだった。


    ● ● ●


 リューディアとアスラクはそれぞれ、裁判の日に向けて準備を進めた。

 間違っても、国王や王女の判断に表立って異を唱えたりしてはならない。だから言葉を選びつつ、相手を選びつつにはなったが、「私たちは父の無罪を信じている」「これからも伯爵家と懇意にしてほしい」ということを貴族たちに伝えて回り、「何かご存じのことがあれば、教えてほしい」と事件当時の情報を集める。

 かくはしていたが、「王女に暴行した伯爵とは、懇意にできない」とあっさり手を切った者も多い。中には伯爵のむすめであるリューディアのことをくちぎたなののしる者もいたし、勇気を出して社交の場に出てもわざとひとりぼっちにされ、ちようしようべつの視線の中で協力者集めをしなければならないこともあった。

(……だからといって、尻尾しつぽを巻いてげたりはしないわ)

 父の潔白を信じているのだから、堂々としていなければならない。泣きたくなってもがおの仮面でがおを隠し、自室に帰ってからひっそりと泣く。だが母や弟の前に出るときには、しっかり者の娘、たよれる姉として振る舞う。

 幸い、逆境の中でもシルヴェンはくしやく家に手を差しべてくれる者はいた。「だんからうそばかりつく王女より、人格者の伯爵の主張を信じる」とこっそり手紙を送ってくれた者もいるし、事件現場近くにいた者から、「伯爵が王女をき飛ばす直前、王女が変な動きをしていた」という情報を得られたりもした。

 多少の目撃情報は得られて支援者も見つかったが、裁判で王族の決断をひるがえせる確率はまだ低い。それでも、父を救うためなら低い確率でもけるしかない──そう思っていた。


    ● ● ●


 裁判を約一ヶ月後にひかえた、ある日。

「リュディ、アスラク。すぐにお城に行くわよ」

 ここ半年ほどですっかりせてしまった母は、姉弟きようだいを居間に呼ぶなりそう言った。

 王城からの使いが来ていることは、リューディアも自室の窓から見ていたので知っている。父についてのだろうか……ときりきり痛む胃をかかえていたリューディアだが、姉弟きようだいむかえた母はどこか興奮気味だった。

「何か……あったのですか?」

「ええ。……くわしいことは分からないけれど、お父様の無実が証明されたそうなの!」

「え……ええっ!?」

 思ってもいなかった言葉に、リューディアとアスラクは顔を見合わせた。

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