第12楽章 Isoldes Liebestod ーー愛の死-ー
それまで黙って控えていたゼンタが、バッグから美しい小箱と鍵、洋杯を取り出した。
「これが、聖杯と、その機能を作動させるための鍵、小箱です。『ミリアム教』は、悪魔と対峙するためにこのような聖遺物を代々受け継いできました。今こそ、この力を解放するときです」
エルザはうなずき、ゼンタのもとへ駆け寄った。
「我、吟遊詩人の血を引くゼンタが、『ミンネリート』の力で『神の媚薬』の聖なる力を解放する」
エルザの力を分け与えられた偽りの聖女は、その聖なる力をもって、鍵で小箱を開ける。鍵は難なく開いた。小箱から出てきたのは、美しい金色の刀身に、束が色とりどりの宝石で飾られた宝剣だった。
エルザは、目を伏せて短刀を取り出す。トリスタンは不吉な予感にとらわれていた。
「エルザ、それは何だ」
「これはミリアム教の聖遺物、『神の媚薬』という銘の短刀です。これで聖女が胸を突き、その血を聖杯に注ぐことで、悪魔王を祓い、魔のひずみにとらわれた世界を救うことが出来ます。そして、聖杯に注いだ血を使って悪魔王を祓うことが出来るのは、聖者にも悪魔にも近しい存在の『地獄の子』、トリスタン様だけです」
「そんな……エルザ……俺は、あんたを救いたいというのに……」
エルザは優しく笑った。
「トリスタン様が住むこの世界を救うことが、私の救いですわ。私は神の子ミリアムの末裔。世界のために命を落とすなら、本望ですわ。そして、私に赦される限りで愛の言葉を聖杯に捧げます」
ゼンタが短刀に手をかける。
「エルザ様、お供いたします。……イゾルデ様、お名残惜しいのですが、想いをありがとうございました。私の形見に悪魔憑きを祓う祈りの書を置いていきます。私、幸せでした。そして今も」
二人の聖女はうなずき合い、涙を一筋流すと、幸せそうに微笑んで、
「トリスタン様、イゾルデ様、嫌いです。この世で誰よりも、一番に」
とつぶやいてお互いの胸を突いて倒れ伏した。トリスタンとイゾルデは、ふたりの元へ駆け寄ったが、すでに絶命していた。
「エルザは……愛の言葉を赦されていなかったのですね」
「それが代償だった……。ゼンタの想いも、イゾルデ、あんたにはわかるんじゃないのか」
二人は愛した女たちを膝に抱いた。そして、かすかに開いた目を閉じさせた。
トリスタンは、エルザの赤い血を聖杯に注いだ。イゾルデは、ゼンタの額に口づけを落とした。
「こんなに優しくて温かい『嫌いだ』の言葉があるなんて、想像もつかなかったよ」
「ええ。さあ、猊下を救いに行きましょう」
二人は目で合図すると、教皇の間に向かった。メフィストは玉座から、バイロイトが魔のひずみに飲み込まれる様子を楽しそうに見ていた。
「メフィスト!祓わせていただく」
司祭イゾルデが、ゼンタの遺品を使って悪魔憑きを祓う祈りを捧げた。そして、トリスタンが聖杯の中のエルザの血で魔方陣を描いた。血は祈りに呼応し、メフィストを囲み、悪魔王は耳をつんざくほどの奇妙な叫び声を上げた。そして、みるみる魔方陣に吸い込まれていった。
ハインリヒは、人事不省の状態で玉座に座り込んでいた。二人はすぐに駆け寄った。
「猊下、どうか目を覚ましてください」
イゾルデは「聖杯型」の癒しの力でハインリヒの体を癒した。
「ああ……我のトリスタン、イゾルデ。助けてくれてありがとう。我の父……悪魔王メフィストは?そしてバイロイトの街は?」
「悪魔王は祓い、地獄に囚われております。バイロイトの被害も、最小限に抑えてあります」
「よかった……よかった……」
ハインリヒはそれだけ言うと、眠りについた。トリスタンとイゾルデは、教皇を研究室にある仮眠ベッドに連れて行き、寝かせた。その後、まだ機能していた教皇親衛隊と特別機動隊に立ち寄って、任務遂行と教皇の身の安全の確保を報告した。
だが、二人はあまりに大切な人を失った。ふたりの心には、強かった彼女たちの優しい心がいつまでも棲んでいた。
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