第5楽章 教皇の特命--「聖杯と聖女」の伝説

「ハインリヒ猊下、お呼びですか」

 トリスタンは、サングラスを取って教皇の前にひざまずいた。 横にはイゾルデが修道服をまとって控えている。教皇ハインリヒ二世は、研究用の白衣を羽織り、彼らにもよく理解できない小難しい本を手にふりむいた。

 教皇は、神の子の子孫とされる聖なる存在で、その行いや精神は聖別され、お膝元のバイロイト市民の尊崇の念を一心に集めている。だが、滅多に市民の前に姿を見せることはない。説教や演説もラジオ放送や録音音源を使って行われる。それは、軍の大元帥で教皇であるという高貴な生まれということで、事件や事故を未然に防ぐためでもあったが、一番大きな原因は、本人が年齢と見た目にコンプレックスを抱いていることにあった。

 つまり、教皇は12歳の少年なのである。それも、トリスタンが漏れ聞いた噂によると、彼は少年のまま老いることがないという。それは、聖なる出自の故か、他に原因があるのか、トリスタンにはわからなかった。

「よく来てくれた、我のトリスタン、イゾルデ。トリスタン、『三本目の腕』の調子はどうだ」

「おかげさまで快調です。義手の方が傷んできましたので、今度職人に直させる予定です」

「職人……ああ、名職人クルヴェナールか。よろしく伝えてくれ。いつだったか、我の愛刀も直してくれたよ」

「猊下はあの老人の取る代として、何をお納めになるのですか」

「扇情的な婦人の裸体が載った過激な本を100冊。それも、ビニール袋に包まれた古典的なものを要求される」

「俺は今流行りの官能小説10冊です」

 謁見の間である教皇の研究室内には、しばらく二人の笑い声がこだました。女嫌いのイゾルデは、不快感を声には出せず、渋い顔をしている。ハインリヒは、くっくっと笑い声を抑えようとしながら、机の上にある書類を手に取った。

「さて、今度の特命だが」

 二人の配下の顔に緊張が走る。教皇直々の特命は、常に死と隣り合わせだったが、トリスタンとイゾルデは、抜群のコンビネーションでいくつもの事件を解決してきた。

「『聖杯と聖女』の伝説を知っているか」

「存じません」

「……私も存じません」

 トリスタンは即答し、イゾルデは少し間を置いて少し苦しげにつぶやくように答えた。

 ――嘘が下手だな。

 何年も相棒としてタッグを組んでいるトリスタンは、イゾルデの少しの変化も見逃さない。

 ――まあ、俺のように嘘をつくときに表情を変えないのも、神の弟子には難しいだろう。俺の憂鬱な週末は、まだ終わらないらしい。

 つまりは、この「聖杯と聖女の伝説」という単語に、二人とも心当たりがあるのだ。

 教皇は、そんな二人に試すような一瞥を投げてから、手にした書類を二人に見せた。それは、異端探索の諜報員からの通信記録だった。

「異端『ミリアム教』に、聖杯の伝説と聖女の存在を確認。バイロイトに蔓延する『魔の力』を祓うことが出来る聖杯と聖女の続報を待たれたし。なお、特別機動隊異端駆逐チームのトリスタンとイゾルデに応援乞う」

「ミリアム教に『聖杯』とそれを扱える『聖女』が存在するとのことだ。この二つの力で、最近の不穏な『魔』の動きに早急に手を打ちたい。今のところ、『魔』の力とひずみがどこから起こっているのかは判明していない。異端との闘いであるがゆえに、危険も伴うが、この特命を遂行できるのはお前たちだけだ。頼むぞ」

「はっ」

 二人は同時に承諾の返事をした。

 トリスタンとイゾルデの「いつも」の日常は崩れ落ちた。彼らの苦い真実は、未来への展望になるのか。謁見を終え、二人は黙って研究室を出た。

「イゾルデ、あんたは今から懺悔聴聞か」

「いいえ、説教の時間です。あなたは軍法会議ですね」

「ああ。いつもの通りだ」

「いつも……」

 イゾルデの視線がトリスタンの肩にそれた。

「そうですね。いつもの通り、仕事に励みましょう。神の御名のもとに」

「神……ね」

 トリスタンは一瞬迷ったが、思い切って相棒に尋ねた。

「罪は、赦されるのか?本当に、永遠に」

「神は信じる者を赦してくださいます。神の御子が、父なる神にいつもとりなしてくださいますよ」

 イゾルデは無理に笑った。トリスタンは、ありがとうとつぶやいて暗い表情で彼と別れた。イゾルデはため息をつくと、慈父のように、相棒の派手なジャケットをいつまでも見送っていた。

 


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