第4楽章 罪業--良心の呵責と「週末」

「トリスタン。朝よ」

 桃色のカーテンをひらりと開け、朝日が差し込むベッドで寝息を立てているトリスタンを、なじみの娼婦ブランゲーネが揺り起こした。

 昨夜イゾルデと別れた後、トリスタンは常連である娼家「愛の家」に向かい、そこでいつものようにブランゲーネを指名し、一夜をともに過ごした。「楽園」でイゾルデと美酒を味わい、その後の敵娼との「お楽しみ」で我を忘れる。すべていつもの通りであり、この週末のルーティンでトリスタンはようやく気持ちが安らぐのである。

 ――良心の呵責に押しつぶされる週末の儀式だ。

 うっすらと目を開け、ブランゲーネの褐色の肌を見て、トリスタンは心の中でつぶやいた。

 ブランゲーネとは、彼が従軍裁判官としてバイロイト軍に勤め始めた初日に出会い、意気投合した。彼は初任給を「愛の家」に娼妓奴隷として買われたブランゲーネの前借を一夜で返すことで使い果たし、それ以来週末の彼女は、トリスタンの指名しか取らない。それが、娼妓奴隷の債務から解放されても、夜の街で生きていく術しか知らない彼女の心意気だった。

 「朝食はいつもの通りね?」

 青い髪をさっと整え、黙って着替えるトリスタンに、ブランゲーネが確認する。「いつもの通り」とは、彼指定の葉巻に愛飲するブラックコーヒーだ。以前は彼女が朝食を作った。それを食べてから朝帰りするのが常だったが、いつの間にかトリスタンはその習慣を変えた。以前はそれなりに健康に気を遣っていたトリスタンだったが、最近ではより不健康で退廃的な生活を送っていた。まるで、自分をいじめることで罪から解放されると信じているかのように。

 「ああ」

 「キッチンに用意してあるわ。後でタクシーを呼ぶわね」

 「ありがとう」

 キッチンへ去ろうとするブランゲーネを、トリスタンの義手がとらえた。彼の目はうるんでおり、ブランゲーネははっとした。

 「どうしたの」

 「……いや。何でもない。いつもの通り、また来週」

 うつむくトリスタンの頬を、彼女は指でなぞり、優しく抱きしめた。

 「またいつもと同じ週末が来るわ。大丈夫よ」

 トリスタンが何におびえているのか、ブランゲーネは知らされていない。彼がどこに住み、平日にどのような生活を送っているのかも知らなかった。彼女はトリスタンと体でつながるしかない自分を嗤い、時に涙を流した。トリスタンには告げていないが、彼女は彼を愛していた。

 キッチンで「朝食」をとり、ブランゲーネが呼んだタクシーに乗って帰宅するトリスタンの携帯端末がブルブルと振えた。彼は素早くメッセージを確認する。

 「晴れた週末、ツバメの巣」

 ――謁見か。

 トリスタンはため息をついた。この言葉は、特別機動隊内での暗号で、教皇との緊急謁見の予定が入ったことを指している。トリスタンの相棒であるイゾルデは、教皇ハインリヒ二世のそば近く仕える側近中の側近で、その縁からトリスタンにも教皇直々の特命が入るようになっていた。

 「了解」

 簡単に返事をして、トリスタンは窓の外に目をやった。サングラスの向こうに、バイロイトの街が通り過ぎてゆく。朝の光は、あまりにトリスタンにはまぶしい。日中の陽光を避けるように、彼はサングラスをいつも着用するようになっていた。

 ――朝は、「地獄」から来た俺には似合わないな。早くハインリヒ猊下との謁見を済ませて帰ろう。

 トリスタンは、運転手にバイロイト軍駐屯地へと行き先の変更を告げた。寡黙な運転手は、はいと短く返事をしてハンドルを切った。彼は、いつもブランゲーネが指名するこの運転手の口数が少ないところを買っていた。ただでさえ憂鬱な週末を、楽天的な人間の饒舌に付き合わされてはたまらない。

 静かで生きる希望に満ちた朝のバイロイトの街を、闇夜が似合う死刑執行人「法服の殺し屋」は鬱々として駆けていった。

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