第3楽章 宿命の血が騒ぐ夜

 イゾルデは、修道院の宿坊に到着した後、就寝時のガウンに着替えて明かりを消し、ベッドに横たわっていた。彼の体の上では愛猫マルケが丸くなっている。イゾルデはマルケのさらさらとした長毛を規則的になでながら、物思いにふけっていた。

 なぜ彼があえて「イゾルデ」と女の名を名乗っているのか。その真実を知っているのは、教皇ハインリヒ二世と彼以外に知る者はいない。彼は神に仕える身として、神の子の子孫であるハインリヒ二世に忠誠を誓っている。そして、従軍司祭としてバイロイト軍の特別機動隊「高きミンネ」に所属し、トリスタンと組んで異端の駆逐に励んでいた。

 彼の仕事は、兵士の懺悔聴聞を通して異端ミリアム教信者の情報を得て、報告することにある。この情報に基づき、トリスタンは「神と法の御名において」黒い法服をはおって彼らを始末するのだ。トリスタンから「白い手のイゾルデ」と呼ばれるのも、報告で異端の処刑に関わっておきながら、実際に手を汚さない彼をトリスタンがからかっているのだ。

「ゼンタ……」

 我知らず、暗闇の中で先ほど見かけた美しい盲目の歌姫の名を呼んだイゾルデは、厳しい戒を保つ身として恥ずかしさに顔を赤らめた。

 (ゼンタは、確かに私の宿命につながっている。この血が騒ぐ彼女の美しいたたずまい……。彼女の何が、私を引きつけるのか)

 ゼンタの金髪に、見えない目を隠す黒い布。透明で水晶のように輝きを放つ歌声。ギターをつま弾く白い手。思い出すたびに、イゾルデの体の奥でじんわりと血と鼓動が波打つ。

 イゾルデの真実は彼しか知らない。だが、ゼンタの真実もまた彼女しか知らないのではないか。彼女をもっと知りたい。なぜ、女嫌いで神に仕える身として、勤行と異端のあぶり出しに熱心な彼が、彼女の歌を聴いただけでぞわぞわと内なる宿命が騒ぐのか。

 彼は心に浮かぶ様々な思いを追い続けた。窓から差し込む月の光が、彼の黒髪の艶を映し出し、マルケの被毛を柔らかくなでていた。

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