第6話

「ここまでが日曜の話」

 俺は何杯飲んだだろうか。よく覚えてなかった。まあ飲め飲めと周りの人間達は、俺の空いたビールジョッキにピッチャーからまたビールを注ぐ。

 土曜になり俺はGMCの飲み会へとやってきていた。あれだけ急な開催だったにも関わらず、全体の七割程度のメンバーがいるのが驚きだ。しかし俺と仲の良いメンバーは内藤しかいなかった。高良は予定が入っていたらしく、山根はバイトなので仕方なく、俺と内藤はさくらやの座敷席の隅の方で静かに飲んでいた、はずだった。

「そんな事があったのか」

「もう俺、どうしていいか分かんなくてさ」

 俺がまた注がれたビールを飲みながらそう言うと、周囲に集まっていたサークルのメンバー達がうんうんと頷いた。何故か分からないが、俺が内藤に相談を始めてしばらく経つと、メンバー達がワラワラと俺達の元に寄ってきた。面白そうな話の雰囲気に引き寄せられたのか、はたまた本当に何となく集まってきたのか。それはよく分からないが。

 とにかく俺は大人数に囲まれながら日曜の出来事を話すことになった。色々とあって鬱憤が溜まっていた俺は、飲み会初めからフルスロットルで飲んでいたので、もう大分酔いが回っている。

「連絡しても既読すらつかないし、もう俺はダメかもしれねえ」

 俺はまたジョッキからビールをあおる。周囲のメンバーたちは好き勝手にこの出来事の感想を言いながら、同じように酒を飲んでいた。

「とにかく今知りたいのはその男との関係性だよ」

「ただの友達じゃねえのは分かるんだけどな」

 そう、彼らが普通の関係じゃないなんて事は、あのヒステリックともいえるサキさんの反応を見てれば分かる事だ。ただ、俺たちが考えるにはあまりにも情報と経験が少なすぎた。おかげであの日から延々と悩み続ける羽目になってしまっている。

「愛さんなら何か知ってんのかなあ」

「愛が? なんで?」

 俺はビールジョッキを静かにテーブルの上へ置く。そしてあの日の事を少し思い出す。

「あのダブルデートの帰り、俺と愛さんで一緒に帰っただろ」

「ああ、そうだったね」

「別れる間際に言われたんだよ。『サキさんはやめておけ』って……」

 それを聞いて、内藤は意外そうな顔を浮かべた。何故愛さんが? とでも思っているのかもしれない。

「それを言うって事は、何かしら事情と言うか、理由を愛が知っているって事だね?」

「多分な。そうでもなきゃそんな事言わねえだろ」

 ふうむと唸って、腕組みをする内藤。その表情は相変わらずのニヤケ顔だったが、真剣に考えているという事は伝わってきていた。

「よっしゃ、愛に聞くか」

 そう言うと内藤はスマートフォンを取り出し、愛さん宛にメッセージを打ち込み始めたが、俺はその手を止めた。

「やめとけ、どうせ返ってこねえよ」

「なんでよ? 聞いてみないと分からんでしょ」

 何の疑いも無く俺に聞く内藤。俺はやれやれと首を横に振る。

「なんて聞くつもりだ? 『サキさんが怪しいから、あの日言われた事を教えてくれ』とでも言うか?」

「そりゃあ、まあ」

「そんなの絶対答えてくれねえって」

 周囲のメンバー達も「確かに」と言って頷いている。それを見て「何も知らないくせに」と思ってしまうのは、俺の悪い癖なのかもしれない。

「でも、サキさんとはあの日会っただけだし、そんな義理堅く言わないなんてあるか?」

「そりゃそうだけど……」

「女性の絆の強さ、舐めない方がいいですよ!」

 そう言って、ビールジョッキ片手に、元気いっぱいで俺たちの会話に割り込んできた女性。彼女は先ほどから周りで会話を聞いていたメンバーの一人だった。

「あの……どちら様で?」

 俺にそう聞かれた女性はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、ズイっとこちらに顔を突き出し答えた。

「砂尾 弓月(すなお ゆずき)! 通称ゆずちゃんでーす!」

「おいくつ?」

「……一九!」

「おーい誰だよ! 未成年に飲ませたの!」

 キラキラとした表情を浮かべた黒目がちな彼女は、ご丁寧に自分のあだ名と年齢まで教えてくれた。近くでよくよく見ると、その幼さが残った顔立ちよりも顔の赤さが気になる。これは酒で完全に出来上がっている時の顔だ。

「あの、大丈夫? お冷貰ってこようか?」

「へーきですよぉ! 大して酔って無いですし!」

 そう言いながら彼女はずりずりと近くへ寄ってくる。そして俺のすぐそばまでやってくると、右手をポンっと俺の膝の上に置いた。

「又木先輩は、優しいんですね、お話を聞く限り」

「そんな事無いけど」

 何に反応したのか分からないが、彼女は俺の膝に置いていた手をポンポンポンと叩いた。俺はその手を払いのける事無く、彼女の顔を見ていた。

「全然そんな事ありますよ! だってそんなに彼女の事気にかけるなんて、優しさ以外の何があるんですか?」

「あんな状況を目の前にしたら気にもなるよ。人間として当然だろ」

「いやいや、普通あんな状況になったら気にする以前に怒ってもおかしくないと思いますよ」

「まぁ……そういう奴もいるだろうな」

 キラキラしていた彼女の目が、一層輝き始めたように見えた。「でしょう!?」と言って、彼女は俺と内藤の間に割り込み、俺の正面で正座した。

「あれだけ仲良くしていた女に男の影が! しかも何か訳アリな感じ! 俺の存在って何? どうしたらいいの? ……みたいな」

 彼女があまりにいい笑顔で気にしていたところを全力でつっついてくるものだから、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

「ああ、そうだな、確かにそうだ」

「だからもっと怒るべきなんですよ又木さんは」

「でも又木は怒れないんだよ、彼女に惚れてるから」

 砂尾さんの後ろから顔を出し、俺達の会話に茶々を入れる内藤。俺は「うるせー」と言って手元にあったおしぼりを放り投げる。気持ちとしては顔面直撃を狙ったのだが、力なくおしぼりは手前に落ちていった。

「ダメですよ! 怒りをパワーに変えて行動しなきゃ! というか、そんなにいい人なんですか? 男の影がチラついても惚れちゃうくらい?」

 拾い上げたおしぼりで俺を指しながら喋る砂尾さん。そしておしぼりを捨てて両手を俺の膝の上に置いたかと思うと、見上げるような姿勢で俺の顔を見つめてきた。

「素敵な人だよ、間違いなく」

「ふぅーん、嫉妬しちゃいますね」

 いつの間にか、彼女は俺の方へと吐息がかかるほど近くに顔を寄せてきていた。周囲の人間たち、主に女性が俺たちの周りに集まり、慌てて砂尾さんを引き剥がそうとする。

 だが砂尾さんは動こうとしない。いつ顔が触れ合うか分からない距離で、俺の顔をジッと見つめていた。

「又木先輩って綺麗な目してる」

「……酔い過ぎだな」

「あはは、そうかも」

 彼女の頬が俺の頬についに触れた。熱を帯びたその肌は、瞬間的に熱いと感じるほどだった。そして耳元で彼女はボソリと呟く。

「先輩、素敵ですよ、安心してください」

 その言葉を言った瞬間、無理やり彼女は引き剥がされた。本人ではなく、周囲の人間がすいません、すいませんと俺に向かって謝ってくる。引きずられていく彼女の顔は笑顔で、何だか満足気だった。

「酔っぱらいにかき乱されたね」

 内藤はいつの間にやら注文していたお冷を片手に持ち、俺の方へと向き直った。

「……全くだな」

「……もしかして満更でも無かったかな?」

「うっせ、誰でもそうなるわ」

 俺は座敷の上に放り投げられていたおしぼりを拾い上げると、テーブルの上へと置いた。そして中身の残ったビールジョッキを代わりに手に取る。

「まあとりあえず、連絡取ってみるよ、サキさんに」

「でも返信来ないんだろ? 送るだけ無駄じゃないか?」

「『怒りをパワーに変えて行動しろ』って砂尾さんも言ってただろ? やるだけやってみるよ」

「あんな酔っぱらいの戯言を真に受けちゃダメだよ」

「理性の取れた酔っぱらいの言葉だからこそ響くものもあるのよ」

 俺はグイッとビールジョッキの残りを飲み干す。頭がくらくらする。酔いが回る。俺はそのまま天を仰ぎながら座敷に寝転がる。そして数秒後に俺の意識は途切れた。実にあっという間の出来事だった。

 次に気が付いた時にはもう店内に皆の姿は無く、俺の隣には内藤が座っていた。

「おっ、起きたか」

 起き上がった俺を見て、お冷を手渡してくる内藤。俺は何も言わずにそれを受け取ると、一気にそれを飲み干した。

「おう兄ちゃん! お友達起きたかい!」

 髭面が特徴的な『さくらや』の店主が、店内の掃除をしながらこちらへと話しかけてきた。内藤は片手を上げて「起きました」と大声で答えると、店主はいつもの笑顔を浮かべながら「閉店だから早く出てな!」と言った。俺はそんなに寝ていたのかと慌てて帰り支度を始める。ものの三〇秒で支度は完了した。店を出る前に店主に「すいませんでした」と謝ると、「また来てな!」と、やっぱり笑顔で返してくれたのだった。

「皆あっという間に帰っていったよ」

 俺の介抱をしている間に内藤の乗るはずだった最終電車は行ってしまった。流石に自分を介抱してくれた相手をそのまま放り出すわけにもいかず、必然的に俺の家に泊めることになった。

「感謝してほしいな、電車を逃してでも介抱したこの僕に」

「住んでるのここら辺のやつ沢山いるんだから、そいつらに投げればよかったのに」

「ま、さっき腰を折られたサキさんの話も、もうちょっとしたかったしね」

「なるほどね」

 俺達は歩いている道中でコンビニに立ち寄り、適当な食べ物と飲み物を買った。俺の冷蔵庫はいつも空っぽで、たまに飲み物がちょこっと入っているくらいだから、誰かが来たら何か買わなければいけないのだ。そして、俺の家へ向かって寄り道せず歩いていく。とは言ってもこの時間にやっている店はほとんど無く、街灯の明かりだけが夜道を照らしていた。

「ほら、着いたぞ」

 そして見慣れた俺の家にたどり着く。『さくらや』から一〇分もかかっただろうか。

「やはり立地神だな、このアパート」

「部屋もしっかりしてるんだぜ? 案外」

 この物件はかなり築年数が古いわりに、外装や内装はしっかりしている。セキュリティはほぼ無いので、女性というよりは男性向けの物件だと思う。そしてワンルームなので間違いなく一人暮らし用だ。俺は仕送りをもらっている上に、家賃も親持ちだ。払ってもらえるだけ感謝しなければいけない。

 一階の角部屋が俺の家だ。鍵を開けると、真っ先に内藤は部屋の中へと入っていき、ベッドの上へとダイブした。

「あー、このまま寝れるよ」

「人様の家に来てまずベッドにダイブするのやめろや」

 俺は持っていた荷物を部屋の隅にまとめて置くと、テーブルの周りにあったクッションを引き寄せ、そこに座った。

「で、どう思うよ実際のところ」

「考えてみたけど、正直言ってまだ分からないな」

 身体を起こし、ベッドの端に腰掛け直しながら内藤はそう言った。

「まず、例の男の人がどういう立場なのか、確証が無い。けど状況と言動、そして愛の言葉から考えるに、かなりサキさんに近しい立場なのは間違いない」

 彼はベッドの上へダイブする前にテーブルの上に置いていた、自分の買い物袋を漁りながら話を続ける。

「ただそれが、本当に僕らの想像する立場、つまり彼氏とか元彼とか……と、断言するには至らないと思うな。邪推は出来るけどね、それを本決まりにするのはちょっと待った方がいい」

 袋の中身をあらかた出して、テーブルの上に広げ終えた内藤。その中から水のペットボトルを手に取ると、ふたを開けて飲み始めた。そして一気に半分ほど飲み干す。

「けど彼女の反応を見る限り、限りなく黒じゃないかなと思ってるんだけど。本当になんてことの無い関係性の人間なら、あんないきなり泣いたりしないと思うし、何よりあれから音信不通になるのがおかしいでしょ」

 その瞬間。メッセージの着信音が一瞬静かになった部屋の中に響いた。「こんな時間に誰だよ」と思いながら、パンツの右ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、画面を見る。

「誰からだった?」

「高良からだわ、『お前の家行ってもいいか』だってさ」

「は? 何かあいつ用事あったんじゃないか?」

「確かそのはずなんだけどな」

 俺は「別にいいよ」とだけ返し、またスマートフォンをポケットにしまい込む。それからしばらく内藤とサキさんの事について話し合った。しかし少ない情報と酔いの回った頭ではあまり実のある内容にはならず、しょうもない事を延々と語るだけになった。それでもなんとか納得のいく答えが出てこないかと話していたら、チャイムが鳴った。どうやら高良が到着したようだ。玄関まで向かい扉を開けると、高良がいつもと比べて明らかに暗い表情をしてそこに立っていた。

「どうしたよ、お前」

 俺は思わず声をかけた。様子が大分変だ。

「最悪だよ」

 高良はそう言うと両手で顔を覆う。別に泣いている訳では無いようだが、とにかくひどく落ち込んでいるようだった。

 とりあえず俺は高良の肩を抱き、部屋の中へと引き入れる。内藤が場所を作ってくれたので、そこに彼を座らせ、俺も隣に座った。そして俺は彼にまだ蓋を開けていないペットボトルのお茶を渡すと、何があったのか優しく聞いた。

「何があった?」

「また騙された……」

「おいおい、騙されたって、お前今日何してきたんだ?」

 彼は先程まで顔を覆っていた手を、あぐらをかいた膝の上に置き、そしてため息をついて肩を落とした。

「合コンでさ、仲良くなった女の人と会う約束をしてたんだ」

「いい事じゃないか」

「店も彼女が選んでくれてさ、ホントいい子だなと思ってた」

「素晴らしいじゃないか」

「そしていざその店に行ったら何があったと思う?」

 思い出すのも忌々しいと言わんばかりに、またため息をつく高良。

「さあ?」

 おおよそこのあとの展開は想像がつくが、とりあえず俺は分からないふりをした。

「俺に紹介したい『先輩』と得体の知れない商品の数々だったよ。しかもその店の従業員もお仲間という地獄みたいな場所だった」

 また彼は大きなため息を一つ吐き出すと、あぐらをかいていた自分の膝を叩いた。

「大丈夫だったか? 契約とかしなかったよな?」

 俺は思わず聞いてしまう。本当にそんな事があるんだなと、少し感心してしまっていた。

「ああ、そこは問題無い。俺のメンタル舐めてもらっちゃ困るな。四時間半近く軟禁されたけど、契約書にサインしなかったぜ」

「それって通報しても良かったんじゃないか」

 先程から心配そうに聞いていた内藤が話に入ってきた。

「だから軟禁なんだって。携帯もまともに使わせてくれなくて。それに常に三人くらいが俺のこと囲んでたから、席も立てないんだよな。便所に行くときも一人必ず着いてくる徹底ぶりよ」

「それでどうやって逃げたんだよ? 絶対逃がさねえフォーメーション組んでるじゃん」

「それを聞いて欲しかったのよ」

 俺の言葉を聞くと、その言葉を待ってましたと言わんばかりに俺を指さして、高良は顔を見つめてきた。そのあまりに迫真の真顔を見て、思わず俺は笑ってしまった。

「まず腹痛いですって嘘ついて、トイレの個室に入り込んだんだ。流石に個室の中まではついてこないから、そこでメッセージを送ったんだよな」

「誰に?」

「知り合いのちょっとヤンチャな先輩」

 高良は先ほど俺が手渡したペットボトルのお茶に口を付けながら、話し続けた。

「事情話したら仲間連れて来てくれるって言い始めて、俺は位置情報を送ったんだ。そして席に戻ってしばらく待ってたら、四人くらいの如何にもヤバそうなお友達と店に乗り込んできてくれてさ。その方々がドスを効かせて威嚇してる間に回収してもらったわけ」

 一通り語り終えたのか、高良はペットボトルの蓋をキュッと締め、テーブルに置く。

「で、そのまま帰ってこれたの?」

「まあ、やっぱりタダとはいかなくて……コンビニでめっちゃ酒とか色々買わされたんだ。そしてそれを献上しておしまい。おかげで財布の中身がヤバいよ」

 そう言ってポケットから財布を取り出すとレシートを取り出し眺める高良。脇から見る限りでも、中々辛そうな金額だった。

「更に言うならその先輩に借りを作ったのもヤバい気がする」

 高良は手に持っていたレシートをぐしゃっと握りつぶすと、手のひら同士で丸めてポイッとゴミ箱へ向かって投げ捨てる。それは彼のやけっぱちな思いのようにも見えたし、また一つの嫌な記憶を捨て去るかのような動きにも見えた。

「まあ、何と言うかご愁傷様だったな」

「と、いうか僕たちにメッセージ送って通報させればよかったんじゃ?」

「あー……なるほど……」

 俺は高良の肩を軽く叩く。嫌味でも何でもなく、彼を労ってやりたかった。色々と彼は報われない事が多すぎる。正直言って可哀想だ。

「でも飲んでたのがここらへんでまだ良かったな」

「いや、中心街だけど」

「は? じゃあなんでココにいるんだよ?」

 至極最もな疑問が内藤から高良へと飛ぶ。そう、ここは中心街から電車で二駅離れた学生街の近く。高良の家は別方向である。そして軟禁から解放されたと思わしき時間帯には、電車が無いはずなのだ。なので、「何故高良がここまで来れたのか」そして「何故ここに高良がいるのか」の二点が疑問として上がってくる。

「ああ、それは先輩に送ってもらったから」

「こっち方面に? なんで?」

 何故か正座をしていた内藤が膝を崩しながら高良へ問いを投げかける。

「そもそも先輩の家がこっち方面で、その途中までなら乗せてやるって言われてさ、一刻も早くその場から逃げたかった俺はお願いしたんだ」

「で、学生街ど真ん中で降ろしてもらって、このままネカフェでも行って寝ようかなとか思ってたんだけど、誰かに話したくてさ今日の事。それで、誰かいないかなと思って考えてたら、又木が思い浮かんで……」

「そしてこんな夜中に来たってわけか?」

「ご名答」

 俺に向かって指差しながら、苦笑いを浮かべる高良。先程よりはいくらかマシとはいえ、表情はいつもより暗く、疲労の色も見えた。正直言いたい事は山ほどあるが、それを今問い詰めるというのも酷なような気がする。少なくともかなりの異常事態から抜け出してきたのは間違いないのだから、労ってやるのがいいのだろう。そう思った俺は、とりあえず夜中に押しかけてきた事については何も言わない事にした。

「で、お前らは飲み会どうだったんだよ! 楽しかったか!」

 先ほどから一息ついたタイミングで、高良は急に俺達に話しかけてきた。おそらくカラ元気であろう、そのテンションの高さに若干面食らったが、すぐに俺達はそれに答える。

「楽しかったよ、いつも通り内藤と飲んでたけど」

「又木が砂尾ちゃんに絡まれてて面白かったよ」

「は? 砂尾ちゃんって、あの一年の可愛い子だろ?」

「知ってんのか、お前」

 先ほどまで死んでいた高良の目の色が変わった。いつもの、出会い系だとか合コンだとかを語るときの、あの目の輝きが戻ってきた。

「そりゃあお前、入ってきた時にめっちゃ話題だったんだぜ。この掃き溜めの飲みサーに可愛い女の子が入ってきたって」

「他の女性陣に限りなく失礼な物言いだなそれ」

「まあ、そんな事どうでもいいんだよ。砂尾ちゃんに絡まれたって何?」

「酔っぱらったその女の子に近寄られただけ」

 そう言って俺は肩をすくめる。これ以上でも、これ以下でも無いのだから言いようがない。

「又木、嘘を言っちゃいけないよ。こいつ、何と砂尾ちゃんと頬を合わせてお話してたんだよ」

「頬を合わせて!?」

 内藤が余計な事を高良に吹き込んだ。これは面倒くさくなるぞと直感的に感じる。

「おいコラ、頬を合わせたってどういうこったよ! 状況が理解できねえぞ!」

「状況も何もその通りだよ、ほっぺとほっぺを触れ合わせてお喋りしたの」

「だから! その状況に至るまでが理解できねえって言ってんの!」

 自分の太ももをバンバン叩きながら俺を問い詰める高良。まいった、内藤が余計な事を言うから説明しなければいけなくなってしまった。

「俺と内藤でちょっと色々話してたら、その話に割り込んできたんだよ、彼女が。そして彼女も一緒になって話してる間に、いつの間にか彼女にどんどん距離を詰められてて……」

「そして二人は熱い口づけを……」

「交わしてねえよバカ」

 人が真面目に話そうとしているのに、茶々を入れてきた内藤を軽く小突く。高良は先程から興味津々で話を聞いている。

「お前らどんな会話してたんだよ」

「いや別に普通の話だけど」

「嘘つけ! ただの世間話でそんな事になるか!」

「何か……やべー会話してたんだろ、爛れてんな!」

 俺は一つため息をつく。確かにやべー会話と言われればやべー会話なのだが、それは高良に聞かれると面倒くさいという意味でやべー会話なのだ。しかしこうなってしまったからには、話さなければならないだろう。俺は出来る限りオブラートに包んで、彼に色々とバレない程度に今回の出来事を伝えることにした。内藤は悩む俺を見ながらニヤニヤしている。全く腹が立つ。

「あのな、男女関係のもつれについて話してたんだ」

「俺と又木には関係無い話だな!」

 まだ俺の事情を知らない高良は謎のドヤ顔を浮かべながらそう言った。サークルメンバーに聞かれたことだし、そろそろ彼にバレてもおかしくない。ただ今は否定するのも面倒くさいのでそのまま話を進める。

「出会ってから今までデートとかして仲良くしてきた女性がいたんだと」

「ほう、羨ましい話だ」

「で、ある日デートの途中に見知らぬ男性と出会った」

「なんか嫌な予感がするな」

「するとその男性はいきなり女性を呼び止めたんだ。で、その男性と女性が揉め始めて、その後女性は怒ってなのか、気まずくなってなのか、泣きながら帰ってしまった」

「ええ……?」

「この流れで分からないことが三つある」

 俺は三本指を立てて、それを顔の前に突き出した状態で話を続ける。

「まず、その男性は誰なのか正体が分からない」

「そしてその男性と女性の関係性も分からない」

「その当事者もどうしていいか分からない」

 一つ一つ言うたびに指折り数える俺。三つ全て言い終えると、高良は「うーん」と唸っていた。

「それを解決するために話をしてたら、何故か酔っぱらいの砂尾さんが絡んできて、そうなったの」

 それを聞いた高良は「なるほど」と、全く納得していない感じの声で返事を返してきた。まあ、話している本人でさえも嘘っぽいと思えるような流れなのだからしょうがない。

「で、結局本筋の話は解決したわけ?」

「おっ? 砂尾ちゃんはどうでもいいのかい?」

 内藤が会話に割り込む。コイツはさっきから程よいタイミングで入ってきては会話を荒らしていくのがムカつく。

「なんで砂尾ちゃんと頬を合わせたかはよく分からんけど、話は分かりやすいじゃん」

「じゃあ高良はあの話どう思う?」

 内藤が高良に問いかけると、少し渋い顔をして、腕組みをしながら高良は答え始めた。

「俺の想像なんだけどよ、多分その男性は彼氏だな!」

「おいおい、彼氏がいるのに他の男とデートしてたのはおかしくねえか?」

「彼氏と上手くいってないから当て付けに遊んでただけじゃね? そして彼氏に運悪く会っちゃって、逆切れして揉めたんだろ」

 徐々に上がっていく高良のテンション。会話もノってきたようだ。先ほどまでの落ち込み具合はどこへやらといった具合で話し始める。

「で、話してたら結局色々と感情がぐちゃぐちゃになって泣いたんだよ、きっと」

「随分分かったような話し方するじゃん」

「だって泣いてるんだぜ、そんなの痴情のもつれくらいしかないでしょ」

「……そうか?」

「うん、間違いないね」

 高良は先程の俺と同じように三本指を立てて顔の前に突き出す。

「だから挙げられてる疑問点に答えるとだな、その男性は彼氏。女性とは深い仲にある。当事者は完全に遊ばれてるだけだから、怒るくらいしか出来ない。かわいそうな話だよ、本当に」

 俺は高良の解釈を聞いて非常に不快な気分になってしまった。指が一本一本折りたたまれていくたび、その気分は跳ねあがっていった。その理由は話の内容に一理あると感じてしまったからに他ならない。そして、なんだか彼に全て見透かされているような気がして、俺は酷く苛立ちを覚えた。

「……じゃあ、そういう事でいいよ、もう寝るぞ」

「ええっ!? 何でだよ! 今ノッてきたところなのに!」

「うるせーよ、もうそろそろ三時だぞ、眠くもなるわ」

 そう言ってベッドへと寝転ぶ俺。布団の上に適当に広がっていたタオルケットを適当に掴み、身体にかけて寝る態勢に入った。

「お前らも寝ろよ」

 話足りなさそうにしていた二人も、家主が寝る姿勢を全面に押し出しているにも関わらず、起きてるわけにもいかないと思ったのか、床に置かれている適当なクッションをその日の枕に決めて、床に寝転んだ。俺はそれを見届けると、枕元のリモコンを押して天井の電気を消し、壁の方へと身体を向けた。

 今、俺の心の中はグチャグチャだった。さっきの話をただの高良の妄想だと楽観視する気持ちと、本当にそうなのではないか、俺は遊ばれていただけなのではないかと言う苛立ちと落胆の気持ちが頭の中で渦巻いている。

 もし仮に高良の推理が完全に当たっていたとする。その場合、俺は完全に捨てられた事になる。当て付けで遊ばれて、彼氏に見つかったから放り投げられ、俺の気持ちは宙に浮いたまま。そんなのは嫌だ。嫌だけれども、どうしようもないのも事実だ。

けれども俺はサキさんの事が好きだ。好きで好きでたまらない。それがこの一週間で痛いくらい分かった。どうにかしてサキさんの元に戻りたい。そして彼女とまた仲良く遊んで付き合う。そのためにもどうにかして……。

 どれだけの間だろう、答えの出ない問答を延々と心の中で繰り広げる。どんなに考えても、結果は悪い方向に向くばかりで、どうしようもなかった。そしてゴロンと寝返りを打つ。気が付けば窓の外からはもう、朝の日差しが差し込んでいた。酒があんなに入っていたにもかかわらず、結局俺は一睡もすることも出来ずに朝を迎えてしまった。とりあえずベッドから起き上がって立ち上がると、テーブルの上に置かれていた飲みかけのペットボトルのお茶を手に取り、口を付ける。足元には、まだ寝入っている二人がまさしく床に転がっていて、内藤にいたっては心地よさそうにいびきをかいて寝ていた。そして一つ伸びをした後、俺は床に寝転がっている二人を起こすことにした。

 俺は二人が枕にしているクッションをそれぞれ思いっきり引き抜く。別に時間とかは関係なく、ただ何となく起こしたかっただけだった。今の俺の気持ちを晴らすかのように。急に叩き起こされた高良と内藤は、二人揃って何事かと跳ねるようにして起き上がった。

「なんだよお前!! 急に!!」

「お前、起こし方ってものがあるだろ……」

 高良も内藤も困惑と怒りが混ざり合った口調と態度で俺の方へ抗議をしてくる。そんな彼らの姿を脇目に、俺はカーテンを開けて窓の外を眺める。朝日が白く眩しい。

「まあ外見ろよ、いい天気だぜ」

 そうして窓の外を眺めていると、後ろからクッションを投げられた。それは見事に後頭部に直撃し、俺は若干よろめいた。

「おいコラ、投げんな」

「まだ七時じゃねーかよ」

 スマートフォンの画面を見つめながら大きなあくびをする高良。

「四時間しか寝てないよ~」

 バキバキと音を鳴らしながらグーッと身体を伸ばす内藤。流石に硬い床の上でクッションだけを枕にしていたのでは、あまり休めていないのだろう。まだ二人とも顔が寝ている。

「もう存分に休んだだろ、あとは自分の家でゆっくり寝ろ」

「もう少し寝かせてくれても……」

「いーやダメだね、さっさと帰れ帰れ」

 そう言って彼らを急かし、俺の部屋から追い出した。最後まで高良と内藤は恨めしそうにこちらを見つめていたが、俺は引かなかった。

「じゃあな、今度はもっと寝かせてくれよ」

「無理無理、今度はクッション無しで寝かされるって」

「悪かったよ、とりあえず今日は帰ってくれ」

 出ていく彼らの背中を見送り、俺は一息つく。そして、「よし、決めた」と、一言呟いた。とりあえず軽くベッドの上で横になって休んだ後、起き上がった俺はいつものデートのように身だしなみをキッチリと整える。髪を整え、服もお気に入りのものを着る。そしてカバンの中に財布とスマートフォンを突っ込んだことを確認した俺は、中心街の駅へと向かう。

 駅へ向かう道中で、俺は何回もサキさん宛のメッセージを見返していた。俺はモヤモヤを抱えた心の中の霧を晴らすように、画面をタップして文字を打ち込んでいく。そして相変わらず返信も無ければ既読もつかないサキさんのアカウントにメッセージを送った。「今日、いつものところで待っています」と、一言だけ。

そんな事を考えているうちに、俺は最寄りの駅へと到着した。改札を通り抜け、ホームへと階段を上っていくと、丁度電車がやってきたのでそれに飛び乗る。俺が今からやろうとしている事は、無謀で、馬鹿で、意味の無い事だ。けれど、今の気持ちを落ち着かせるためにはこれをするしかないと思った。吊革に掴まり電車に揺られながら、俺は心を決めた。

『次は―、お出口は進行方向、向かって右側です―』

 中心街へとやってきた俺は、改札を出ると駅の人の往来から少し外れた、男性の彫刻の前へと一直線に向かった。そう、俺と彼女の「いつものところ」へとやってきたのだ。既読がつかないならば、こちらが勝手に待ってやればいい。

今日、俺は待つ。一方的に送り付けて、やってくるまで待つ。ストーカーっぽい、気色が悪い。何とでも言ってくれ。俺は彫刻の写真を撮ると、それをサキさんへ送りつけた。

 日曜、朝の九時。よく晴れた夏の空。太陽の光が燦々と照りつけていた。

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