第4話

 俺たちは地下鉄に乗っていた。動物園はこの路線の終点の駅が最寄りである。相変わらずこの路線は乗客が少ない。休日の昼下がりにも関わらず、ゆったりと座れる余裕があった。

「うそぉ、そうなの」

「そうなの、あれってこうなってて……」

 電車内ではカフェから引き続き、主に女性陣がしゃべり続けている。何の気なしにその会話の様子を眺めていると、隣に座っていた内藤がトントンと肩を叩いてきたので、俺はそちらへ振り向く。

「なあ、どうして女性ってのはあそこまで話せるんだ?」

「知らねーよ、俺も聞きたいくらいだ」

 こいつもどうやら俺と同じことを考えていたようだ。まだ出会って一、二時間しか経っていないのに、まるで数年来の友人のように会話している。それは元来のコミュニケーション能力も関係しているだろうが、女性のおしゃべり自体が止まらないものなのだろう。そうでないとこうなっている理由が分からなくなる。

「それにしても動物園なんて何年ぶりに行くんだろ」

「俺も同じくだよ」

「何したらいいのか分かんねーや、動物見てキャーキャー言っておけばいいのか……」

「ま、行ってみて考えるしかねーな」

 デートっぽい所に行きたいとの要望なので、俺たちもデートっぽいことをする必要があるだろう。それは何かと聞かれれば、動物を見ながらコミュニケーションをとって、のんびりと歩くことくらいだ。そうこうしているうちに地下鉄は終点の駅に到着した。およそ一四分ほどの乗車時間だった。

 到着した動物園は、実に年季が入っていた。入口やチケット売り場は修繕が多々入っているため少し綺麗なのだが、中に入ると所々に古さが見える。動物園と言うスポットと相まって、実に何と言うかノスタルジーな気分になるような場所だった。それでも日曜の昼下がりだけあってそこそこ人は居て、やはり腐っても動物園なのだなと思い知らされた。

「キリンだ! ゾウだ!」

 まずテンションを上げたのはサキさんだった。目の前に見える動物達の名前を呼ぶ。

「シマウマだ!」

 次に盛り上がったのは愛さんだった。先程までの落ち着いた様子はどこへやらといった感じだ。

 興奮気味な彼女たちと動物の展示コーナーを見ていくと、古さとは反比例するように動物たちは元気に檻の中を歩き回っている。それを見る女性陣も元気いっぱいといった感じで、様々な動物たちを見てはパシャパシャと写真を撮りまわっていた。ゆっくり話しながら見て回るのだろうという予想が外れた俺と内藤は、はしゃぐ二人の様子を眺めながらのんびり歩く。楽しそうな女性を眺めて過ごすのも意外と悪くないものだ。

「楽しそうで何よりだね」

 内藤も同じように考えていたらしく、しみじみとこぼすように呟く。

「ああ、何か見てて癒やされるよな」

 俺もその言葉を聞いて同感といった感じでうなずく。それからしばらくはこの調子で皆歩き回った。テンションが落ち着いたのは、園の真ん中にある休憩所に着いた時だった。

「ふぃー、撮った撮った」

 ベンチに腰掛けながら、満足そうにスマートフォンで撮った写真を見直しているサキさん。

「私も結構撮れたな」

 その隣で互いの画面を眺めながら写真を見比べている愛さん。中々満足行く写真が撮れたようだ。

「楽しんでるようで何より」

 そう言って内藤が愛さんの隣に腰かける。俺もそれに合わせるようにしてサキさんの隣に座った。

「折角のダブルデートだし、何か特別な事したいな」

「特別な事?」

 そう俺が内藤に問いかけると、彼は顎に手を当てしばし考え込んだ。そしてしばらくの沈黙の後、口を開いた。

「二対二で別れてみるんだ」

「もう既に二対二じゃない」

 サキさんがすかさずツッコミを入れる。確かにその通りだ。俺はそれにフォローを入れてやる。

「四人をシャッフルしてって事だろ?」

「そう、それ」

「いいねえ! 何かそういうのゾワゾワしちゃう」

「ゾワゾワしちゃうって、なんでよ」

 サキさんの発言がツボに入ったのか、笑い始めた愛さん。こういう時にアハハと笑うサキさんとは逆で、クスクスといった感じの笑い方をしていた。

「だって愛ちゃんか内藤君が私と一緒になるんでしょ? それって相手の物を奪い取るみたいで、何かちょっと背徳感あるよね」

「やだ、奪われちゃう」

「キャー」と言いながら自分を抱きしめる愛さん。「グヘヘ」と言いながらサキさんが寄っていくのを、俺がグイッと引き剥がした。そうこうしているうちに内藤は拳を突き出して構えている。

「じゃあ、ジャンケンで決めるぞ!勝った方と負けた方で別れる事!」

「いくよ! じゃーんけーん……ぽん!」


「で、なんでお前と一緒なわけ?」

「しょうがない、敗者は敗者同士傷を舐め合うんだ」

 先ほどのジャンケン勝負の結果、俺と内藤は負け、愛さんとサキさんが勝った。おかげさまで野郎同士で一緒に回るという、考えたくも無い事態になった。俺と内藤はランデブーを楽しむことになったのだ。この後は勝者側と敗者側で二手に分かれて歩き、出口で合流するという流れになっている。

「まったく、お前の思い付きには呆れるよ」

「しょうがねえだろ、ジャンケンで分けるとかいう馬鹿な真似をしちゃったんだから」

「大人しく愛さんと俺、サキさんと内藤で分けときゃ良かったのにな」

「その場のノリって奴は本当に恐ろしいな」

 何故か一匹も居ない猿山を眺めながら柵にもたれかかる俺。内藤も同じようにもたれかかった瞬間、後ろから声をかけられた。

「おにいちゃんたちはなにしてるの? おさるさんいないよ?」

 声の主は小さい男の子だった。俺たちはもたれかかった身体を起こすと男の子の方へと歩み寄り、視線を合わせるためにしゃがむ。

「お兄ちゃんたちはな、世の中の不条理について考えてたんだ」

「ふじょうりってなにー?」

「大人になると皆経験する事だよ」

「へー」

 そんな事を話していたら、男の子の母親がやってきて、「すみません」と謝りながら男の子の手を引き、離れていった。「バイバーイ」と手を振ってくれたので、俺たちも小さく手を振って見送った。

「動物よりいい見世物になってるな」

「そりゃあお前、いい年した男が二人して並んでりゃあ気にもなるってもんだろ」

「いい年って、僕たちまだハタチだよ?」

「ハタチも子供から見りゃいい年だよ……」

 そして俺たちはしばらく無言で歩いた。場内に動物たちの鳴き声が響き渡っているのがよく聞こえる。

「そういえば、又木はサキさんとはどこまでいったの?」

 沈黙を最初に破ったのは内藤だった。このクソほども楽しくない状況を打破しようと口を開いたのかもしれない。

「どこまでもクソも、まだ何もねえよ」

「えっ、あんなに仲良さげなのに」

「だからまだ会って二回目だって言ってんだろ」

「一回目でもう何か致してるのかと」

「バカお前、そんなこと出来る度胸は俺にはねーよ」

「本当かな? それにしちゃあ距離感が近すぎるつーか……」

 男二人が集まれば、やはり喋る事はこういうものになってくる。女性が集まれば姦しいが、男が集まればいやしいのだ。

「お前もさあ、愛さんと出会って付き合ったのは、フィーリングだ運命だなんてカッコイイこと言ってたけどさ、結局のところ顔が良いから猛アタックかけた結果上手くいったんだろ?」

「あー、それは否定しないな」

 そう言って歩きながら腕組みをする内藤。何かを思い出すかのように、顔は少し上を向いていた。

「何回目かのデートで行ったレコードショップでさ、こう彼女が必死にレコード探してて。その横顔がたまらなく綺麗で、僕はもう完全に惚れたんだ」

「何だよノロケかよ」

 ケッと言葉を吐き出し、俺も同じように腕組みをして歩く。内藤は相変わらずのニヤケ面で続けて話す。

「何でもそうだけど、熱心な女性の横顔って美しいよね。そういう一面を見て惚れるってのはおかしなことじゃないんだよ」

「そんなもんかね」

「そんなもんだよ」

 そうニコリと笑って言いのける内藤は、女性にどれだけ揉まれてきたのだろうかと思うくらいの風格を漂わせていた。二年前までは男の花園にいたとは思えないほどで、俺は思わず笑ってしまった。

「お前、本当にこの数ヶ月で変わっちまったな」

「そうかな?」

「うん、なんつうか余裕が出てるよ」

「それもこれも全部彼女のおかげだね」

 恋は人を変えるという言葉があるが、まさしくそれは内藤にも当てはまるだろう。俺は何だかそれを見て、少し羨ましくなった。

「又木はサキさんのどこが気に入ってるんだい?」

「俺か? 俺は……」

 俺はその言葉を聞いて、少し悩んでしまう。まだ会って二回目、メッセージも軽いやり取りしかしていない。はっきり言って分からないことだらけじゃないかと、今更ながら思う。

 それでも好きなところは、ある。

「サキさんはさ、やっぱ何でも受け入れてくれそうな雰囲気があるじゃん。実際今日もダブルデートなんて無茶をいきなり言ってオッケー出してくれたし」

「包容力がありそうって意味か?」

「それともまた違うな……余裕綽々でいるとこがいいよなって思うんだよ」

「なるほどね」

「それでいてちょっと子供っぽいとこもあって、そこがまた可愛らしいというか……」

 そう言った瞬間、ハッとした。俺は会話のトーンをダウンさせる。

「……うん、まあそんな感じだよ」

「どうした、もっと語ってくれてもいいんだよ?」

「まだ俺は全然彼女のことを知らないからさ、まだ語るには早いかなって」

「又木は真面目過ぎだな、もう少し緩く考えていいんだ」

 話しながら歩いていたら、俺達はいつの間にか出口にたどり着いていた。端の方で立ち止まり、女性陣を待ちつつ会話を続ける。

「どうせ男同士の会話なんだし、もっと欲望に忠実になるといいんだ」

「欲望ねえ」

「サキさんのあの胸に顔をうずめてー! とか」

「バカお前、こんな所で言うやつがあるか」

 俺は思わず内藤の方へ向き直ってしまった。内藤は顔をいつもよりさらにニヤニヤさせながら喋り続ける。

「だってそうだろ? あれ見てそう思わない男は存在しないよ?」

「お前サキさんをそんな目で見てたのか」

「へっへっ、まあまあ」

「愛さんと言う存在がありながらお前……」

 本気で俺は呆れた。それと同時にやはり男だなとも思った。正直、サキさんの身体は整っていると思う。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。それが服の上からもよく分かるくらいなのだから相当だろう。

 一方愛さんはスレンダーという印象で、またタイプが違う体形をしている。

「愛もいい身体してると思うけど、やっぱりそこはね……」

「まぁ、そこはな……」

「何がそこなの?」

 気が付けば、だった。俺たちの前に愛さんが立っていた。いつの間にか音も無く立っていた彼女に、俺たちは動揺した。

「よっ、お二方、いいデートだったかい」

 サキさんが愛さんの陰からヒョコっと出てきた。先ほどの会話のせいで、目がどうしても二人の胸元に行ってしまう。彼女たちもそれを感じたようで、何とも怪訝な目でこちらを見つめてきた。

「ねえ、何か変じゃない君たち」

「確かになんか目線が……何話してたの?」

 そう言ってジロジロとこちらを見つめる二人。

「いや別に普通の事を話してただけだけど」

「そうそう、世の中の不条理についてとか」

 俺たちは精一杯目線を逸らしながら返答した。眼前に確かに存在する【世の中の不条理】について話していたのだから、間違ったことは言っていない。

 俺たちは嘘をついていない。

「ふーん、そう」

「是非教えてほしいね、不条理について」

 詰め寄ってくる女性陣。俺たちは思わず一歩、二歩、後ずさりした。何だかマズい予感がする。俺は直感的にそう思った。これは適当な事を言って誤魔化すしかない。

「何てことは無いよ! この世における格差社会を憂いていただけ!」

 内藤も同じ意識を持っていたようで、必死に取り繕っている。

「そう! 何故埋められない差は発生してしまうのかというね!」

「例えばそれは私のココとか?」

 そう言って自分の胸元を指さす愛さん。俺たちは慌てて否定する。

「そんなそんな! とんでもない!」

「そんな事内藤が気にする訳ないじゃないですか!」

 俺達は全力で否定する。我ながら白々しいと思うが、ここで言わなければ完全に今までの発言は意味を成さなくなってしまう。

「……そう?」

「そうだよ! 愛は全部いいとこだらけだよ!」

「じゃあ、何が不条理なの? 格差社会なの?」

 言葉に詰まった内藤が助けを求めるようにしてこちらを向く。俺も助けてほしいくらいなのに、そんな目でこちらを見つめられても困るのだが。諦めろの意を込めて俺は首を軽く横に振った。

「ねえ、ねえってば」

「ううっ……それはですね……」

 もうダメだ。誰もが、主に俺が思った瞬間、内藤はハッと目を見開いた。そしてまるで天啓でも降りてきたかのように、一瞬動きを止める。何事かと思って見ていると、俺の方を向いて内藤はニコニコと笑い始めた。

「……又木君が、サキさんの胸に顔をうずめてえ! と発言いたしまして」

「は?」

「こんなところでそんな発言は止めろ! と説教したんです」

「しかし彼はサキさんと他の女性の胸囲格差について熱く語り始めました」

 こいつ、開き直って俺に罪を擦り付けるつもりだ。内藤は熱を込めて喋り続ける。いかに俺が酷い発言をしていたかをでっち上げながら。

「それはもう饒舌に語っていて、まさしくこれは不条理だとか、格差社会であるとか! そりゃあもう酷かったんです!」

「おいおいおいおい、ちょっと待てよ、何で俺がそんな事言うんだよ」

 流石の俺も黙ってはいられない。これ以上適当な事を言われて俺の名誉を傷つけられては困る。

「ははん、恥ずかしくなったからって逃げはよくないな」

「お前が! 言ったんだろうが! 全部!」

「さあ? 僕は何も……」

 言った言わないと男同士で言い合いをしていると、サキさんが寄ってきた。そして俺の間近に立ち、顔を覗き込む。

「……本当に言ったの?」

「まさか、言う訳ないだろこんな場所で」

「じゃあ、こんなとこじゃ無かったら言ってたんだ?」

「そういう意味じゃ……」

 その瞬間はいきなりだった。顔がサキさんの方に引き寄せられ、急に視界が真っ暗になった。そして柔らかい感触が、顔いっぱいに広がっている。今俺は彼女の胸に抱かれているのだと気が付くまでに、少々時間がかかった。

「えっ!? えっ!?」

「全く、悪い子にはお仕置きです」 

 俺の視界は完全にサキさんの胸元で覆われていて真っ暗で、彼女の柔らかさと、甘い香りしか分からなかった。愛さんの「きゃっ」という短く上がった声と、内藤の「おおう」という感嘆の声がかろうじて聞こえた。

「ちょっ、離して」

 俺は思わず離れようとするが、意外と力強いサキさんの両手から中々逃れられなかった。それに暴れれば暴れるほど、胸の柔らかさを堪能している人みたいになってしまう。

「いい? 身体を他人と比べるなんて事しちゃダメ、人それぞれ、皆違って皆良いんだから」

「分かった! 分かったから離してくれ! 俺が悪かったです! 恥ずかしいから勘弁してくれ!」

「ダメ。何か可愛いからこのまま」

「はあ!?」

 そうして俺は当分の間されるがままだった。時折少し抵抗してみたが、やはりその度にギュッと締め付けられるので、無理だった。

「ままぁー、おにいちゃんとおねえちゃんなかよしだねー」

 どこからか、さっき聞いた子供の声と「いいから行くよ」と少し焦った親の声が聞こえる。離してもらえたのは、その声を聞いてからしばらく経っての事だった。

「はあ、満足した」

「……満足したって、反省させるためにやったんじゃねえのかよ」

「そうでした」

 そう言ってアハハと笑うサキさん。この人は、一体何なのだろう。いつもやることなすこと突拍子で、掴みどころが無い。

「あのー……」

「そろそろよろしいでしょうか……」

 いつの間にか離れて、こちらを伺うように眺めていた内藤と愛さん。やはりあの状況で隣に立って眺めるという事は出来なかったか。

「うん、ゴメンね、お待たせ」

 彼女たちの方へと向かって歩いていくサキさん。俺もその後を追って歩く。そして四人揃うと「行こっか」とサキさんが先導して出口へと向かった。

 そして出口から出て、駅へと向かう道中で俺は女性陣二人から少し離れた場所を歩いていた内藤の肩を掴んだ。

「おい、内藤」

「なに?」

「なに? じゃねーよ! お前、絶対許さんからな」

「なんでだよ? だって望みは達成されたじゃないか」

「いつ俺が望んだんだよ、言ったのはお前だろ!」

 そう言って掴んでいた肩を揺らす俺。それでも内藤は楽しそうに笑っていた。

「まあでもいつかそうしたかったのは事実だろ? まさかここでやるとは思わなかったけど」

「本当お前……覚悟しとけよな」

「ふっふっふ、もっと自分の欲望に忠実にだよ、又木!」

 何か言い返そう、やってやろうと考えているうちに駅に着いてしまった。俺たちはまた地下鉄に揺られて、中心街へと向かう。また一四分ほど揺られる事になる。

 来るときよりも車内は混み合っていて、座る席も二人分しか無かったので、女性陣を座らせて男たちはその前に立っていた。

「この後どうする?」

 内藤が俺たちに問いかける。俺達は先程から基本ノープランで動いているので、予定は未定だ。

「適当に買い物でもする?」

「いいよ、それでも」

 愛さんの提案に俺は適当に乗っかった。まだ夕方四時頃だし、とりわけ行きたいスポットがある訳でも無い。それならば、ぶらつくのが一番良いように思える。それに同調するように内藤も頷いていた。

「あー……ゴメン、私ちょっと用事出来ちゃった」

 そう言いだしたのはサキさんだった。先ほどから今まで全く触らなかったスマートフォンを忙しなくいじっていたので、何かあるのだろうなとは感じていたが。

「了解です、急用はしょうがない」

「本当ごめん、埋め合わせはいつか必ずするから……」

 手を合わせ、軽く頭を下げるサキさん。この時は何故か、いつもと比べて余裕が無い表情を浮かべていた。何か深刻な出来事でも起きたのだろうか? 思わず俺は声をかける。

「大丈夫なの?」

「うん、そこまで深刻な事じゃないんだ、別に。ただ、ちょっとだけ面倒くさい事でね」

 そして中心街に着いて地下鉄から降りると、サキさんはそれじゃあと挨拶もそこそこに去っていった。本当に何が起こったのかは分からないが、心配だし気になる。後でメッセージでも送っておこう。

「で、どうする?」

 サキさんの後姿を見送った俺は、振り返って内藤と愛さんの方を見る。二人共もう話はついているようで、特に話し合う様子も見えなかった。

「僕らも帰ろうかと思って」

「流石に又木君一人残して買い物するのも気が引けるしね」

「別に気にしなくてもいいのに」

 そう言って俺は頭を掻く。何か気を遣わせたようで悪い気になった。

「今度はゆっくりレコード屋でも回りましょ」

「おっ、いいねそれ」

 愛さん、内藤と適当に話しながら長いエスカレーターに乗り、改札を抜け、やけに長い地下道を歩く。そして階段を上ると電車の駅に出る。そのまま駅に入り、改札の前に辿り着いた俺たち。邪魔にならない程度の場所で、三人向き合った。

「今日は楽しかった」

「また遊びましょ、サキさんにもよろしく言っておいてね」

「ああ、オッケー。伝えとくよ」

 そう言って別れようとしたその時、内藤が俺を引き止めた。

「又木、お前確か乗るの拝成線だろ?」

「そうだけど。五十橋で降りるからな」

「じゃあ愛と同じ路線だ、一緒に帰るといいよ」

「そうなの?」

「私が降りるのは長屋町だけどね」

 それじゃあ一緒に帰ろうという話になり、俺と愛さんは内藤を見送ってから、ホームへと向かった。丁度良く電車は来ないもので、次の電車までは若干時間があった。

 俺と愛さんは隣り合って二列で並んでいる。今日出会ったばかりの友人の彼女。どう話を切り出したものかなと考える。

「あの、音楽サークル入ってるんだよね、又木さんも」

 最初に口を開いたのは愛さんだった。

「入ってますよ、内藤と一緒のとこです」

「何聴くの?」

 目を爛々と輝かせながら、問いかける愛さん。そう言えばこの人は音楽が好きなんだなと思い出しながら、俺は問いに答える。

「俺聴くの、大体邦楽なんですよ、それもインディーズバンドを色々掘って聴いてるので、言っても分かるかどうか……」

「なるほど、私も似たようなもんだな。洋楽のバンドばっか色々聴いてるから、言っても理解されないことばかりなの」

「お互い苦労しますね、趣味で」

「楽しい趣味なのにね」

 俺たちは互いに顔を見合わせて笑う。やはり深く音楽を聴く人はそういった苦労というか、理解されない、分からない、伝わらないといった問題が出てくるものなのだ。

「内藤も最近色々聴くようになってますよね、あれって愛さんのオススメなんですか?」

「んー、それ半分、彼の趣味半分ってとこかな。彼なりに色々見聞を広めてるみたいで、私からオススメしたやつ以外も結構聴いてるみたい」

「へぇ、あいつがねぇ」

 昔、サークルに入りたての時のことを思い出す。あの頃内藤はまさしくロキノンキッズといった感じで、その手の邦楽バンドしか聴いていなかった。それから俺達と仲良くなるにつれて音楽の趣味も若干の変化を見せていたのだが、基本邦楽好きなのは変わらなかった。

 それが今では洋楽を聴くのが好きになったのだから、影響というのは凄いなと思う。

この際だからと互いにおすすめのバンドを語っていると、電車がやってきた。乗り込むと、そこそこ乗客が乗っていた。しかし丁度空いたロングシートの端の席に滑り込み、隣同士で座る事ができた。ふわっと、愛さんの甘い香りが漂う。

 そしてドアが閉まると、電車は走り出す。降りる駅までは二駅なので、乗車時間はあっという間だ。

「今日楽しかったですね」

 電車が走り出してからの喋りだしは愛さんからだった。俺は短いながらも結構濃厚だった、今日一日を思い出す。

「うん、中々楽しかった」

「最初ダブルデートって言われた時はどうしようかと思ったけど、案外楽しかった」

「最後は男同士でデートでしたけどね」

「それもまた一つの思い出じゃない」

 そう言ってクスクスと笑う愛さん。本当につつましい笑い方をする人だ。サキさんの笑い方に慣れてるせいか、特にそう思う。

「何話してたの? 二人で」

「んー……しょうもない話ですよ、男同士の」

 改めて思い返してみても、本当にしょうもない会話しかしていない。女性に聞かせられるような内容の話もしていないし、本当に言えることはこれくらいしか無い。

「そっちは女性同士で何話したんですか?」

「んーとね……秘密」

 愛さんは右手の人差し指を立て、唇に当てた。血色の良い唇が、柔らかそうにへこんでいる。

「秘密って言われると気になるなぁ」

「女同士だからね、やっぱり言えない事の一つや二つ話すのよ」

 またクスクスと笑う愛さん。俺はそんなもんなのかと思いながら、座席に腰かけなおした。

「ま、なんにせよ楽しかったですよ、今日は」

「うん、そうね……」

 その後、しばらく無言の時間が続いた。その間俺は車窓を眺め、流れる景色を見ていた。夕方四時は夏が始まった今日この頃では、まだ夜の訪れる時間とはとてもじゃないが言えないようだ。

「ねえ」

 そろそろ駅に着こうかというタイミングで、俺が立ち上がると愛さんが口を開いた。出口側を向いていた俺は愛さんの方へと振り向く。

「サキさんの事、好きなのよね?」

 先ほどまでの柔らかい表情とは一変して、強張ったとでも言えばいいのだろうか、愛さんは硬い表情をしていた。

「どうしたんすか、突然」

「答えて。どうなの」

「……好きですよ、そりゃあ。好きにならないわけ、ないじゃないですか」

 その言葉を聞いた愛さんの表情はさらに曇った。

「あのね、とても言いにくいんだけど」

 まるで苦虫をかみ潰したような、渋い表情を浮かべている愛さん。そして、その苦々しい表情から絞り出すように話された言葉は、とても理解できない言葉だった。

「……サキさんとは、付き合わない方がいいわ」

「……は?」

「悪い事は言わないわ、一友人としての忠告よ」

「それはどういう……」

『五十橋―、五十橋―、お出口は進行方向に向かって左側です』

 何故なのか。それを聞きたい。聞かなくてはいけない気がする。

 だが、俺の身体は人の流れに押されるようにして、そのまま出口へと向かわされた。最後に聞こえたのは、愛さんの「バイバイ」の言葉だけだった。


 帰り道、俺はずっとその言葉の意味するところを考えていた。まず、嫌がらせで言った可能性は限りなくゼロに近いだろうという事は分かっていた。今日会ったばかりで、人となりも分からない相手の連れの女性を否定する意味が分からないからだ。動物園での二人きりのタイミングで、余程酷いことをされたとかなら話は別だろうが、そういった様子も見られなかった。

 では何故、あんな事を言ったのか。純粋に俺を心配して言ってくれたのだろう、あの言葉を。家に着いた俺は、カバンを部屋の隅に放り投げると、ベッドへと倒れ込んだ。そしてもやもやとした気持ちを抱えながら、俺は天井を見つめる。何かしら致命的な出来事が無ければ、あんな事、めったに人には言わないだろう。だからこそ、その『致命的』な何かが気になってたまらないのだ。

「あー……」

 楽しい一日だったからこそ、この幕引きに俺の脳みそがついてこれていない。どうしたらいいのか、俺は何を考えればいいのか、分からなくなっている。

 直接聞くために、内藤から愛さんの連絡先を聞く事も考えた。しかしどう考えても不自然だろう。「サキさんと付き合うな」、そう言われたから連絡先を教えろと言える度胸は俺には無い。それに、いきなり自分の彼女の連絡先を聞かれるのもいい気はしないはずだ。

「……分からん」

 俺は、一旦思考する事を放棄する事にした。答えの出ない堂々巡りの考えを繰り広げたところで、謎が解決するわけでも無いからだ。

 とりあえず、サキさんにメッセージを送っておこう。今日の感謝、感想。そして用事は無事済んだかと聞く文章を打ち込んだ。そして送信ボタンを押す。シュポっという軽い音とともにそのメッセージが表示されたのを見て、俺はひとまず息を吐いた。

 しばらくしたらサキさんからメッセージが返ってきたので、それにまた返信する。そうしていると、いつも通りの会話が続いていく。俺はやり取りを続けるうちに、あの言葉を気にしなくなっていった。

「何かは分からんが、どうせ杞憂だよ」

 そう思う事にして。

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