同題異話 10月号 「白の境に舞う金烏。」

野村絽麻子(旧:ロマネス子)

僕とアイン、秋の散歩。

 河原の景色はこの季節、秋の色に染まり始める。

 僕とアインは、頬にさらさらした風を受けながら散策をしていた。開きかけたススキの穂が揺れるのと同期するように、アインの柔らかな尻尾も波を描く。昼間の陽射しは薄い雲を通してふわふと降り注いでいて、僕の髪とアインの艶々の毛並みを、ほんのりと密かに温める。

「アインの毛の色、ススキと同じだねぇ」

 しゃがみ込んで撫でればアインは目を細めて僕の手のひらを受け止める。全身を撫でてやりながら、温められたアインの背中からゆるく立ち昇る小麦にも似た匂いを吸い込んだ。


 聞き慣れない音を耳にしたのは、座り込んでの日向ぼっこを始めてから少し経ったころ。

 何かしらと顔を上げれば、隣で大人しく座り込んでいたアインの耳もぴるぴると動くので、聞き間違えではないみたい。なにか、声がする。

 声は次第に近付いて、はっきり聞き取れても内容はよくわからない。

「そぉーーーい、ほいっ!」

 誰かに呼びかけているような、そんな声だ。

 アインが首をもたげて西の方を探るように鼻を動かした。僕も同じ方向を見回してみたけれど、そこには犬も鳥も、それどころか雲すら見当たらないのだ。さっきまで一面に薄い雲が広がっていたはずなのに、西の空だけが晴れている。

「風が出てきたのかな?」

 アインがキュウと小さく鳴いた。背後の茂みがカサカサと音を立てて、身構えた僕の目線よりかなり下の方に誰かの指先が映る。ガサリ、とススキの合間を縫うように現れたのは、白衣を身につけた小さなおじいさんだった。


 僕は二度、三度と瞬きをした。なぜって、目の前に現れたおじいさんが、あきらかに妙だったからだ。

 例えばそれは、座っている僕よりも、アインのマズルよりも小さな背丈だったり、長く伸びて地面に届きそうな白い髭だったり、おじいさんの後ろにあるものがほんのりと透けて見えている辺りだ。

 少し迷ったけれど、でも何かを探しているように見えたので、僕は声をかけてみることにした。

「あの」

「そぉぉーーーい、ほぉいっ!」

 声が聞こえていないのか、おじいさんはまた声を張り上げた。

「……やめた方がいいかな?」

 僕はアインを振り返って尋ねた。小さく開いた口からアインの心配そうな細い声が漏れて、そうだね、と答えようとしたタイミングでおじいさんが振り返る。

 白衣の裾が風を孕んで帆船のように膨らんだ。

「……もしや、わしに話しかけとるのか」

「あの、まぁ……そうです」

 ふぉほほ、とおかしな声が聞こえて、どうやらそれはおじいさんの笑い声のようだった。

「ふむ。君らは白面金貨鳥をご存知かな?」

「えーと、知りません」

 おじいさんは僕らから目線を外し、再び空を仰ぐ。薄青い空はただ明るくて、おじいさんの言う白面金貨鳥とやらは気配もない。

「ちょうどこんな気候の日に現れるのだよ」

 秋の始まりの晴れた昼間。さらさらして草の匂いが混じった空気。涼やかな風をみんなが胸いっぱいに吸い込む季節。

「時に少年、この犬はなんて名前かな?」

「アインシュタイン」

 ふぉほ! おじいさんからまた可笑しな音がして、アインが尻尾をぱたりと振るう。

「こりゃ傑作だ! いい名だ! よーしよしよし、アインシュタイン〜!」

 アインは、怪訝そうな顔で僕を見上げて目線を合わせて、一度鼻を鳴らしてから小さい声で「うぉん」と応えた。付き合いが良いのだ。そしてとてもお利口。後でパンプキンパイの端を少しやろうと僕は思う。


 おじいさんは無邪気に笑う。笑いながら両腕を水平に伸ばし、鳥の羽を真似てはばたき出す。

 お母さんもお父さんも、学校の先生も図書館の司書さんも、パン屋のおばさんもフルーツジューススタンドのお姉さんだって、こんなことしない。呆気に取られて眺める僕とアインの目の前で、おじいさんの体は白く光り始めて、くるくる歩く速度が速くなり、やがてふわふわの羽が見えたかと思ったら、ふわりと浮かび上がった姿は白いちいさな鳥だった。

 小鳥は僕らの前を嬉しそうに旋回する。

「ヒョォォーーーィ、ヒュイ!」

 金色の嘴が気持ち良さそうに鳴いて、薄青く広がる西の空めがけて高度を上げていく。すると周りからも一斉に白い小鳥が飛び立った。

 ヒョォォーーィ、ヒュイ!

 ヒョォォーーィ、ヒュイ!

 次々と飛び立つ小鳥たちの先陣を切って、ヒョホ、ヒョホ、と楽しそうに鳴く姿は間違いなくあのおじいさんだ。

「……どうなってるの、これ?」

 隣で同じように小鳥の姿を追っていたアインに尋ねても、不思議そうに首を傾げるまん丸な瞳があるだけで。小鳥たちの姿がまるで太陽に溶けるみたいに消えてしまうまで見送って、それから僕らは家に帰ることにした。きっと今ごろ家ではお母さんがパンプキンパイを焼いてるはずだから。


 次の朝、目が覚めてカーテンを開けると、庭に霜が降りていた。まるであのちいさな鳥の嘴みたいに、光を受けて金色に輝いている。

「霜になったってこと、かなぁ?」

 どうだろうか、とでも言うようにアインが尻尾をパタリと動かして、僕からは小さなクシャミが飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同題異話 10月号 「白の境に舞う金烏。」 野村絽麻子(旧:ロマネス子) @an_and_coffee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ