ヒーロー

『ご覧ください。帝都西区に現れた怪獣は駆け付けたヒーローにより討伐されました』


 古ぼけたテレビが垂れ流す音声を聞きながら、梅花皮は社宅のロビーで工具の手入れをしていた。


「間抜けが。〝芯核〟すれすれに攻撃を加える馬鹿を讃えるなよ」


 梅花皮は余分な潤滑油を拭き取ると、そう吐き捨てた。

 確かに怪獣を速く倒すには、〝芯核〟からのエネルギー供給を絶つのが正解だ。

 しかし、〝芯核〟は核エネルギーとは違う異質なエネルギーの塊で、中心部にある凝縮された体液が振り撒かれれば、あっという間に帝都は汚染される。ただの血液でも、細心の注意を払って扱うのだ。それが濃縮された〝芯核〟が破壊されれば、水も飲めず、作物は枯れ、空気は肺と皮膚を灼く様になる。

 梅花皮はその異能故に、汚染区域の調査に駆り出された事があるが、二度と関わりたくない仕事の一つとなっている。


「あれ? 班長。区長の秘書さんが探してましたよ」

「こっちに用事は無いぞ」


 一通り手入れを終えたところで、新入りの白波がひょっこり顔を出して、そんな事を伝えてくる。

 今日は丸一日休みなのだ。面倒事は避けるに限る。


「……そちらに無くとも、こちらにはあるのです」

「あ、秘書さん」

「ちっ」


 腰を上げて、さっさと逃げ出そうとした矢先、いかにも気難しそうな女が眉間に皺を寄せて、梅花皮の前に立っていた。


「私には無い」

「いいえ、こちらにはあります。……区長がお呼びです」

「……はぁ、なら着替えさせろ」


 何度目かの溜め息を吐いて、梅花皮は疲れた顔で秘書に言った。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃







「白波、私が居ない間に出動が掛かったら、磯部か入江に指示を仰げ」

「うっす」


 フォーマルな服装に着替え白波に指示を出し、秘書が待つ車に乗り込む。

 流石は区が所有する車というべきか、自分達が使うトレーラーとは違い、シートは新品の様に汚れが無く、車内も清掃が行き届いていた。


「やっぱり、区は金が有るな」

「見栄ですよ。他の区に下に見られない為の」

「それが金が有るという事だよ」


 見栄が張れるという事は、それだけの余力があるという事だ。

 自分達はどうにか己を保つだけで精一杯で、見栄を張る事すら難しい。

 走り出した車で流れていく景色を眺め、音質の良いラジオから垂れ流されるニュースに耳を傾ける。


『政府は異能者に対する補償額を前年度より引き上げ……』

『怪獣再利用計画に新たな進展が……』

『秋津国は新たにフォーランド連合王国との通商協定を……』


「先の明るい未来ですね」

「どうだか。まあ、私達半端者には関係無い話だ」

「どれも貴女達異能者に有利な話でしょう?」

「異能者にはな。私達半端者は含まれていない」


 理解出来ないという顔が、バックミラーから見えた。

 まあ、理解は出来ないだろう。梅花皮達半端者は、異能者に含まれず、非異能者にもなれない。

 弱く怪獣を倒せず、社会に貢献出来る程強くない異能者は居ないと同義だ。


「貴女の異能なら、医療分野で貢献出来る筈ですが」

「私の異能はそれ程強くない。精々自分を守るだけだ」


 信号で止まる車内で梅花皮がそう言えば、開けていた窓から耳障りな喧騒が聞こえてくる。


『異能者は侵略者が産み出した兵器だ! 異能者に対する保護を撤廃しろ!』

『異能者反対! 異能者は消えろ!』

『侵略者は侵略者! 異能者は速やかにこの国から出ていけ!』


 よく見る反異能者団体のデモ、それを見ながら梅花皮は己を指差した。


「私の異能は精々、あの連中に襲われても死なない程度のものでしかない。社会の役に立たない異能さ」

「そんな事は……」

「ほら、青だぞ」


 事実、梅花皮の異能は強くない。他の班員達の異能も同じだ。

 人から外れた力を持ち、しかしその力は強くない。自分を守るだけ、自分を守る事すら難しい。

 それが半端者なのだ。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃







「すまない。急な話だったのに、よく来てくれた」

「来なけりゃ、そっちから出向いてきたろ。お前は昔から変わらんからな」

「……梅花皮、それでも君達の事を思えば、今の街中を無理に歩かせるよりましだろう」

「まあな」


 湯気の立つ湯飲みと高価な茶菓子が乗るテーブルを挟んで座る、舞台役者の様な精悍な顔つきに、鋭い刃物を連想させる瞳の区長は、謝罪の言葉を梅花皮に向けた。

 知り合った昔から変わらない。どうやらこの男、老けるという機能が無いらしい。


「で、話はなんだ? 今の東区には怪獣発生の予兆は無い筈だろう」

「怪獣案件ではない。もっと人為的は話だ」

「……反異能者団体か」

「そうだ。連中、最近になって活動が更に活発に、過激になっている。まだこの帝都ではそうでもないが、県外では解体作業中の解体業者に対し攻撃し、その瞬間を悪意的に編集した動画をアップロードした馬鹿も居る」

「随分、暇を持て余していらっしゃる様で何よりだ。……本題は?」

「ああ、その過激派が帝都の反異能者団体と接触したという話だ。我々も君達の業務への支障を最大限に減らす努力はするが……」

「相手は一般市民、過激な真似は出来ないし、こちらも反撃はするな、か?」

「すまない」


 面倒な話になった。

 ただでさえ、自分の部下達は他に行き場を失った者達で、漸くここに辿り着けたのだ。

 それに、怪獣解体は細心の注意を払って行わなければならない。

 血は猛毒、中には怪獣自体が毒の塊の様なものまで存在する。

 特に体外にエネルギーを放出するタイプは、原子炉を内蔵している様なもので、解体業者の中でも特別な認証を受けた業者でなければ現場に入る事すら出来ない。

 その解体作業中に外部からの妨害が入れば、この東区だけの被害で済めばいいだろう。

 最悪、秋津国は四度目の遷都を行う事になる。まあ、皇族が無事であればの話になるが。


「無論、その際の補償や防衛はこちらで持つ。だから……」

「久木、何があっても約束しろ。……お前は間違えるな」

「梅花皮! これはそういう話ではないんだ!」


 突如として声を荒げた区長、久木に秘書は驚くが、梅花皮は変わらない。

 疲れた様な諦めを孕んだ顔のまま、テーブルにある湯飲みを傾けた。


「そういう話だ。ここで選択を間違えれば、お前は何も出来なくなる」

「梅花皮……」

「話は終わりだな。なに、私達は何時も通りに仕事をする。それだけだ。あと、今日の分はしっかり有給で申請するからな」

「……分かった。後で申請書を出してくれ」

「ああ。……久木、お前は間違えるなよ」


 そう言うと、梅花皮は残った茶と茶菓子を口に放り込み立ち上がる。

 その様子は昔と変わらないと、少しだけ久木は安堵した。

 学生の頃から、梅花皮は密かに食い意地が張っていた。自分の茶菓子が乗った小皿を、少し前に寄せれば迷わずそれを口に放り込んだ姿からも、やはり変わらないと思えた。


「帰るぞ」

「ああ、またな。今度はもう少し食い手のある菓子を用意しよう」

「……お前、私をなんだと思ってる?」

「食い意地の張った親友さ。今も昔も、これからも」


 昔と変わらない不機嫌そうな顔を向け、梅花皮は扉を閉めた。

 無意味に高そうな調度品が飾られた廊下を歩き、駐車場へ向かう途中、追い付いてきた秘書が声を掛けてきた。


「梅花皮様、申し訳ありませんが、少々お待ちください。どうやら車が全て出払っている様でして、急ぎ自家用車を回して参ります」

「ああ、あまり急ぐなよ。事故を起こされても困る」

「はい、では直ちに」


 急ぐなと言ったのに、駆け足で急ぐ秘書に溜め息を吐きながら、駐車場近くに設置された自販機で安い缶コーヒーを買う。

 安物の中でも特に安物のコーヒーは、コーヒーの様な香りのする砂糖水だが、仕事終わりの一杯としては上等だ。


「もし、梅花皮様ですか?」

「ん? ああ、そうだが……っ!」


 自分に体当たりをしてきたのは、痩せたサラリーマン風の男だった。

 軽い当たり、短身痩躯の梅花皮を押し倒す事も出来ない当たりだったが、梅花皮の動きを止めるには十分過ぎた。


「異能者が、人間の振りをするなよ」

「……ちっ、くそったれが」


 脇腹に沸いた灼熱を押さえながら膝をつき、逃げていく男の背を睨む。

 顔は覚えた。後は……


「梅花皮様……?!」

「騒ぐな。ただ、腹を刺されただけだ」

「刺されただけって……、今すぐ病院に!」

「久木から私の異能を聞いているだろう」


 言うや否や、梅花皮は脇腹に突き刺さったナイフの刃を、指で挟む様に掴むと一気に引き抜いた。

 すると、脇腹の傷は白い蒸気を僅かに立てながら、見る間に塞がっていき、すぐ出血は止まった。


再生者リジェネレーター……」

「そうだ。異能者の中でも特に差別を受けやすい種類だな」

「しかし、病院には行くべきです。そして、警察にも……」

「私達半端者は居ないと同義だ。それに、相手は反異能者団体。私の部下に火の粉が移るのは避けたい」


 そこまで言うと梅花皮は立ち上がり、脇腹をもう一度確認する。


「まったく、一張羅が台無しだ。車は?」

「は、はい、でもこの事は区長に報告しますし、病院にも連れて行きますからね!」

「はぁ、好きにしてくれ」


 傷を塞ぐ事で精一杯、失った臓器や四肢も再生は出来ない弱い再生者。

 もう少し強ければ、また違った道もあったかもしれない。

 でも、現実はそうではない。


「早く乗ってください」

「分かった」


 人よりも少し頑丈で死に難いだけ。

 どうにならない現実がこれだ。

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