囚われている

 夏休み……長い! 気が遠くなるほどに長い!

 でもそれだけ白雪と翡翠の二人と一緒に居られるから悪いとは思わない……本当に贅沢な悩みだと思うよ。

 そもそも今までがこんな風に幸せに包まれた夏休みと言えなかったので、もしかしたらそれに頭と体が慣れていないからこそそう思うのかもしれない。


「ふんふんふ~ん♪」


 とはいえ、夏休みも後二週間もすれば終わることになる。

 お盆の時期は時に外に出ることもなく、四六時中白雪や翡翠と過ごしていたし、それだけもっとお互いにたくさんのことを共有できる時間だった。

 白雪と翡翠は常に俺と一緒に居たい、常に同じ時間を過ごしたいと願っていることは伝わってくるので、俺としても毎日ニヤニヤしすぎて頬が痛かった。


「さてと、適当に本でも見に行くかねぇ」


 さて、今日に関しては一人で出かけていた。

 気分転換というわけでもないが、偶には一人の時間も満喫したくなるほどに恋しかったからだ。

 傍に彼女たちが居ない、彼女たちの感触を感じられない……それは確かに寂しいことだが、やはりこういった時間も悪くないと思えるので鼻歌を口ずさむくらいには悪くない気分だ。


「……?」


 そんな時、建物のガラスに反射する自分の姿が見えた。

 白雪や翡翠にも言われているし、何より自分でも最近になって気付いてきたが本当に顔立ちが変わってきた。

 あまりにも太っていた体が小さくなってきたのは喜ぶべきことだし、頬などに付いていたぷっくりとした肉が取れたのも悪くない……でも、まさか本当にこうなるとは思わなかった。


「嵐って痩せると俺みたいな顔になるのかなぁ」


 嵐としての面影を僅かに残しながら、元の自分の顔を知っているからこそ引っ掛かる違和感のようなものを感じているが、それが同時に驚きにもなったわけだ。


「……ふむ」


 この夏休み、自分でも思った以上に体に変化が起きている。

 まあそれでも体重はまだ重いし肉はもちろん残っているが、以前の俺に比べれば圧倒的なまでの変化だった。

 こんなに頑張って実は全部嘘で、気付いたら元の世界に戻っているとかになると悲しむどころではないのだが……たぶん、そういうことはないんだろうなと妙な安心感はあったが。


「でも筋肉もかなり付いてきてるんだよな」


 そう、まだまだ体は柔らかい。

 だがしっかりとジムに通っている影響もそうだし、毎日家の方でも筋トレを欠かさずにしているので筋肉もかなり付いている。

 別にバキバキに腹筋が割れろとまでは言わないけど、誰かに見られた時に羨ましいなと思われる肉体にはなってほしいかな。


『別に今のままでも全然良いのですが……』

『そうよね。ぷよぷよして気持ち良いし』


 白雪と翡翠は俺を甘やかせるようにそう言ってくる。

 今のままでも良いんだよと、無理に変わる必要はないんだよと言ってくれるがやはりこれに関しては甘えるわけにはいかないのだ。

 それに筋肉を付けるだけでなく体力も付くので一石二鳥だ。

 元々の嵐の体が意外とそっち方面の才能があって、夜の行為で白雪と翡翠の二人を相手にして押し切られることもなかったのだが……最近、彼女たちに負けることが増えてきたので本当に頑張るしかない。


「ははっ、夏休み明けがマジで楽しみだな」


 果たしてクラスメイトに……それこそ教師を含め、学校で俺のことを知っている人たちはどんな反応をするのか、それが本当に楽しみで仕方ない。

 白雪の友人に関しては見られているのも少なくないので、そこの反応はちょっと新鮮味はないかもしれないが。


「……ってやっぱり暑いしとっとと本屋に行こう」


 照り付ける夏の日差しから避けるように、俺は本屋へと向かった。

 前世とこの世界の漫画には当然違いが多くあり、全く見たことがないもので埋め尽くされている。

 何を買っても大丈夫だとお金は渡されているが、やっぱり俺としてはこれくらいのものにお金を使うのがちょうど良い。


(立ち読みはダメだと思いつつ、やっぱり本屋はこうだよなぁ)


 しかし、こうして漫画を読んでいると不思議な気分だ。

 ゲームでもあるしアニメでもあるし漫画でもある……そんな世界で俺は漫画を読んでいるのだから。

 今読んでいるのはラブコメ漫画だけど、描かれているヒロインは可愛いそれは認めよう。だが、やっぱり白雪や翡翠には勝てない……うん、それは確かなのだ。


(ヤバいな……元の俺は重度のオタクというわけではなかったが、多くの漫画やアニメに推しキャラは居た。でもこの世界でそんなことを思う気配がないほどに頭の中には白雪と翡翠しか居ないな)


 どれだけだよと自分に苦笑しつつ、結局俺は漫画を買わなかった。

 特に当てもなく街中を歩き続け、暑さが嫌になって以前に立ち寄ったデパートに入った。

 そして、まるで示し合わせたように俺はその人に出会った。

 視線の先から歩いてきたのは母だった。今日は一人らしく周りには誰も居ないのだが、前に立った俺を見ても何も反応することはない……と思われたが、まさかという風に口を開いた。


「嵐……? あなた、まさか嵐なの?」

「……………」


 特に何も反応しなかったが、実際に名前を口にしたことで嵐だと分かったようだ。

 痩せて顔が分からなくなるほどに会ってはなかったのだが、前も思ったけどまさかこんな風に分からなくなるとはあまりにも薄い家族の絆だ。

 俺は特に話すことはないので離れようとしたが、そんな俺の肩を母は掴んだ。


「待ちなさいよ。あなた、どういうことなの? どうやって鳳凰院家に取り入ったのよ。一体何をしたの?」

「それを話す必要があるのか?」

「はぁ? 何を口答えをしているの。愚図は聞かれたことだけに答えなさい」


 ……俺は別に父のことを憐れというか、可哀想に思うわけではない。

 それでもよくこんな人を傍に置いているなと思う……まあ、今までの嵐だと何も言えずにビビるだけなんだろうが、俺にとってはそうではない。

 今の俺からすればこの人はもうどうでも良い存在だし、母として彼女に感じる絆も何もないのだから。


「なら言わせてもらう。答えることは何もない――既に家族としての情は断ち切られているんだし気にする必要はないだろ?」

「っ……生意気を言うんじゃないわよ。あの人は詳しいことを話さないし、あなたが上手いことやれば私たちにも――」

「結局、金って言いたいのかよ」


 まあ、こういうことは予想くらいはしていた。

 俺の動き方次第で鳳凰院が持つ財を狙っているんだろうが……まさかこんなにも分かりやすく欲望を口にするとは思わなかったよ。

 白雪と翡翠の二人を想いを交わし、俺も彼女たちが持つ財産を共に担う立場になっているけど、他人からすれば羨ましいと思う気持ちもわかる――それが金というものが持つ魅力だろうしな。


「悪いが、俺はもう郡道の家と……アンタたちと関わるつもりはない。そんなことに時間を費やすくらいなら、俺は傍に居てくれる大切な人たちとの時間を優先する」

「なんですって……? 母親を何だと思っているのよ!」

「アンタは息子を何だと思ってんだ!」


 っと、大声を出してしまったので反省だ。

 強く言い返すと思っていなかったのか母は唖然としたように俺を見ていたが、徐々に怒りがその瞳には溜まってきた。


(……一気につまらなくなったな)


 さっきまで確かに楽しく過ごしていたのに、この出会いで一気に冷めた。

 まだ何か言いたげな母だったが流石に周りの目もあってそれ以上は何も言ってくることはなく、俺は悔し気に見つめてくるその視線に背中を向けて歩き出した。


「アンタたちには何も行かないよ……ざまあみろってんだ」


 完全な他人になったわけではない、それでもこんな風に元家族のことを思うのは冷たいだろうか……いや、何も冷たくはないと思うことにしよう。

 夏のはずなのに冷えた頭で俺は帰路を歩き、屋敷に戻ってすぐに白雪が現れた。


「白雪?」


 まるで帰ってくる俺のことが分かっていたかのように、玄関を開けたらすぐそこに白雪は居た。

 俺は先ほどまでの記憶を忘れようと白雪に手を伸ばす。

 白雪は特に何も言うことはなく、俺の手を受け入れて背中に腕を回した。


「……やっぱり、俺には白雪たちしか居ないよ」

「あら、それは嬉しいですね」


 それもこれも、きっと彼女たちが齎した結果だ。

 でもやっぱり……これで良いんだと、俺はもう囚われている。

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