変装する白雪さん
翡翠とのデートは白雪とのデート以上に緊張する……なんてことはなく、いつも通りの自分として彼女の隣に立てていた。
夏の暑さに負けないような肌の色がよく見える服装の翡翠はやはり、俺が思ったように大学生のお姉さんにしか見えない。
「さて、次はどこに行こうかしら」
「……服とか見に行こうかな?」
いや、前言撤回しよう。
俺との本気デートということで、いつも以上に気合を入れている翡翠の雰囲気に完全に圧倒されていた。
服装だけでなくメイクに関しても力が入っており、普段もそこまでの変化はないが彼女の本気が伝わってくるのである。
(まるで……鈍感な主人公を確実に落とすために全力を尽くしているみたいだ)
それだけの覚悟を決めてデートに臨む大学生のお姉さん、そんな印象を俺は受けた。
もちろんこんな女性に攻められて意識しない男は居ないだろうし、白雪のことまでずっと悩み続けていたらこうやって攻め落とされていたのかもしれない。
「斗真君、ちょっといいかしら?」
「え?」
どうしたのかと顔を向けてすぐ、彼女は俺の頬を手を添えた。
そのまま優しく抱き寄せるようにして胸元に誘い、よしよしとその柔らかさを存分に堪能させながら頭を撫でてきた。
夏の暑い日差しが差す中での行為ではあるが、俺としてはその暑苦しさよりも心を包み込む安心感の方が大きかった。
「どう? 少しは緊張が解けた?」
「あ、あぁ……」
どうやら俺の様子から緊張が伝わっていたようだ。
白雪もそうだが翡翠も俺がこうされることを嬉しく思うのは知っているし、何よりその柔らかさにとてつもないほどの安心を感じることも理解しているんだろう。
「えっと、そんなに分かりやすかったかな?」
「そうね。私も少し気合を入れ過ぎたのも悪いと思うし、でもこうすると斗真君は落ち着いてくれるから♪」
ニコッと微笑んだ翡翠に俺は見惚れた。
彼女は白雪の母だ。高校生の娘を持つ母だというのに、その美しい容姿から放たれる可愛らしい笑顔は一種のギャップで心がときめく。
「今更だけど変じゃないか? 女の人の胸の感触で落ち着くって……というか、俺がそうなんだって気付いたのは二人と出会ってからなんだけどさ」
俺もまさか、自分が女性の胸の感触で心を落ち着かせるとは思わなかった。
彼女たちとこういう関係になる前はその膨らみにドキドキするという男として普通の感覚で、距離が近づいて押し当てられたりする時には興奮したがこれもまた男として当然の感覚……でも今はただただ落ち着くのだ。
「変じゃないわ。そもそも、それって私と白雪が仕込んだようなものだし」
「……え?」
それはどういう……?
「それこそ今更ではあるでしょうね。そもそも私たちはあなたの好みを全て把握しているし、可能な限り私たちに夢中になってもらうために仕向けた部分もあるの」
「……うん」
「心と心が繋がるのはもちろん大事なことよ? でも体の相性なんてものは分かりやすく現れる部分でもあるの。斗真君の好きなものに触れてもらうことを意識しながら過ごしていたから。それで落ち着くようになったんじゃない? 狙い通りって感じではあるのだけど」
「……ほぉ」
なるほど、つまり俺はもう彼女たちの肉体……突き詰めればその二つのお山が作り出す桃源郷から逃げられないことを意味しているのか。
なんだそれはと驚く前に、そういう部分でも彼女たちの策略が働いていたと思うと変にドキドキしてしまう……あ、そんなにまでして俺を絡め取りたかったのかと考えてしまうわけだ。
「……俺、やっぱり翡翠たちのこと大好きだわ」
「っ!?」
それは小さな呟きだったが、翡翠にはバッチリ聞かれていたのは当然だ。
俺は普通に呟いたつもりだったけど、翡翠からしたら何かに衝撃を受けたかのようにプルプルと体を震わせ、周りの建物をチラチラと見ながらこんなことを口にした。
「……ちっ、近くにホテルはないのね」
「翡翠さん!?」
突然の言葉に俺はつい驚いたが、白雪よりもスイッチの入りやすい翡翠だし別におかしくはないかと思える。
「仕方ないでしょ? そんな風にあなたから言われたら今すぐにでも愛し合いたくなっちゃうじゃないの」
「それは俺も嬉しいけど……ほら、今日はデートだしさ」
「……そうね。その通りだわ」
こう言いはしたが残念に思うのも、彼女たちに毒されている証だろう。
それから俺たちは改めてデートを再開させ、俺はまるで少しだけ年上のお姉さんと接するかのように翡翠と過ごした。
翡翠の方もそんな俺に合わせてくれているのか雰囲気がいつもと違っていた。
「ふふっ、こんな風に大人としての自分を着飾らないのも悪くないわね」
「俺にはその辺りよく分からないけど、でも今のは翡翠の雰囲気も良いな」
そうしてお互いに笑みを浮かべながら、周りの視線を気にすることなく歩く。
それから服を見たり、或いは雑貨などに目を通しながら楽しい時間を過ごしていくのだが……どうもこうして翡翠と出歩くと俺はとある人たちに縁があるようだ。
「……げっ」
「あら、また奇遇なことね」
俺と翡翠の先から歩いてくるのは父と母だった。
以前は別の店で父と加奈が一緒に歩いていたのだが、まさか今度はこうして元両親が揃って歩いているところに出くわすとは思わなかった。
……どうせまた、以前のように何を言われても翡翠が撃退するはずだ。
けど、俺としては今の彼女とのデートという最高の瞬間に邪魔となる雑音を入れたくはなかった。
「翡翠」
俺は二人から翡翠を隠すように抱き寄せ、そのまま近くの帽子を手に取った。
ちょうど顔を隠すようにすることで両親からの視界をブロックし、俺と翡翠の顔が見えないように固定する。
「斗真君」
「雑音を入れたくなかったんだ。今日はずっと、翡翠とこのまま邪魔が入ることなく過ごしたいから」
「……っ♪♪」
まあ、ある程度は不思議に思われることは予想していた。
しかし俺の予想に反して彼らは特に声をかけてくることはなく、そのまま抱き合う俺たちをチラッと見ただけで行ったらしい。
(もしかして、ある程度痩せたことで分からなかった?)
確かに彼らの知る嵐に比べたら結構変わっていると思うので、案外本当に別人だと思われたかのかもしれない。
二人の背中が見えなくなった段階で翡翠から離れたのだが、そこからずっと翡翠から向けられる視線には熱が籠り続けていた。
「歳を忘れるってあんな瞬間のことを言うのね♪」
「えっと……そんなにだったか?」
「それくらいキュンってしちゃったもの! まるで……横顔が斗真君に見えた気がしたし、あぁ最高だったわぁ♪」
両頬に手を添えながら翡翠はジッと見つめ続けてくるのだった。
ただ……翡翠は気付いているだろうか。
「翡翠、気付いてる?」
「えぇ。白雪のことでしょ?」
どうやら気付いていたらしい。
俺が気付いたのはついさっきだけど、見覚えのある白銀の髪を持った女の子が視界の隅にチラチラと入り込むのだ。
ダサいサングラスとマスクをして変装をしているつもりだろうけど、翡翠譲りの豊満な肉体と漂う美少女オーラが逆に彼女を目立たせている。
「何してるのかな?」
「デートが気になるというよりは、きっと寂しかったんでしょうね。あの子、友達と遊びに出てもすぐに帰ってくるでしょ?」
確かに白雪は朝から出掛けても昼頃には帰ってくることが多い。
友達と遊ぶなら夕方くらいまでが普通だと俺も思っていたけど……白雪はそれで早く帰ってきてたんだな。
「ふふっ、結構堪能したしここからはあの子も一緒にどう?」
その提案に俺は頷き、サッと背後を振り向いて白雪をロックオンした。
ギクッと漫画のキャラクターみたいに分かりやすく体を震わせた彼女はこちらに背中を向けたが、俺はその背中に近づいて思いっきり抱きしめた。
「捕まえたっと」
「……あう」
なんだその声可愛いな……。
ということで、白雪も合流して過ごすことになった。
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