空白の中学時代

 続く夏休みのとある一日、その日は珍しい一日だった。


「……俺だけかぁ」


 そう、鳳凰院家に居るのが俺一人なのだ。

 白雪は友人に誘われて出掛け、翡翠はいつも通り仕事だ。翡翠が居ないということで白雪は残ろうとしてくれたのだが、友人との時間も大切にするべきだと伝えると彼女は不満そうにしたが頷いた。


「白雪とのやり取り、以前にもあった気がするな」


 少し前にもこんなことがあったような気がする……気のせいかもしれないけど。

 さて、こうなってくると俺は一人になってとことん暇なわけだ。


「う~ん、何かトレーニングでもするか?」


 一人でジムに行くのも良し、ジムに行かずにランニングでも悪くない。

 風邪が治ってからしばらく運動はしていなかったし……そうだな、今日は運動をして過ごすことにしよう。

 現在時刻は朝の10時、外で運動をして昼も済ませて……それで帰ってきて昼からのんびりするか、はたまた更に運動を続けるかはその時に考えよう。


「良し、それじゃあ行くとするか」


 運動着に着替えて俺はすぐに屋敷を出た。

 ここは既に俺にとっても自分の家になるわけだが、だからといって彼女たちを差し置いて俺の家だと思うことはない。

 なのでいつもここを出る時は白雪が傍に居るので気にしないこと、戸締りを忘れずにしっかりとしなければ。


「これで大丈夫っと」


 さっきも言ったが自分の家だと認識がまだまだ薄いので、急いでいる時とかだと本当に戸締りを忘れそうになるから注意している。

 扉から離れた後、俺はもう一度確認のために戻り、しっかりと指差し呼称もするかのように確認をしてようやく俺はその場から離れた。


「ふっ……ふっ……ふっ!」


 いやぁしかし、当初はあんなにも面倒だししんどいと思っていた運動がこんなにも楽しくなるとは思わなかった。

 これで結果が振るわなかったら悲しかったけど、しっかりとこの夏の暑さも手助けをするように肉は絞られていた。


(体重ももう少しで80キロ台に入る……頑張るぞ!)


 前世の体重は60キロ台だったので、そこを目標にするのもありだろう。

 ただ白雪にも翡翠にも言われているが急激な痩せ方は体に悪いし、何より腹の肉が醜く残る可能性もあるので一気に痩せすぎないように気を配っている。


(簡単に痩せられるもんじゃないけど、一気に痩せすぎても問題が残るって……人間の体ってのは不便なもんだな)


 まあ分かってたと俺は苦笑した。

 もしかしたら以前みたいに白雪と街中で会えるかなとワクワクしつつ、こんな風に楽しみを見出しながら走るのも悪くないなと俺は思っていた。

 そうして休憩も交えながらしっかりと水分補給も摂りつつ、大量の汗を掻いて走っていたその時だった。


「あれ? 郡道じゃね?」

「……え?」


 ふと賑やかに喋る集団の横を通り抜けたところで名字を呼ばれた。

 足を止めて振り向くと特に記憶に残っていない四人の男子の姿……いや、微妙に覚えがあるようなないような……何だろうこの感覚。

 ジッと見つめるのは失礼だよなと思いつつも、名前を呼ばれてしまったのであっちは俺を知っていることになるわけだ。


「……………」


 どれだけ頑張っても嵐の記憶の中でヒットする顔も名前もないので、俺は結局黙り込むしかなかったのだが……そこで彼らは教えてくれた。


「もしかして忘れたのかよ。同じ中学校だったのにさ」

「……あ」


 同じ中学校だった、その言葉を聞いて全てが脳裏に蘇った。

 目の前に居る四人の男子は確かに中学校時代の同級生で、高校進学を機に別れたままのクラスメイトだった。

 ……ただ、どうもこの記憶は良いものではないらしい。

 簡単に言うと俺は……嵐は中学校の頃、彼らに心底イジメられていたらしい。


「あのデブの郡道が運動してるとは思わなかったけど……ははっ、こうして顔を見たら郡道でビックリしたわ」

「だよな。マジでビックリしたもん」


 彼らは確かに驚いた様子を見せているが、俺を見下していることは良く分かった。

 中学校時代からイジメられていた記憶、その中の嵐に頼れる友人なんて居なければ先生さえも助けてはくれなかった。

 むしろ先生さえもノリノリになって嵐への暴言みたいなものを言っていて……気分の良い記憶でないのは確かだし、よく嵐は耐えたなと少し褒めたくもなった。


「おっと近づくなよ? 汗臭そうだし」

「てかなんか臭う気がするんだけど……くっさ!」

「寄るな寄るな臭いから!」


 ……まさか、高校のクラスメイト以外でこうなるとは思わなかったな。

 ゲームや漫画、アニメでも当然ながら中学校の話は欠片ほども出てこないので、その辺りのことは完全にシナリオの外の話だ……まあ、嵐に関してはそんなものを語る前に消えちまうけどな。


「悪い悪い、近づかないから安心してくれって。それじゃあな」


 誰が近づくかよ鬱陶しい……とは流石に言わない。

 今の俺には彼らの言葉は全くと言っていいほど響かない。そもそも高校のクラスメイトならともかく、今日偶然会っただけのかつての級友なのだからそれこそこの先会うことはそうそう無さそうだし。

 というか、そんなに臭うかと俺は気になった方だ。


「おい、待てよ」

「なんか生意気じゃね?」


 ……なんでそうなるねん。

 記憶の中の嵐は彼らに対してビクビクしていたようで、やはりそこに彼らも相手を支配するような感覚になっていたんだろう。

 誰にも注意されず、本来その役目を担う大人が加担したことでどうも彼らの気は大きくなっているらしい……もしかしたら、今の彼らが通う高校で標的になっている生徒が居るのかもしれないな。

 気にせずに走り去ろうとするとガシッと肩を掴まれた。


「待てって言ってんだろうが」

「臭いって言わなかったか? 俺だったら臭いものには近づきたくないんだが」


 そう言うとイラついたように舌打ちをしてきた……どう反応すればいいんだよ。

 まあでも、やっぱり今の俺からすれば彼らに怖気づくようなことはなく、ありのままの姿で接することが出来ている。

 今の俺には前世の記憶にプラスして、白雪や翡翠と過ごすことで生まれた心の余裕があるという無敵状態なのだから。


「っ……はん、お前にいいものを見せてやろうと思ってな」

「いいもの?」


 いいものを見せてやると言って彼が見せたのはスマホの画面だ。

 そこに映っていたのは一枚の写真で、彼ら四人とそれぞれ引っ付いているピースをしている女の子が四人居た。


「俺たち全員彼女持ちなんだぜ? お前みたいなデブには無縁だろ?」

「言ってやんなよ。こんな奴のことを好きになる女なんて居ねえっての」

「違いねえ!」

「あっはっはっはっは!」


 ……うっぜえ、心底ウザいぞこいつらめ。

 だがまあ、確かに変わろうとしなかったら誰も嵐を……俺のことを好きになってはくれないだろう。

 白雪と翡翠に関しては俺という中身を見て愛していると言ってくれるが、少なくとも何もしようと思わなかったら改めての再会も実現しない可能性もあった。


「ま、彼女が居るのは悪くないことだからな。ちゃんと大事にするんだぞ」


 よし、これで今度こそさようならだ。


「彼女居ない奴が何か言ってら」

「消えろよデブ」


 こいつら、絶対にその内罰が当たるぞ……当たってほしいなぁ。

 四人から離れてランニングを再開したが、やはり俺はあんなやり取りがあっても特に何も傷ついたりはしなかった。

 まあ一つ言えることがあるとすれば、あの写真に写っていた女の子たちは誰も白雪の足元に及ばなかったとだけ言っておく。


「よし、じゃあ昼食も済ませるか」


 ちょうど美味しいと評判の定食屋さんが目の前にあったので、今日の昼はここのお世話になることにした。

 部活帰りの生徒なんかも多く居て運動着姿の俺は特に浮くこともなく、しっかりと腹ごしらえをしてから店を出た。


「ふぅ……食った食った」

「斗真君?」

「ほへ?」


 どうしてここでその声を……。

 チラッと視線を向けると、そこには一人で歩く白雪の姿があった。

 まるでいつぞやと似たような光景だが、話を聞くと俺のことが気になって仕方なくなり昼食を済ませてから友人とは別れたらしい。


「……別に良かったのに、とは言えないか。ありがとう白雪」

「いえいえ、でもやっぱり運動してたんですね? 何となくそんな気はしてました」

「一人だからな」

「ふふっ♪」


 じゃあ……もう帰るか。

 白雪と並んで家までの道を歩く中、何の因果か俺はまた彼らと出会った。


「お、郡道……え?」


 しかし、隣に立つ白雪を見ての当然の反応につい笑みが漏れそうになる。

 俺は白雪に何があったのか簡単に教えた後だったので、彼らのことを明確に察した白雪は何も事前に口にすることなく、俺の唇にキスをするのだった。

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