誕生日
白雪と買い物に出た翌日のことだ。
誕生日当日だというのに翡翠は仕事に出るまでの間、何も俺や白雪に誕生日のことを口にすることはなかったので、やはり白雪が言っていたように誕生日そのものに意味を見出せないのが癖になっているようだ。
「思った通りでしたね?」
「あぁ」
仕事に向かった翡翠のことを言っているんだろう。
いつもと変わらない様子で仕事に向かい、俺たちがどんな準備をするかも全く予想していないようだった。
「……なあ白雪」
「なんですか?」
「俺、妙に緊張してるよ」
「ふふっ、それでは緊張を和らげましょうかね」
ソファに座る俺の隣に彼女は腰を下ろし、そのままグッと距離を近づけて引っ付いてきた。
これで緊張が和らぐのかどうかはともかくとして、俺を落ち着かせようとこんな風にしてくれるのはある意味間違ってもいない。
「白雪ぃ……」
「あなたのお嫁さんの白雪ですよぉ?」
白雪もそうだけど、翡翠にも抱き寄せられるととても安心するのはいつもだ。
ぷにぷにと俺の顔を包み込むこの柔らかさ……これはあれだ。母性という名の暴力なのかもしれない。
同い年の白雪にもそれを感じるのはおかしいかもしれないが、感じてしまうのだから仕方ない。
(しっかし……大丈夫かなぁ)
何を大丈夫かと思ったのか、それは翡翠へのプレゼントだ。
白雪が傍に居たことと翡翠からカードを渡されているので、言ってしまえばお金の心配はないのでなんでも買えるのは間違いなかった。
しかし、色々と考えた結果そのお金に手を付けてのプレゼントは違うと思った。
『それなら……こういうのはどうですか?』
そう言って白雪が俺に提案したものを採用させてもらった。
それはお金が全くかからないものだったけど、もちろんそれとは別に白雪と一緒に選んだプレゼントに関してはお金を使わせてもらった。
「何を悩んでいるんです?」
「用意したプレゼントが喜んでくれるかなって」
「大丈夫ですよ。こう言ってはなんですが、斗真君からもらうもので嬉しくないものはないと思います」
「そう……かな。まあ、その何でもに甘えるわけじゃないけど翡翠が喜んでくれる顔を想像しておくか」
白雪が言ったように何も心配はなくなってきたな……うん、良いことだ。
それから俺は白雪と二人っきりで過ごすことになったが、今日は特に夕方まで暇とはいってもどこかに出かけたりはしなかった。
そうなってくると必然的に俺たちの間で会話が多くなる。
「あれからどうだ? 俺が見てる限りは何もないけど」
「それこそ大丈夫です。思った通り何もないですから」
それなら良かったと俺は頷く。
「斗真君の方こそどうですか?」
そう言われ、俺は思い出すことがあった。
実は電話もそうだがメッセージも父を除いていくつか届いており、中でも特に母親からの着信が多かった。
既に着信拒否にしたので関わりはないのだが……今まで音沙汰が何もなかったのにいきなり連絡をしてきたのはおそらく俺のことを知ったからだ。
(たぶん……少しでもお金を搾り取れればとか思ってんだろうなぁ)
郡道家は確かにエリート一家ではあるのだが、野心のようなものが溢れているのも間違いないので、鳳凰院との繋がりを得たとなれば興味の一切が無かった俺に対して声をかけてくるのも頷ける。
「何かあるんですね?」
「……まあな」
通話に応じたわけではないのでそうとは限らないし、これはあくまで俺の勝手な想像の範疇を出ない。
なのでそれも踏まえた上で、俺は白雪にこのことを伝えた。
「なるほど……面倒な連中ですね」
面倒な連中だと、そう言った白雪の声は冷たかった。
今の俺たちは相変わらずソファに座っているが、最初の時と体勢は少し変わっており、俺の腿と腿の間に白雪が座っている格好だ。
背もたれに深く背中を預ける俺に彼女もまた身を預け、そんな彼女を俺は抱きしめながら色々と感触を楽しんでいる。
「ま、仕方ない部分はあるんじゃないかって思ってしまうな」
「確かにそれはありますね。鳳凰院の財力は母が成し遂げた成果なので、私が色々と言うのはおかしいんですけど、多くの人が喉から手が出るほどに欲しいモノだと思っています」
そう、それだけの財が鳳凰院にはあるわけだ。
「私も母もこの世界を壊そうとする者や、ちょっかいを出そうとする者は遠慮なく潰せば良いと思っています。それは斗真君の元家族も同じ、そうしないのは斗真君がどうでも良いと思っているからです」
「あぁ」
「ですが例外もあって、斗真君がたとえどうとも思わないとしても……何か分かりやすい形でしてくれば遠慮なく叩き潰します」
「っ……」
顔をこちらに向けてそう口にした白雪に俺はゾッとした。
今までにも何度か白雪の様子に怖いものを感じたことはあったが、そのどんな時よりも俺は恐怖を覚えた。
自分に向けられた言葉でないのは分かっているのに、俺との世界を守るためならなんだってするんだという意志を携えたその瞳が怖かったのだ。
「今の、怖かったですか?」
「……少しな」
「嘘ですよね? 少しではないはずです――今のあなたの反応、脈の加速から視線の動かし方、その全てを考えると少しではないですよね?」
……怖い、怖いよ白雪さん!
白雪はクスリとも笑うことなく、瞬き一つせずに俺を見つめてくるので、そんな彼女の視線から逃れるように視線を逸らす……ことは出来ない。
(……俺、なんでこんな思いしてんだ?)
ジッと見つめてくる視線には視線さえも逸らすなという意志があった。
俺はつい耐えきれず、微動だにしない彼女の胸元に手を添えて揉む。冷え切った空気を溶かすような興奮を俺に覚えさせる柔らかな感触、たとえ胸を揉んでも白雪は表情を一切変えない。
「もみ……もみ……もみもみ」
「っ……ぅん……」
しかし、段々と無表情を極めていた彼女の頬に赤みが差した。
下着と服の布があっても貫通する小さなそれにも触れると、ついに白雪は表情を崩して少しだけ脱力した。
「……それで、さっきの表情と雰囲気の意図は?」
「簡単なことです。あんな雰囲気を醸し出す女が、斗真君の手の動き一つでこうなってしまうのです。かなり興奮しませんでした?」
「……………」
はい、内心ではかなりしていました。
そこで彼女はやっと怖い雰囲気を無くし、一度立ち上がって俺の方に体を向ける形で再び座った。
ガッシリと両足を俺の後ろで絡ませる少し行儀の悪い格好だが、それだけ少しばかりスイッチが入ったんだろう。
「今日は記念日ですし、程よいイチャイチャで時間を過ごしましょうか」
それから白雪と少し触れ合った後、昼を過ぎた頃には少し眠くなって白雪に膝枕をされながら眠りに就いた。
そして、ついにその時がやってきた。
翡翠が帰ってきた頃には今日の夕食であるしゃぶしゃぶの準備は整っており、帰ってきたばかりの翡翠はどうしたのかと目を丸くしていた。
「えっと……今日何かあったかしら?」
「見てください斗真君。やっぱりですよ」
「やっぱりだなぁ」
いよいよもって彼女は困惑していた。
白雪がそっと背中を押してくれたので、俺は翡翠の前に立ってこう伝えた。
「誕生日、おめでとう翡翠」
「あ……そっか。今日って私の……」
そこでようやく彼女は思い出したようだった。
最初は笑っていたのに感極まったのか段々と瞳に涙が滲み、翡翠はゆっくりと俺に体を預けてきた。
「……長年忘れていたわ。自分に誕生日というものがあったことに」
「そこまでだったんだなやっぱり」
「そうね……でもそうか、今年からはあなたが祝ってくれるのね」
「おうよ。これからずっと……もちろん、白雪も一緒に」
「はい♪」
翡翠を抱く俺、俺を抱きしめる翡翠、そんな俺たち二人を両手を広げて抱き着いてくる白雪。
やっぱり……良いもんだなこうやって祝えるってのは。
それからしばらくそうしていたが、ついに俺は彼女に例のものを渡す。
「ということで、早速渡させてもらうよ。誕生日プレゼントだ」
「……“なんでもしてあげる券”?」
そう、これが白雪の提案だったものだ。
俺の手作りチケットを見た翡翠は大事そうに胸に抱え……そして、何を思い付いたのかニヤリと笑った。
その笑みは彼女の美しさを損なうほどに崩れたモノで、まさに悪魔の微笑みと言われてもおかしくないものだった。
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