対比

 その光景はある意味で必然とも言えた。


「ちょっと、あなたどういうことなの?」

「……それは」


 郡道家の食卓にて、嵐の父である景隆は妻の由香里ゆかりから追及を受けていた。

 その内容は自分たちの息子である嵐のことについて……景隆としては特に知らせるつもりはなかったのだが、実際に翡翠から話を聞いた加奈から全てが伝わった。


「親父、どういうことなんだよ」


 由香里と同じくその場に居なかった義也も景隆にそう聞いた。

 とはいえ、加奈の口から鳳凰院の名前が出た時点で義也はあの時の光景を思い出していた――大学で出来た彼女と買い物を楽しんでいた時、鳳凰院の娘である白雪と一緒に居たことを。


(……あいつが……嵐が婿養子? しかも鳳凰院だと?)


 加奈は全てを家族の食卓で伝えた。

 嵐が婿養子として鳳凰院の元に向かうこと、鳳凰院の娘と婚約をすること、そしてそれが決定的でもあった鳳凰院翡翠とのお出掛け……義也は唇を噛んだ。

 そんな義也を知ってか知らずか、話は続いていた。


「鳳凰院ってそんな……嘘でしょう? だってあの家は日本で三本の指に入るんじゃないかってほどの家なのよ? それなのに嵐を……あの出来損ないを?」


 由香里は決して信じはしなかった。

 加奈がいきなり言い出したことではあったが、愛する娘の言葉なので信じたい気持ちはあってもあまりに内容が突拍子もないからだ。

 由香里にとって夫の景隆は一家の大黒柱としても不十分なく優秀で……嵐を除いた子供たちも優秀で将来は安泰だと言える。

 由香里は景隆と知り合って何一つ不自由はなかったが……それでも、鳳凰院というビッグネームには人間として惹かれるものがあり、そのおこぼれをどうにかもらえないかと嵐を利用する算段も頭の隅で考えていた。


「……もう嵐のことは良いだろう。既に書面上で交わしたことだ……義也も加奈も嵐のことは忘れろ」


 景隆から言えることはそれだけだ。

 ただでさえ首に死神の鎌を添えられている状態だというのに、加奈が嵐に対して色々と言っていた時に翡翠の表情の変化には景隆も気付いていた。

 翡翠が嵐のことを気に入っているのは明白であり、本当に大切にしていることが分かったからこそ景隆は触らぬ神に祟りなしというスタンスと取ろうとしている。


「この家のことを……会社のことを、これからのことを考えるのならたとえ街中で嵐と会ったとしても一切の接触を禁じる」

「な……」

「……あなた! 鳳凰院なのよ!? もっと色々と――」

「もうこれは決定事項だ!」


 なおも口を開こうとする由香里を景隆は遮った。

 決して怒鳴るつもりはなかったが、これ以上嵐に関してこちらから接触しなければ秘密は守られる……会社での地位も、家庭での信頼も、その全てが守られるからこそ景隆はこう言う他ない。


「もう一度言うぞ。既に嵐はあの方の元に向かうことは決定し、18歳になった段階で彼女の娘さんである白雪さんと婚約する。これはもう決まったんだ、そして嵐は郡道家の人間ではなくなり鳳凰院嵐になる! 分かったか!」


 言いたいことを良い終えたかのように、景隆は食器を片付け始めた。

 由香里、義也、加奈の三人はいつもは決して見ない景隆の姿に唖然としたものの、そこまで言われてしまっては仕方ないと口を噤んだ。

 ただ……それでも三人の中にあったのは嫉妬にも似た感情だ。

 まず景隆を含めた家族にとって、嵐というのは汚点に近い存在だ。

 家族に居たことすら忘れてもいいと考えるほどに邪魔だった存在……その程度の存在だったはずが鳳凰院に見初められ、これから先何十年という先の安寧が約束されられたようなものなのだから。


(……鳳凰院の娘と結婚……そんなの、贅沢し放題じゃないか。しかもあんなに美人がずっと傍に居て……嵐風情がなんで!!)


 ずっと見下していた弟が最高の人生を歩もうとしている。

 もちろん義也もエリートの一員であり、将来はほぼ約束されており、良い所のお嬢さんと健全なお付き合いも出来ている。

 そして何より、その彼女の助言を守るように加奈に言い包めたこともあった。

 だがそれでも……鳳凰院というビッグネームを前にしてしまってはやはり、彼もまた嫉妬してしまう人間の一人だったわけだ。


「何が……どうなってるのよ」

「……………」


 郡道家は突然のことに驚きに満たされている。

 それでももう、嵐はこの家に戻ってくることはなく……彼はもう鳳凰院の人間として生きる未来は決まったのだ。

 正に、大魚を逃したとはこのことだろう。


▽▼


「……はっくしょん!」

「あら、風邪ですか?」

「大丈夫?」


 突然のくしゃみに白雪と翡翠に心配をかけてしまった。

 特に風邪ではなさそうだし、単に鼻がムズムズしてための突発的なくしゃみだろうか。


「誰かが噂をしたのかも」

「ふむ……もしかして元ご家族とか?」

「あり得そうね。あの人、問い詰められてるんじゃない?」


 ニヤニヤとしながら翡翠は言った。

 もしかしたらそうかもしれないけど、もう俺にとっては本当にどうでも良いことなので気にすることはない。


(……というか、くしゃみの原因ってこれじゃないのか?)


 今、俺たちが居る場所は風呂場だ。

 何気なしに一人で着替えを持ち風呂場に向かった俺に白雪と翡翠は着いてきて、一緒に服を脱ぎ出した段階でおやこれはと思った時には遅かった。

 素っ裸になった俺の両腕を裸の彼女たちが抱き、そのまま引っ張られるように浴室に移動し……そして体を洗ってもらっていた。


(もう夏だから全然寒くなんてないけど……変に興奮しすぎて頭がおかしくなってるんだきっと)


 既に彼女たちと深いことをしているので今更感はある。

 それでも二人の美女と風呂に入るだけではなく、彼女たちが二人で俺の体を洗ってくれるというのは何とも言えない罪深さを感じていた。

 しかも……タオルを使う洗い方じゃないのが更に凄い……凄いとしか言えない。


「気持ち良いですか?」

「気持ち良い?」

「……最高だ」


 もうね、ぷにぷにとした感覚が病みつきになりそうだ。

 流石に風呂場で燃え上がると……それも悪くないが、あくまで体を洗いに来たということを忘れてはならない。

 俺は心を鋼にして耐え凌ぎ、その後三人で湯船に浸かりのんびりとしていた。


「……やっぱり風呂はこうでないとなぁ」


 体を洗った後、少し熱いなと感じる湯船に浸かるのが気持ちが良い。

 かなり気の抜けた顔をしていたのか、白雪と翡翠がクスッと笑って身を寄せてきたので、俺は正に最高のシチュエーションで最高の感覚を抱きながら、最高ののんびりタイムを享受することとなった。


「それにしても本当に細くなってきたわね?」

「だろ? 中々良いんじゃないかって思うんだ」


 俺の二の腕を揉みながら翡翠が言ったので、俺はそうだろうと腕だけでなくお腹も彼女に触らせた。


「こっちはもう少し頑張らないとね?」

「……ちょっと調子に乗ったか」


 この贅肉はまだまだらしい。

 お腹から徐々に下側に動く手を掴むと、翡翠は拗ねたように可愛く頬を膨らませたが俺は気にしない。

 そして翡翠と入れ替わるように白雪の手が近づいてきたけど、それも阻むと同じように白雪も頬を膨らませた。


「あなたたち似すぎじゃない?」

「親子ですから」

「親子だもの」


 そりゃそうだと俺が笑うと、二人もまたクスクスと笑った。

 それから風呂を出て部屋に戻った後、改めて俺は何を思ったのか郡道家のことを思い浮かべた。

 もしも俺の事情を完全に彼らが理解した時、きっと混乱するだろうしどうしてなんだと疑問に思うことは確かだろう……それでも、その瞬間に少しばかりの喜びを感じるのは果たして……性格が悪いのかなと思わなくもなかった。

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