親は娘を愛す
後一週間もすれば夏休みというところまで来た。
運動はもちろん続けるつもりだけど、その最中もそれ以外も基本的には白雪と翡翠の二人と一緒に過ごすことになりそうなので……なんだ、本当の意味で甘やかされ過ぎて幼児退行でも起こすんじゃないかと少し不安になる。
(主に翡翠が原因だけどさ……)
彼女も白雪と同じで俺の女という括りにはなっているのだが、以前から言っていたように翡翠が俺の前で一人の女としても、そして母親としても在ろうと接してくるのが本当に刺激が強すぎる。
直近で学期末テストがあり、その勉強に関しては白雪からスパルタのように叩きこまれた。
『しっかりと公式を覚えることが大切です。楽なやり方なんてない、それだけは前もって言っておきますよ? 斗真君、あなたが勉強を教えてほしいと言ったのですから厳しくしますからね?』
飴だけの翡翠とは違い、やっぱり白雪は俺を甘やかすだけではなく厳しいこともしっかりと言ってくれる。
俺自身はそんな彼女の言葉に言いすぎだろと思うことはないし、むしろ浮ついている心を引き締めてくれる有難さを感じていた。
『お疲れ様です。よく頑張りましたね? さあ少し休みましょうか、何かしてほしいことはないですか?』
鞭の後には甘い飴……時と場合によっては白雪の方が強烈なほどに俺の心をこれ以上に溶かそうとしてくるのだ。
かと思えばもっと甘えてほしいと翡翠も強く愛を囁いてくるし、俺はもうこれ以上を望めないほどに幸せを満喫していた。
「……洋介かぁ」
そして、落ち着いてくると決まって頭に浮かぶのが洋介のことだった。
この世界の主人公として白雪と結ばれるはずだった存在……だが、ゲームの主人公として感情移入が出来ない人間だと分かり、そこから彼に白雪たちを渡したくないと俺は思うようになって……そして今の形になった。
彼から白雪を渡さなくて済んだ、彼の前で白雪と触れ合うことで優越感を抱いたこともあった。
「後悔はないし悪いとも思わないけど……流石に悪役が過ぎたか?」
俺と白雪は洋介の気持ちを知っていた。
彼が白雪に対して並々ならぬ想いを抱いていることを知りながら、それを一番分かりやすい形で否定したのだ――彼にとって最悪とも言える形で。
「……俺、こんな奴だったのかなぁ」
あの時のことを思い出すと……その、なんだ。
性格が悪いと言われたらそれまでだけど、あいつに見せつけるように白雪と触れ合っていたのは本当に気分が良かったのだ。
「悪役クソ野郎の才能があるのかもな」
なんてことを思いつつ、一歩別の世界になったら完全にこの純愛ヤンデレ世界がNTRモノ世界に早変わりだなと俺は笑う。
「暗いな……まあ当たり前だけど」
夜にもなって部屋に一人だと妙に落ち着かない。
毎晩毎晩彼女たちと触れ合っているような爛れた生活もどうかと思いはするし、こうして一人の時間を過ごすことは色々と落ち着ける時間だ……ただ、傍に彼女たちの誰も居ないことに対して落ち着かないのはもしかしたら、彼女たちの巧みな戦術なのかもしれない。
「ま、今更だよな」
そもそも言っていたじゃないか。
離れていることを寂しく思うようになり、片時も離れたくないと考えるようにさせると……それを今、明確に実感しているだけの話だ。
「おのれ白雪と翡翠め……はぁ、ちょっと運動しよ」
俺はベッドから起き上がり、部屋の中を回るように歩き始める。
部屋が広いのもあるしテーブルとかそういったものも置いてないので、こうして動き回ってもそれなりに広い。
しばらく歩き続けた後、俺の体は引き寄せられるようドアに向かった。
ドアを開けて廊下に出るとそのまま向かう先は……今日は翡翠の部屋だった。
「翡翠、入って良いか?」
「斗真君? 良いわよ」
ノックをして声を掛けるとすぐに返事があった。
中に入るといつもの際どい姿で翡翠はベッドに腰かけており、突然部屋にやって来た俺を見て小さく微笑んだ。
「いらっしゃい」
「……………」
全てを見透かしているような彼女には頭が上がらない。
高校生の娘が居るとは思えないほどの若々しい肉体は見飽きることはなく、たとえ意識しなくても自然を視線が吸い寄せられてしまう。
まあどれだけジロジロ見たところで翡翠は嫌がらないのだが、俺はコホンと咳払いを一つしてから彼女の隣に腰かけた。
「寂しくなったの?」
「もう分かってるみたいじゃん」
「分かるわよ。あなたのことならなんでもね」
そう言って翡翠は俺の頭を抱くようにして胸元に引き寄せた。
白雪がそっと寄り掛かって来ることが多いとするならば、反対に翡翠はこうやって俺を抱き寄せようとすることが多い。
その違いはおそらく彼女が大人だからだろうか。
「……夜になって」
「うん」
「寂しくなって……結局こうやって翡翠の部屋に来た。完全にこれ、二人が思い描いたシナリオだよな?」
そう言って柔らかな二つの山から顔を上げた。
すると、彼女は笑っていた――以前に、そしても今も時々見せてくれるあの暗くなった瞳を携えて。
「もちろんじゃない。でもまだまだ序の口だわ――もっともっと、あなたは私たちから離れられなくなる」
「っ……」
その声に感じたのは恐怖ではなく……喜びだった。
翡翠は俺の頭を撫でながら、そして次に両手で顔を挟むようにして添えてきた。
「でもね? 誤解しないでほしいのは斗真君が嫌がるような打算はないということ。私たちはただただ、あなたを愛しているからこうしているだけなのよ。たった一度あなたに惚れただけならこうはならなかった……何度も何度もやり直して、その時間の積み重ねが私たちのようなモンスターを生み出したのよ」
「自分のことをモンスターって言うんだ……」
「似たようなモノでしょ。こんな風に他人を愛する人間、居るかもしれないけれどそうそうお目にかかれるものじゃないわ」
「そりゃそうだ」
白雪や翡翠のような人たちがそうそう居てたまるものか。
俺は自分の体が重たいことを理解しながら、翡翠の負担にならないように彼女を押し倒し、顔を押し付けるようにして甘える。
「うふふ。特に何かをするでもない、それでもこうやって甘えてもらうだけの光景をどれだけ待ち望んでいたか……これがこれからずっと続くとなると、私も白雪も頬が緩み過ぎておかしくなるかもしれないわね」
「そんな顔も見てみたいものだけどな」
たとえどんな風になってもその端正な顔立ちが崩れるとは思えないが。
その後、俺と翡翠は特に何かをするでもなく身を寄せ合いながら雑談を交わし、そしてあまりにも自然な動作で俺は彼女のベッドに入った。
「こういう時、白雪にちょっと優越感があるわね」
「そうなのか?」
「えぇ。だってあの子、事あるごとに私にマウントを取ってくることあるでしょ?」
「……あ~」
「あれ、誰に似たのかしらって思ったのよ。思いっきり私だったわ」
「うん。何となく分かるかも」
翡翠はグッと体を寄せてきた。
そうして語られるのは白雪に対する母の言葉であり、そして女としてのプライドも織り交ぜたような魂からの叫びだった。
「私だってね? 悔しいと思うし娘のくせに生意気って思うことはあるの! でもあの子が私を煽るたびに若い頃の自分を見ているようだし、得意げに笑う顔なんて学生時代の友人を煽る私にそっくり!」
「そ、そうなんだ」
「生意気……本当に生意気だわ。でも私と同じで斗真君を愛しているわけだし、ただでさえ可愛い娘だし、大切でいつまでも見守りたいって思ってるし……」
「結論、翡翠は白雪のことが大好きってわけだ」
「当たり前でしょ。娘のことを嫌いな母親なんて居ないわ」
「だな……俺の場合は例外だったけど」
「忘れなさい」
はい、忘れることにします。
翌日、どうしてこっちに来てくれなかったんだと白雪に詰め寄られたが……今度は翡翠がマウントを取る立場になって激しい言い合いが幕を開けた。
「お母さんよりも私の方が癒してあげられます!」
「あら、昨日の斗真君はとても癒されていたわよ?」
「ふ、ふん! きっと加齢臭で鼻を摘まんでいたはずです!」
「……吐いた唾は飲めないわよ小娘」
「やりますか?」
「上等じゃないの」
いやぁ、本当に平和だねぇ。
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