鳳凰院の懐事情

 後少しで夏休みも目前だ。

 小学校、中学校と家に居ても誰にも相手されず、高校生になってから去年は一人で過ごした記憶は残り続けているが、今年はそれもないんだなと思うと嬉しくなる。

 俺が鳳凰院家に住み始めて既に数日が経過したが……まああれだ、本当に人生というものが上手く行き過ぎて逆に不安になるほどだ。


「……いやぁ、人生何があるか分からねえなぁ」


 たとえ家族から見放され、それこそ底辺と呼ばれているような人間になったとしても、奇跡が起きて今のようなことになるんだな……そうは言っても流石に今の俺は例外中の例外ではあるんだが。


「あれから洋介からのアクションはないし家族からも何もない。まあ、他の家族に父が何も伝えてなさそうだもんな」


 どんな脅しをかけたのか詳しく翡翠に聞く機会があったけど、確かに父は悪いことをしていたわけだが、それが表沙汰になると父の首は間違いなく飛ぶし、周りからもしばらく白い目で見られることは確定で今の築き上げた立場は跡形もなく崩れ去ることだろう――更に言えば、家族という形が残るのかも怪しい。


「ま、関係ねえか」


 もう俺にとっては何も関係のないことだ。

 白雪や翡翠と共に過ごすようになってようやくあの家のことを隅から隅まで頭に入れたし、もう何も引っ越したことで困ることはなさそうだった。


「そろそろ終わるかな?」


 今は放課後で俺は屋上に訪れている。

 すぐに帰っても良かったのだが、今日は白雪がいつぞやぶりの日直ということで仕事が終わるのを待っている。

 その仕事もそろそろ終わるかなと思って教室に戻ろうとしたところ、屋上の扉が音を立てて開いた。


「……あん?」

「げっ」


 屋上に現れたのは斎藤だった。

 相変わらずの派手な格好をしている彼と目が合うのは面倒だが、最近ではあまり絡んでこないので特に何も思うことはない。

 しかし、こうして二人だけの空間で顔が合った場合は別らしい。


「なんだよ、居たのかよデブ」

「居て悪いかよ」


 いつになったらこいつは俺のことをデブと呼ばなくなるのか……というかその口の悪さは将来のことを考えて止めた方が良いと俺は思うぞ。

 俺は特に何も話をするつもりはないので、そのまま脇をすり抜けようとした。


「おい」

「……なんだ?」


 なんだよ、何か言いたいことがあるのかと俺は視線を向けた。

 斎藤は俺の顔を見るようなことはなく、ジッと正面を見つめたまま言葉を続けた。


「最近、ずっとお前がランニングしてるのを見かけるぜ」

「……あ~、そうだな」

「そんなにデブって言われているのが悔しいのかよ」


 その言葉に俺は頷いた。


「そりゃ悔しいだろ。まあ理由はそれだけじゃない、単純にこの体があまりにも重たいからな。それに将来のことを考えれば痩せといた方が色々と良いだろうしな」

「……まあな」


 ……なんだ?

 さっき俺にデブって言ったのはともかくとして、いつもに比べて勢いがない気がするんだが。

 珍しいなと思ってジッと見つめているとボソッと斎藤は言葉を続けた。


「そのどうしようもない体の肉を揺らして、無様に汗を掻いて……正直何をそこまで頑張ってるんだだっせえって思った。でも……そうやって運動をしているお前は楽しそうだったし、何より満足したような顔をしてやがった。鳳凰院さんもそんなお前の傍で笑ってて……なんつうか、必死に何かをしようとしている人間を他人は見ているんだなって……お前と鳳凰院さんを見て分かったんだよ」

「……熱でもあるのか?」

「うるせえよ」


 憎まれ口は変わらないが、それでも以前のような喧嘩腰ではなかった。

 でもまあ俺から斎藤に何かを言おうとは思わないし、仲が改善されたところで何かが変わるとも思っていない。

 とはいえ正直このまま何も言葉を返さないのはスッキリしなかったので、俺はこんな言葉を返した。


「……ま、何かを頑張るってのは何気に面白いもんだぞ? ダイエットも大変だけど応援してくれる人が傍に居る……それだけでお前が見たように頑張れるんだわ」

「んなことは言われなくても分かってるよ。つうか、鳳凰院さんとお前があんなに仲が良いってどうなってんだよ」

「悪いかよ」

「悪いに決まってんだろ。お前みたいなデブ野郎がなんであんな美人と仲良く寄り添えてんだよ……でも、何も言えねえ。鳳凰院さん、お前と一緒に居る時は本当に楽しそうだったからな」

「そう見えたのか」

「それ以外に見えねえだろ。派手な格好してオラつくより、地道に変わろうとして頑張っている奴の方がそりゃかっこいいわなぁ……はん、つまんねえぜ」


 それから何も喋らなくなった斎藤と別れ、俺は教室に戻った。

 ちょうど仕事を終えたようで白雪は荷物を纏めており、俺ほどではないが今回の相方でもあったぽっちゃり体型の男子も荷物を纏めていた。


「あ、とう……じゃなくて、嵐君」

「おっす。お疲れ様だ」


 俺は鞄を持って白雪と並んで歩き出す。

 そんな中、残っていた男子が声を掛けてきた。


「それじゃあ鳳凰院さん、また明日――」

「今日はお疲れ様でした」


 白雪は一切そちらを見ることはなく、短くそれだけ言って歩き出す。

 男子は面白くなさそうに何故か俺を睨んできたので、俺も特に反応することなくサッと視線を逸らして歩き出した。


「また屋上に行ってたんですか?」

「まあな。あそこはやっぱり落ち着くぜ」

「ふふっ、それは分かりますねぇ。それに人も来ないし、あそこでなら色々と二人で出来そうですけど」

「学校だぞ白雪」

「……ぶーぶー」


 なんだその膨れっ面可愛すぎだろ。

 俺と白雪は周りからの視線を気にすることなく校内を歩くのだが、ここ数日の間に彼らにとっても俺たちの姿は見慣れたものだろう。

 俺と白雪は付き合うとかそういう次元の関係性でないとはいえ、俺たちがどんなものかを彼らは知らないし知らせるつもりもないのは当然だ。

 けれど、やはりいきなり一緒に居ることが極端に増えた俺たちについて色んな噂が囁かれているのも確かだった。


「色々と噂はありますけど、私が鳳凰院というのが大きいみたいですね」

「だな。鳳凰院の大きさは知られているし、俺が白雪に何かをしたっていうのがまず考えられないみたいだし」

「実際されてませんけどね? 逆にしている方なのですが」

「そう、俺はされている側なんだ間違いない」


 だって今日の朝も……くぅ、毎日毎日幸せをありがとうございます!

 ニヤニヤと見つめてくる白雪から視線を逸らしつつ、俺は何故か今になって気になることがあったので彼女に聞いてみた。


「なあ白雪、そういえばずっと聞きたいことがあったんだよ」

「なんですか?」

「元々の世界で郡道嵐はすぐに退場するだろ?」

「はい」

「その後って……どうなったんだ?」

「……う~ん」


 これが実は気になっていたことなんだ。

 嵐が警察に世話になるまでは語られているものの、その後のことは特に描写もされていなかった。

 実際にその世界で生きた白雪なら何か分かるかもと思ったが、どうも白雪もそのことは分からないらしい。


「特に詳しいことは知りませんねそう言えば……その、あの時の私にとっては心底どうでも良いことだったので――あぁでも、家族から完全に見放された旨の話は僅かに聞いたことがありますね」

「なるほどな……って、あまり変わらなそうだが」


 うん、嵐に関しては何も変わらなそうだな……。

 結局何も出来ずにフェードアウトして、その後も誰にも知られず居なくなるのも変わらないのか……ま、これに関してはもう考えることもないか。


「実はさっき連絡が入ってたんですけど、母は帰りが遅くなりそうです。なので夕飯はまた二人で済ませてくれとのことですよ?」

「最近本当に忙しそうだな」

「可能な限り、母も斗真君と一緒に居る時間を確保するために仕事を割り振っていますからね。もう上に立って働かなくても孫の代のその次くらいまで十分な貯金はあるとか言っていたくらいですし、それだけ母も斗真君との時間が欲しいんですよ」


 金持ちしか言えない台詞じゃないか……ただ、ボソッと白雪は更に呟く。


「まあ、実際にはまだまだあるのが母の懐事情なんですけども」

「……………」


 鳳凰院家……半端ないって。

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