とらわれの館永住計画
「……なんか、すげえ見られてるな」
ついに引っ越しの日がやってきたわけだが、俺は今ジロジロとアパートの住人から見られていた。
こうして他の住人に対して言及するのは初めてのような気もするが、嵐は大家さんも含めて一切の交流を持っておらず、挨拶をすることすらなかったようで関係性は最悪の一言……いや、最悪よりも無関心だろうか。
「……ま、仕方ないんだけどさ」
「どうしました?」
「どうしたの?」
ボソッと呟いた彼女たちに俺は何でもないと首を振った。
まあこうして嵐である俺が引っ越すことに彼らが興味津々なのではなく、俺の傍に居る白雪と翡翠が注目を集めていると言っても良い。
今回俺の少ない荷物を運んでくれる引っ越し業者の方はともかく、翡翠が白雪と共に乗ってきた車は見るからに高そうで、車に詳しくはないがもしかしたら何千万とする高級車のような気もする。
「……えっと、郡道君。彼女たちは一体?」
困惑した様子の大家さんがそう聞いてきたが、俺としては彼に対して知り合いという答え以外はない。
そもそも大家さんとも親しくないのもそうだが、初めて彼が白雪たちを見た時に気色の悪い視線を向けたのもあってあまり知られたくなかったのだ。
「今までお世話になりました」
シンプルにそれだけ言って頭を下げると、翡翠も口を開いた。
「彼は今日から私たちと一緒に過ごすことになります。ご家族の方にも許可はいただいておりますので、彼に関しては何も気にする必要はありませんよ」
「一緒に……?」
次に答えたのは白雪だった。
「大切な人ですから、一緒に過ごすのは当然です。今まで一人暮らしを続けて寂しいこともあったでしょうが、もう何も不自由なく温かい環境の中で過ごしてもらうんですよ。ね、嵐君?」
「あぁ」
俺が頷くと、大家さんは口を大きく開けて驚いていた。
唖然としたその様子はしばらく続き、次に彼が浮かべた感情というのが分かりやすい嫉妬のようなもので、その心当たりについても良く分かる。
嵐に記憶の中にある大家さんはかなりの苦労人らしく、そういった部分もあって俺が分かりやすい幸せを掴もうとしているのが許せないんだろう個人的に。
「終わりましたよ鳳凰院様」
「分かったわ。それじゃあ行きましょう」
「鳳凰院!?」
ここに来てようやく白雪と翡翠の正体にも気付いたようだ。
今度こそ唖然とした様子で何も言えなくなった大家さん、そして大家さんが叫んだことで響き渡った名字に驚く住人を置き去りにするように、俺は翡翠が運転する車に乗り込むのだった。
「……ふぅ」
「お疲れ様でした斗真君」
「あぁ。白雪も、翡翠もありがとう」
「お安い御用よ。でもこれでやっとなのね」
「はい。やっとです……やっと、私たちの世界が始まりを告げるんです」
まるで異世界の聖女か、或いは魔王が口にするような台詞だなと俺は笑った。
しかしそう言った白雪にはふざけた様子は一切なく、本気でそうなんだと自信を持っているような口ぶりだ。
白雪の言葉に翡翠も深く頷いており、それだけ彼女たちの強い意志を感じさせる。
「今日はご馳走を作りましょうか。斗真君の引っ越し祝いに」
「あ、良いですね。私も腕によりをかけて作りますから」
「……ご飯……か」
そうか、今日から誰かの作ってくれる料理を多く食べることになるんだな。
そう考えると少しだけ感慨深い、何故なら前世では高校は学食だったし大学は弁当を買うか作ることもあった……そしてこの世界では時々彼女たちが作ってくれた昼食を除けば手作り料理をそこまで食べる機会はなかったからな。
「……いきなり押し寄せ過ぎなんだよ温かいことが」
そう口にするとまだまだこれからだという視線を向けられる。
そんな中で、隣に座る白雪がそっと体を寄せてキスを求めてきたので、それに応えると運転中の翡翠が羨ましそうにミラー越しに見つめてくる。
「こうやってキスをすることも、もっと深い繋がりを求めることもいつだって出来るようになるんです。もちろん体の関係だけじゃなく、些細なことだってなんでもしてあげますからね?」
まだ本丸には辿り着いてないのに、このまま進んで本当に大丈夫だろうか。
そんな若干の不安を押し潰すような歓喜の中、ついに俺が新たに住むことになった彼女たちの屋敷に辿り着いた。
当然のことだが俺が使う予定の部屋は用意されており、運んできたものは全てそちらに運んでもらった。
「雑巾がけとか色々するつもりだったんだけど……めっちゃ綺麗じゃん」
「当然ですよ。昨日のうちに全て終わらせたんですから」
「そうね。これから斗真君を招くって時に掃除をしないのは失礼でしょ?」
いや……そこは手伝わせてくれると良かったかもしれない。
俺は二人にありがとうとお礼を告げた後、そのまま連れて行かれたのはリビングで今日はもうのんびりしようということになった。
「何がどこにあるか、それについてはもうある程度知っていると思うし……後はそうねぇ。ここはもうあなたの家でもあるから、何をするにしても許可なんて必要ないからね?」
「えっと……それは慣れるまでは無理かもしれないな」
「すぐに慣れますよ。ここはもう斗真君の家でもある……ずっとずっと、ここで過ごしていくんですから♪」
そう……なんだよな。
改めて思うけど、この鳳凰院家がこの瞬間から俺の家にもなるのか……慣れるまでというか、完全に落ち着くまでは少しかかるかもしれないけど、彼女たちが言うように俺はもうこのとらわれの館で生きていくことを決めた。
だからこそ、もうここから逃げることは出来ない……俺はもう、二人のことだけを考えれば良いんだ。
「さてと、落ち着いたところで私は少し席を外すわね」
「お仕事ですか?」
「えぇ。夕方には戻るから……白雪、それまでは独占させてあげる」
「はい♪ 思う存分斗真君を独占させてもらいますね」
そんなやり取りをした後、翡翠は出ていき白雪と二人っきりだ。
頬を赤く染め、ジッと俺を見つめてくる彼女は何も言葉を発さない……ただただ静かに俺を見つめ続けている。
目が合えば嬉しそうに頬を緩める愛らしさだけでなく、俺はいつだって彼女に好きなことが出来るんだという高揚感もあった。
「……白雪ぃ!!」
「きゃっ♪」
隣に座る彼女を押し倒す。
この体である以上、彼女を押し倒す場合には重くならないように細心の注意を払っているのだが、こんな風に僅かに体を浮かして耐えるのもある意味で運動にはなっているので、白雪を押し倒す行為は体幹を鍛えることも出来る。
(なんてな……でも、目の前の彼女のことを思えばこれくらいの辛さは全く持って平気だよ)
とはいえ、今のような状態は白雪も気付いているようだ。
「ふふっ、いつもこういう体勢の時は私を潰さないようにって頑張ってますね」
「そりゃあな。頼むからそんなことを気にしないでくれ、なんて言わないでくれよ」
「分かっていますよ。流石に私も少々辛いでしょうし……まあ、押し潰されるほどの愛と痛みと苦しさを味わえるのも一興ですが」
ダメだぞ? こればかりは何を言われても我慢し続けるからな。
白雪はクスッと笑った後、思いっきり俺に抱き着いた状態でこう言葉を続けた。
「でもいずれはその重さも感じさせてくださいね?」
「分かった。頑張って痩せるわ」
これはもう頑張って痩せる他ないよな。
ま、痩せることについては目標なので決まっているとして……なんてことを考えていると白雪はこんなことも言った。
「ほら、エッチの最後に脱力した状態で寄り掛かってほしいんですよ。お互いに凄く気持ち良くなった状態で余韻に浸れるじゃないですか。もちろんその逆も全然大好きなんですけどね?」
「っ……だから白雪、そういうことをあまり――」
「昂るからですか? 私はいつだって構いませんよ?」
「……………」
いかん、早速この家の洗礼を受けている気分だ。
ムラムラとした感情を抑え、俺はこの状況を打破するために提案した。
「なあ白雪、運動しようぜ」
エッチな運動じゃないからな?
そう伝えると白雪は分かったと頷き、お互いに運動着に着替えて玄関に集合して外に出た。
「今日は新たな出発ってことでやる気がダンチだぞ俺」
「私もですね。さあたくさん汗を掻きましょうか♪」
「おう!」
こうして、俺は白雪と一緒にランニングを始めるのだった。
しかしながら、この場所は彼女の家である……ということはつまり、傍には洋介の家もあるということだ。
まさかこの日、一つの決着がこの後付くとは思わなかった。
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