私たちの世界へ

「……うん?」

「どうしました?」

「いや……なんかどこかでとてつもなく愉快なことが起きたようなそうでないような気がしたんだよ」

「……大丈夫ですか? ほら斗真君、抱きしめてあげますから来てください」


 いやいや、そんな病気じゃないのかみたいな本気の心配はしないでほしいんだが!

 俺は大丈夫だからと白雪に言ったものの彼女はどうしても癒しを提供したいらしく、腕を広げて俺のことを待ち続けている。


「……分かった」


 こうなった場合の白雪は決して退くことはないので、俺は彼女に抱き着く……ということはせずに、不意を突くようにして逆に抱き寄せた。

 白雪は驚いた様子だったものの、すぐに表情を緩めてそのまま動かなくなり、俺たちはずっと引っ付いたままで時間を過ごす。


「それで、愉快なことってなんですか?」

「えっと……感覚的な問題さ。だから分からん」

「なんですかそれ」


 クスッと笑った白雪に俺も苦笑する。

 正直、どうしてこんなことを思ったのかは自分でも分からないのだが……まるで俺としてではなく、嵐として何かスカッとするような出来事が現在進行形で起きているような気がしてならない。


「ま、もしかしたら何もないかもしれない可能性の方が高いし白雪もあまり気にしないでくれよ」

「ふむ……ですが、なんとなく私も分かる気がします」

「え?」


 俺から離れた彼女はう~んと考えた後、こんなことを口にした。


「まるで母が何かを楽しんでいるような……それを感じます。斗真君と同じでそれ自体が何かは分かりませんが」

「ふ~ん? まあなんつうか、お互いに良く分からないものを感じたってことで」

「そうですね。今日帰ったら母にそれとなく聞いてみましょう」


 それで何かあったら俺も教えてもらおうかな。

 それから昼休みがギリギリ終わるまで俺たちはこのまま過ごすことにしたのだが、俺は少し彼女に聞きたいことがあった。


「なあ白雪」

「なんですか?」

「俺たち……別に付き合っているわけじゃないよな今は」

「そう……ですね」


 そう、俺たちは別に付き合ったりはしていない。

 俺も白雪も翡翠も気持ちが通じ合い体の関係まで持ったのは確かだが、明確に恋人だとかそういう関係性ではないわけだ。

 まあでも、お互いにお互いのことしか考えられないほどではあるが……曖昧な関係性なのは間違いない。


「気にする必要はなくないですか? 私と母と関係を持っている時点で、普通とは違うわけですし……それに、もはや私たちは恋人なんて通り過ぎたほどに深い関係なのは言うまでもありません――私と母は斗真君を離しませんし、斗真君も私たちから離れないでしょう?」

「まあそうだな」

「ならば、もはや恋人なんてものは過ぎてます。私たち、既にもう死ぬまで傍に居ることを約束しているのですから」


 それは……本当に重たいなと俺は感じる。

 ただ、やはりそのことに対して頬が緩むのを感じたし、俺は心からヤンデレという属性を愛しているんだなとひしひしと実感した。


「……? あ、ちょっと待ってくださいね」


 さて、そんな風にのんびりと互いに見つめ合っていた時だった。

 白雪のスマホに電話がかかってきたらしく、また洋介かなと俺は思ったが相手は翡翠だったようだ。


「もしもし。はい……え? あ、そういうことですか。はい……はい」


 何やら俺をチラチラと見ながらの通話なので内容がとても気になる。

 とはいえ、彼女から話を振られなければ会話に割り込むつもりはないので、俺は白雪の横顔を見つめながら電話が終わるのを待った。


「お待たせしました。時に斗真君」

「うん?」

「引っ越すつもりはありませんか?」

「……うん?」


 それはあまりにも唐突な提案だった。

 引っ越すかどうか、それはつまりあのアパートからの引っ越しを意味しているんだろうけど、どうしていきなりそんなことを?


「そうですね。取り敢えず説明しましょうか」


 そうして俺は白雪に説明を受けた。

 今の翡翠の電話がそもそもその内容に関係するもので、それは俺をあっと驚かせる内容だったと共に、さっきの胸がスカッとした予感の答えなんだと分かった。


「……そんなことが」


 どうやら本日、翡翠は仕事の関係で父と会ったらしい。

 父が大手の企業に勤めていることは嵐の記憶で知っていたのだが、まさか仕事の繋がりで翡翠と父が出会うとは思わなかった。


「斗真君の……この場合は嵐君としましょう。嵐君のお父さまとその会社の社長さんはどうしても逃すことの出来ない契約の為に訪れたそうです。内容としては母にとってどちらでも構わないどうでも良いものだったそうですが、それを好機として利用したようです」


 何を好機としたのか、それが俺の存在だったらしい。

 会社同士の契約とはいえ、翡翠の立場からしたら息子に対して酷い扱いをする人間の居る会社は信用できないと……まあそれだけではないが、ここぞとばかりに痛い部分を突いたようでそれは蚊帳の外とも言える社長さんも知らなかったようだが、立場は圧倒的に翡翠の方が上ということもあって口を挟む隙すらなかったらしい。


「斗真君に関しては事後報告ということにはなりましたけど、前々から斗真君が今の家族に対して特に何も思っていないことは分かっていましたから。契約を結ぶ代わりに、お父さまに対して滅多なことをするなと個人的に釘を刺したようです」

「……おぉ」


 俺の知らないところで翡翠が色々と動いてくれたようだ。

 しかし、どうもこればかりではないようで……更に白雪は教えてくれた。


「これも言ってしまいますか。母が持つパイプはあまりにも太く、故に集めることの出来ない情報というのは皆無です。その中で表沙汰に出来ないような不正なんかも見つけたらしく……まああれですね、凄まじいほどの脅しもかけたようですよ」


 ニコッとしながら白雪はそう言った。

 明らかにそんな軽い様子で伝えられることでもないはずなんだが……何となく、今の白雪の微笑みは俺が時々感じる翡翠の怖さを彷彿とさせていた。


「そちらのお父さまに関しては混乱と困惑の極みでしょうが、時期が来るまでは引き続き親子としての関係は続いても、その時が来たら養子として引き取ることの要求も吞ませたようです」

「……そこまでなのか」

「はい。斗真君に伝えずにここまで進んでしまいましたけど……あなたの表情を見る限りやはり今の家族についてはどうでも良さそうですね?」


 いや、正直かなり驚いているよ。

 ただ家族に関してどうでも良いというのは本当なので、俺は口をポカンと開けていた状態だったが彼女の言葉に頷いた。


「まだ色々と準備は残っていますが、将来はもうこちらに来ることは決まりました」

「……そうだな」

「これでもう、逃げられませんよ?」


 グッと顔を近づけてそう言われ、俺は圧倒されながらもそこまで想われていることがやはり嬉しかった。

 大人には大人のやれることがあると、予め翡翠には言われていた。

 翡翠は母親としての包容力はもちろんだが、その立場と地位があるからこそやれることは多岐に渡っており、ゲームでは簡単に語られたことでもこうして実際に彼女の凄さを垣間見ると……良い意味で恐ろしい女性だ本当に。


「それで引っ越すかどうかってことになるのか」

「そうですね……その……」

「構わないぞ」

「……分かりました。嵐君のお父さまはパニックだったようですが、それでもあなたを手放すことに関しては文句は言わなかったようです――つまり、ああやって追い詰められたとしても嵐君のことは本当に邪魔に思っているんですね」

「だろうな……うん、全然悲しくないわ」


 全く悲しくなんてなかった。

 ここまで来ると父を含め俺に近づく家族は居ないだろうし……それならもう、この提案に頷いてしまっても良いのかな。


「……良いのか?」

「もちろんです。来てくださいよ今すぐに――私たちだけの世界へ」


 あまりにも力強く、意志の強い彼女の言葉に俺は頷いた。

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