もうダメだ
捕食される生物の感覚ってこんな感じなのかと、俺は少しばかり実感した。
まあそうは言っても、目の前に居るのは美しい女性なので恐怖のようなものは少ししか感じないが。
「改めて斗真君。いらっしゃい」
「……うっす」
俺がここに来て少しばかりの時間が経過した。
朝の段階では特に何も起きなかったのだが、翡翠が作ってくれた昼食を食べた後に俺は彼女の部屋に誘われた。
(……匂いが……甘すぎる)
匂いが甘いってのは言葉として成立しているかどうか怪しい、しかしながらこのような現状を示す言葉としてはこれしか見つからなかった。
翡翠が俺のことを斗真と呼んだように、互いに俺たちの身に起きたことについては既に周知がされており、俺も彼女のことを現世と同じように翡翠と呼んでいる。
「……翡翠」
「っ……あぁ♪ ダメよ呼び捨てなんて……ううん、このダメは呼んではダメというわけではないの。あなたに対等の立場として名前を呼ばれるだけで疼くのよ♪」
下っ腹の辺りを擦りながら彼女はそう言った。
まるで人間に見せかけたサキュバスのような雰囲気と仕草の翡翠、彼女にはさっきからドキドキしっぱなしだった。
しばらく時間をあげますと自室に引っ込んだ白雪は今、何をしているんだろうか。
「白雪のことを考えているの? 今は私のことだけ見てくれないと」
「……分かってる」
ソファに座る俺の隣に彼女は腰を下ろし、そのしなやかな指で俺の頬を撫でた。
その指は少しばかり冷たかったので、ビクッと体を震わせたがそれ以上の興奮が俺の中に押し寄せて体を熱くさせる。
「ずっとこうしたかった……ずっとずっと、あなたと触れ合いたかった……ずっとずっとあなたを愛したかったし愛されたかった」
その一瞬だけ、彼女は切なげに表情を歪めてそう言った。
その言葉と表情は白雪を彷彿とさせるものであり、やはり彼女たちはどこまで行っても親子なんだと実感する。
「翡翠は……やっぱり怖いな」
「あら、怖いだなんて酷いわね。でも……ふふ、嫌ではないでしょう?」
「全然嫌じゃない」
白雪よりも強烈な女の貌、そして何より捕食者の目をしている。
彼女は夫と死別してからその身に欲望を蓄え続けており、それを今か今かと発散する機会を窺い続けている。
翡翠の過去話では彼女の夫は優れた男ではあったが、育児や家庭方面には無頓着で度々翡翠と衝突を繰り返していた描写も少なからずあった……だからこそ、翡翠は本当の意味で愛し愛されるという行為を数年に渡って忘れていた。
「……翡翠!!」
「あ♪」
だからこそ、俺は翡翠にも欲望を叩きつける。
……いや、というよりはこうせざるを得ないほどに、俺は翡翠の醸し出す雰囲気に圧倒されているのだ。
隣に座った彼女を思いっきり抱き寄せ、白雪よりも更に成熟しているその肉体を楽しむ。
「可愛いわね斗真君は。ごめんね? 今までこうしてあげられなくて、あなたがこうしてこっちに来るまで何もしてあげられなくて」
「それは……仕方ないだろ。だって俺たちはそもそも世界が違った」
「そうね。私たちを隔てるたった一枚のスクリーン……それがどれだけ邪魔で、どれだけ憎らしいと思ったことか……そして何より、あなたではなくあのガキに体を重ねてしまうことをどれだけ憎んだか」
それは初めて聞いた翡翠の強い言葉だった。
まさか彼女がガキだなんて言葉を使うとは思わなかったけど、あのルートを楽しんでいたのはあくまで俺なので、俺が翡翠だけでなく白雪の憎しみも誘発した。
「……白雪の時にも思ったよ。俺はただ、そのシーンを楽しんでいた……でも、二人はそうじゃなかったんだって」
そう伝えると彼女は俺をその胸元に抱き寄せた。
顔全体を包み込むほどの柔らかい弾力が心地良いだけでなく、まるで圧倒的なまでの母性に身を委ねているかのような感覚だ。
「それはもう仕方のないことよ。私の中で憎しみは燃え上がるけれど、それでもその炎はもう意味を為さない。だって私はもうあなたとこうして出会えているから」
顔を持ち上げ、翡翠から濃厚なキスを見舞われる。
脳の中までビリビリと痺れさせるように、別室に居るはずの白雪のことすら考えられなくなり、目の前の翡翠しか見えなくなるかのようだ。
「ねえ斗真君、私のことをこう思ってとそう言うわけじゃないわ。それでも敢えていわせてちょうだい」
「え?」
「私は白雪と共にあなたの女になりたい……そして何より、あなたを深淵よりも深い愛で包み込む母にもなりたい」
「……母親に?」
翡翠は頷いた。
「今の世界でも前の世界でも、あなたのことは良く知っている。だからこそ、あなたのことを私はずっと見守りたいのよ」
「……………」
この世界はともかく、前の世界でも家族からの温もりというのはあまり知らない。
幼い頃には仲が良かったはずなのに気付けばそうでもなくなっていて……そんなギスギスした両親に近づきたくなくて距離を取っていた。
必要最低限の言葉のみを交わし、大学への進学を機に地元を離れてそれっきりだ。
「……翡翠を母親のように……か。その、それは無理だな」
「……そうなの?」
「あぁ。確かに母性は凄く感じるけど、母親のように思う以上に翡翠は女性としての魅力があまりにもあり過ぎる」
そう伝えると翡翠は嬉しいそうな困ったようなそんな表情を浮かべた。
「両親のことも、家族のような温もりもそこまで知らない。でもそれが俺の強さになったことも確かで、ある意味でこうして嵐の体になってもすぐに現状を受け入れることが出来たのもあると思う」
「……………」
「……まあでも!」
「え?」
俺は目の前に座る彼女の胸元にまた顔を埋めた。
柔らかな生地の上から抱き着くだけで、彼女の柔らかさをダイレクトに感じることが出来る素晴らしさ……俺がこうすると、彼女は優しく頭を撫でてくれる。
「……その、時々で良いから甘えたい気持ちはあるよ」
「っ!?」
「でも流石に恥ずかしいって……お母さんってことだろ? その、母さん?」
「……あぁ♪♪」
それは正に歓喜の声だった。
母さんと試しに呼んだら翡翠は満面の笑みを浮かべてまたキスの雨を降らせ、そして彼女はゆっくりと服を脱ぎ始めた。
「良いわね凄く……でも、もっと欲しいわ。言ったでしょ? 母でもあり女として見てもらいたい……さあ斗真君。あなたを想って体を火照らせる女が目の前に居るわ。あなたはどうしたい?」
その問いかけはあまりにも卑怯だった。
さっきまでは母親のように見てくれと言っていたのに、今はもう一人の女として俺を見つめ、すぐにでも愛を確かめ合いたいとその瞳が語っている。
俺は翡翠を抱き寄せ、その柔らかな唇に吸い付いた。
▼▽
白雪に続き、翡翠とも本格的に関係を俺は持った。
二人の女性とそういう関係になった……それは世間では不誠実であっても、当の俺たちがそのことを全く気にしていない。
そもそも、これ以外の結果を求められるわけがなかったのだ。
「素敵……素敵よ斗真君」
「翡翠こそ凄かった。……憧れだったんだ本当に」
お互いに裸で俺たちは抱き合っている。
事後の余韻に浸るかのように、俺たちはただただ見つめ合いながらお互いの温もりを感じていた。
「……もう止まらないわ。私と白雪は突き進むだけ……覚悟してね斗真君。あなたはもう私たちに捕まったわ」
「そう……だな。でも後悔はないよ。重い愛情は好きだし」
「うふふ♪ それも分かっていたわ」
目の前でクスッと笑った翡翠を見ていると、これで本当に後戻りは出来ないんだなと俺は思う。
もちろん後戻りをするつもりはないし、もはや俺がどう足掻いたところで二人から離れることは出来ないだろうし離してもらえることもなさそうだ。
「でもさぁ翡翠」
「なに?」
「……その、女の貌と母の貌を行ったり来たりは止めてくれ。正直どうにかなってしまいそうだったし」
「別に良いのよ? あなたがどうなったって私と白雪がお世話するだけよ。途中で母親全開にしてみたけど、斗真君ったら一心不乱に吸い付いちゃって可愛いんだから」
「……やめて! 恥ずかしいからやめて!」
一瞬、本当に一瞬だけ全ての羞恥心が頭の外に行ったんだ。
すると俺の体は勝手に動くように翡翠を求め、彼女を本当の母親以上に思ってしまってああなったんだ……あの暴走は自分でも制御できなかった。
「今日は泊っていくでしょ? まさか、この流れで帰るなんて言わないわよね?」
「良いのか?」
「もちろんよ。夜はちゃんと、二人でしてあげるからね♪」
「……………」
「あの子もジッと我慢しているみたいだし?」
「え?」
そこで翡翠はベッドから降りて扉に向かった。
何も着ていない彼女が扉を開けると、そこには顔を真っ赤にして荒い息を吐く白雪が座り込んでいた。
「そんなに涙を流しちゃって……でも白雪、夜まで我慢よ?」
「分かっています! 分かっていますよそれくらい!!」
……これ、夜大丈夫なのかな?
とはいえ、心の中に入り込む彼女たちの想い……それはまるで頑丈な鎖のように俺を絡め取ってしまうかのよう。
とらわれの館、なるほどそういうことかと俺は納得したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます