誘惑を孕む言葉と気持ち

「……何故、こうなったんだろうか」


 俺はこの世界に来て何度その台詞を呟いただろう。

 今の俺は更衣室で着替えている最中なのだが、まさか翡翠まで一緒になるとは思っていなかった。

 確かにまたと彼女に言われはしたけど、それが白雪と一緒なんて想像が出来るわけがない。


「いや、ある意味親子だし必然と言えば必然なのかな?」


 それからしばらく考え続けていたが、きっと待っているであろうことを考えて俺は意を決してプールに向かった。

 あれから数日しか経っていないが、本当にここは良い施設だなと思う。

 別に必死こいて痩せる目的がなくても、運動不足を解消するために軽く続けてくるのも良さそうだしな。


「……あ」


 さて、そんな風に色々と考えていた俺だがプールに向かった時にその考えは綺麗に彼方に吹き飛んだ。

 プールを利用している男共がこぞって視線を向け、女性さえも憧れの眼差しで見つめるかのように視線をあの二人に向けていた。


(……こいつはやべえなぁ)


 そこに居るのはもちろん白雪と翡翠だ。

 二人とも別に過激な水着などではなくジムで用意された水着なのだが……以前に翡翠にも思ったように、白雪もその体の凹凸がこれでもかと強調されていた。

 ジッと見つめていると二人が俺に気付きヒラヒラと手を振ってきたため、俺は周りから怪訝そうな目で見られながらも二人に近づいた。


「お待たせ……」

「待ってましたよ郡道君」

「いらっしゃい嵐君」


 マズいな……こういうことを言うと大変下品だろうけど、色気溢れる二人を前にしていると自然と前屈みになってしまいそうだ。

 俺はすぐに体を解すようにストレッチをした後、ひんやりとしたプールの中に入るのだった。


「またこうして嵐君に会えるなんてね。ふふっ、聞き耳を立てておいて良かったわ」

「地獄耳なんですよ本当に」

「白雪?」

「なんですか?」


 俺の目の前で視線でバチバチと火花を散らす二人から俺は視線を逸らした。

 喧嘩というほどではないにせよ、見目麗しい二人が睨み合っている姿は迫力があり直視することが出来なかった……いや、嘘は止そう。


(二人を直視出来ねぇ)


 肩から腕にかけて、太ももから足にかけて、そして首と鎖骨鎖骨辺りしか彼女たちの体の肌は見えていないがそれでもやはり刺激があまりにも強すぎる。

 元々の原作がエロゲ―ということもあってそのヒロインである二人の体が途轍もない魅力を放ち、俺たちプレイヤーに対してエロスを感じさせるのは当然と言えば当然なのだが……本当に破壊力がヤバすぎる。


「ちょ、ちょっと早速泳いできます!」


 俺はサッと彼女たちから離れるように泳ぎ始めた。

 水に潜って泳ぎ始めると体を動かしていることと合わせ、全身を包む冷たさに頭の興奮が冷めて行くようで、しばらくすると俺は無心で泳いでいた。

 せっかく彼女たちと一緒になったのだからお喋りをしながら楽しめば良いのにと思う反面、あのエロ過ぎる体を直視して大変なことになりそうな自分が情けないのだ。


(ええい! 今の俺は痩せるために運動しているんだ……無心だ。無心になれ。見えたぞ水の一滴が!!)


 この心、正に明鏡止水!

 ……なんてことを思っていないとやってられないんだこれが。

 それからしばらく泳ぎ続け、休憩のために動きを止めると白雪がすぐに傍にやって来た。


「凄く頑張ってるじゃないですか。泳ぎ始めてからずっと止まりませんでしたし、やはり努力する姿はかっこいいですよ?」

「そ、そうかぁ? ぐへへ――」


 ストレートに褒められたのが嬉しくて照れてしまったのだが、俺はそこで嵐が見せてしまう気持ちの悪い笑みを浮かべてしまった。

 間違いなく異性にキモイと言われてしまうはずなのに、白雪はただただ優しい眼差しで俺を見つめていた。


「……すまん、ちょっと癖でキモイ笑いがさ」

「笑い? あぁそういうことですか。大丈夫ですよ? 私は気持ち悪いだなんて思ってはいませんし、むしろ泳いで運動をしたからなのかとても爽やかな笑顔に見えましたから」

「っ……」


 はい、この子の言葉は現在の童貞である俺の心に刺さります凄く。

 ニコッと微笑んでいる彼女の笑顔はやはり可愛らしく癒しがあるが、やはりそれでも脳裏から離れない彼女の妖艶さが凄まじい。


「そ、そう言えばさ!」

「なんです?」


 俺は自分の心の内を誤魔化すように声を大きくして質問してみた。


「実はさ、この間もそうだけどしばらくの間はお金の心配はないって翡翠さんから言われたんだ」

「はい」

「その辺り詳しくないんだけど、ここって白雪の家が何か関係しているのか?」


 そう聞くと白雪は頷いて話してくれた。


「その通りです。ここのスポーツジムは鳳凰院グループの傘下にあるんですよ。ですからここを私はおススメしたんです。本来なら母が郡道君に対してしてあげたことを私がする予定でした……本当に油断も隙も無いんですから」

「……良いのか? 凄く今更なんだけど」

「良いんですよ。郡道君は何も気にする必要はないんです」

「しら……ゆき?」


 ピタッと彼女は俺のすぐ前に立った。

 何も気にする必要はないと、俺の悩みなんて意味をなさないんだと暗に告げるかのような雰囲気だ。

 俺の腹に彼女の胸が触れ、僅かに形を歪めるほどの距離でジッと見上げてくる彼女の瞳に俺は吸い込まれそうだった。


「郡道君、良い機会だからお伝えしようと思います」

「え?」

「私は変わろうとする人を否定しません。頭ごなしにあの人はああだから、何を言ってもダメだからとそんなことは思いません。私はしっかりとその人を見つめたい、その上で判断したいですから」

「白雪……」


 これは……あれだ。

 原作でも洋介が白雪に自分は釣り合うのか、傍に居ても良いのかと悩んでいる瞬間があった。

 その時にも白雪は似たような表情でこのようなことを言っていた……その言葉は洋介の心に響き、彼に前を向かせたのだ。


「……なんか、照れ臭いな――」

「ぴたっ」

「っ!?」


 照れ臭いなと頭を掻こうとしたその時だ――俺の頭の横から腕を伸び、それは交差するようにして俺の前で手が繋がれた。

 その瞬間、背中に感じるふんわりとした感触と僅かな吐息……その爆発力のある感触に俺はスッと息が止まった。


「仲間外れだなんてズルいわね嵐君に白雪も」

「……お母さん」

「翡翠さん……?」


 背中に居るのは翡翠さんだ。

 背中に触れる彼女の爆、お腹に当たる白雪の巨に俺はもう爆発寸前……それこそ暴発寸前になりながらも、鋼の意志で何とか自分を抑え付ける。


「……ふっ!!」

「あ……」

「あら?」


 スッと水面に潜るようにして俺は脱出をすることが出来た。

 というかあのままだったら変な空気に押し流されてしまいそうだった……こんな俺にもワンチャンあるんじゃないかと考えてしまうほどに、白雪から向けられた言葉と翡翠も含めて与えられる温もりは凄かった。


「……ふぅ」


 落ち着け、心を落ち着けるんだ。

 一度二度と深呼吸を繰り返し俺はようやく心を落ち着かせ、もう少し頑張るかと泳ぐのを再開するのだった。

 そして運動の後ということで少しばかりのご褒美タイムだ。


「……良いのかなぁ」

「少しくらい良いでしょう。ねえお母さん?」

「そうね。それに砂糖なども抑え目だから悪くはないはずよ?」

「……ぐぬぬっ」


 プールから出た後、俺たちはジムの隣にある喫茶店に訪れていた。

 ここはスポーツジムと同じ土地に建てられているだけでなく、ここのオーナーも鳳凰院と関係が深いとのことで……俺は改めて金持ちの凄さを思い知った。

 そんな俺の前にあるのはダイエットの天敵であるお菓子……ただ翡翠が言ったように砂糖などは抑え目で運動の後のご褒美にちょうど良いのだとか。


「……いただきます」


 一口食べてみると、仄かな甘さが口の中に広がった。

 この体から脱するために甘いものは極力控えていただけに、久しぶりに口の中に入れた甘味に俺は涙が出そうだった。


「美味しい……美味しいぜマジで」

「……っ」

「……良い笑顔ね♪」


 そりゃ笑顔にもなるってもんだぜ。

 ただ……一度食べると次も食べたくなる気持ちはあるため、この後に我慢できるかどうかが俺の意志の強さが試されるってところだろう。

 けどまあ、二人に誘われてここにきて良かったよ。


「それにしても凄いなここは。個室のある喫茶店って珍しくないか?」

「普通だとそこまで見ないでしょうね」

「密会に良さそうだってことでオーナーが遊び心で造ったのよ。悪くないでしょ?」


 確かに悪くないし凄いなと俺は頷く。

 隣に座る白雪と違い、向かい側に翡翠は座っているのだが、どうしてか彼女は紅茶を手に隣にやって来た。

 白雪と翡翠に挟まれる形になり再び俺はドキドキしてしまう。


「紅茶もどうぞ? 凄く美味しいから」

「あ、いただきます」


 よし、次は紅茶を飲んで落ち着くことにするぞ。

 俺は翡翠から紅茶を受け取り、少し下品かなと思いつつも一気に飲み干した。


「美味しいですねこれも」

「でしょう? 実は少し隠し味があるんだけど何か分かるかしら?」

「え? ……う~ん」


 そう言われても美味しい紅茶という感覚でしかなかったからな……。

 っと、そんな風に考え事をしていると妙に頭がふわふわしてきて大きな欠伸をしてしまった。


「……あれ?」


 眠たい……凄まじいほどに眠たくなった。

 そんなに運動が疲れたのか、それともケーキと紅茶のせいで眠たくなったのか……その時だ――ボソッと翡翠が耳元で呟く。


「眠くなった? 良いわよ、ゆっくりお眠りなさいな」


 そこで俺はスッと眠りに落ちるのだった。

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