彼女は待ち望んでいた

「おいデブ」

「……………」

「無視してんじゃねえよデブ!」

「……あ、俺か」


 朝、学校でのんびりしていた時のことだ。

 先日に白雪と話が出来たことを含め、比較的友好的な雰囲気が嬉しくて帰ってからも俺は筋トレなどを頑張ったのだが、そのせいか今日は体のあちこちが筋肉痛になっていた。

 それでジッとしていたらこれだ。


(俺、前世でデブなんて呼ばれたことなかったから気付かなかったわ)


 そう言えば今の俺って自他共に認めるデブだったなと思い出した。

 声の出所に目を向けると、クラスの陽キャ代表のような茶髪野郎が俺を見下すようにその場に立っていた。


「何ボーっとしてんだよてめえ」


 なんでそこまで喧嘩腰になれるんだと少し感心する。

 幸いにというか俺が前世で高校生をしていた時にはイジメとか、こんな風に他人に対して酷いことを口にするクラスメイトは居なかったので少し新鮮だ。


「いやぁすまねえ。俺ってデブって名前じゃないから気付かなかったわ」

「……は?」


 一応、ゲームや漫画を通して嵐がどんな生徒かは知っているつもりだ。

 それこそクラスの中では陰に徹し、どんな陰口を叩かれても言い返したりはしない気の弱さ……まあ白雪が関わると人が変わるのだが、そこはシナリオ上必要なことなんだろう。

 そんなこともあって、おそらくだがこのクラスメイト……斎藤だっけか、彼からすればこんな風に言葉が返ってくるのも予想外だったようだ。


「それで? 何の用だよ」


 そう問いかけると斎藤だけではなく、他のクラスメイトも驚くように俺に視線を向けてきた。

 たぶんだが喋り方に関しては従来の嵐とは違うだろうしなぁ……というか、時折気が大きくなった時に気持ちの悪い笑いが出るくらいで、それ以外は特に体に引っ張られるようなこともないのはありがたい。


「……てめえ、生意気な態度取ってんじゃねえぞデブ野郎が」

「……じゃあどうしろってんだよ」


 俺は分かりやすくため息を吐いて首を振った。

 そんな俺の姿さえも斎藤はイラっと来たのか、舌打ちをして近づいてきたので俺はこう彼に忠告した。


「やるなら俺もやってやるぜ? その代わり、俺は殴りもしないし蹴りもしない。ただお前の体の上に飛び乗るだけだ」

「はあ?」

「試してみるか? 結構重いだろうぜ?」

「ぐっ……!」


 実際にそれを想像したのか斎藤は押し黙った。

 まあ俺もこの巨体に踏み潰されるのを想像したら絶対に嫌だし、出来ることなら関わりたくなんてない。


「……ちっ」


 面白くなさそうに舌打ちをした斎藤はそのままグループの輪の中に戻った。

 それでもチラチラと視線を向けてくるあたりウザかったんだろうなと思いつつ、明日から分かりやすいイジメとかは止めてくれよと俺は祈った。


(嵐の奴、先生にも嫌われてるんだぜ? この学校に味方なんて居ねえんだからさ)


 こう言ってはなんだが、嵐には本当に友達が居ない。

 クラスには他にも陰キャっぽいというか、暗い感じの生徒は居るものの嵐ほどではなく、更に言えば見た目がそもそも嵐は醜いと評判だ。


(自分のことなのに……何だろうな。元々嵐としてではない前世があるからなのか本当に客観的に物事を見れるんだ今は)


 だからこそデブと言われてもそこまで響かないし、遠巻きに眺められても何も思わない……しかし、これからの学校生活を考えるとこの辺りはどうにか改善していきたいところだ。


「おはようございます」


 なんてことを一人で考えていると涼し気な声が響き渡った。

 扉から入ってきたのは白雪で、昨日と同じく彼女が現れた瞬間に教室がすぐに騒がしくなった。

 友人たちと言葉を交わした中、彼女は一瞬だけ俺を見た。


(おはようさん)


 俺だって彼女に挨拶をしたい、学校でも声を掛けたい……しかしそれが彼女にとって迷惑かもしれないと思うと出来ないし、何より厄介なことになるのは目に見えているからだ。

 さっき俺にデブと言ってきた斎藤も白雪に声を掛けてニヤニヤしてるし、あわよくばをあいつも他の男子と一緒で狙っているんだろう。


「……でも結局、白雪には主人公が居るからな」


 エロゲのよくある目隠れ主人公の彼とはまだ実際に会ってはいない。

 物語が動き出すのは三年生になってからで……世間だと就職か大学進学かを決めないといけない頃合いに全てが動き出し、白雪が主人公を愛で包んで雁字搦めにするのが本当に最高だった。


「……はぁ」


 決して自分に訪れないヤンデレに愛される幸せを妬みながら、俺は今日も朝礼が始まるまで不貞寝するのだった。

 それからいつも通りに時間を過ごし、昼休みになって俺は屋上に来ていた。

 昼休みは滅多なことがない限りここに人が来ることはないようで、静かに一人で過ごせるからだ。


「……………」


 そんな風に遠くの景色をボーっと眺めていると屋上の扉が開いた。


「っ!?」


 キーンと錆びた鉄の音が響き、姿を現したのはまさかの存在だった。


「白雪……?」

「あら、郡道君じゃないですか」


 目を丸くした白雪はそのまま近づいてきた。

 風に揺れる白銀の髪を手で抑えながら彼女は俺の元に歩いてきたものの、俺としてはどうしてここにと疑問が浮かぶ。


「屋上で何をしていたんですか?」

「……いや、ここは静かで落ち着けるからさ」

「なるほど。確かに教室はそこそこ騒がしいですから納得です」


 白雪が言ったようにそれも理由の一つだけど、実は前世でも良く友達と屋上に訪れることは多く、数ヶ月に一度くらいの頻度で屋上で授業をサボることもあった。

 だから……そうだな、ちょっと俺にとっては本当に落ち着ける場所なのだここは。


「あの後、また走ったのですか?」

「え? あぁいや、軽く歩いたくらいだ。帰ってから筋トレとかして筋肉痛がヤバいけどな」

「日頃の運動不足が祟ったのですね」

「だなぁ……まさかここまでとは思わんかった」


 現に今も体が痛いからな……もちろん治るのを待つようなことはせず、毎日適度に汗を掻くくらいには運動は継続するつもりなので、マジで早くこの体が細くなることを願うしかない。


「無理なダイエットは体に毒ですので、ただ痩せるというのも気を付けてください」

「分かった……って、本当にどうしたんだ?」

「何がです?」

「だって……今までそんなこと言ってくれなかっただろ?」

「当然ですよ。前のあなたに言って何に……こほん、簡単なことです。頑張っている人が居るなら応援したい、それだけのことです」

「……そっか」


 なんというか……こんな風に思い遣ってくれることに惚れる気持ちは分かる。

 それでもだからといって自分の気持ちを押し付けて困らせようとも、ましてや苦しめようともやっぱり思えない……相変わらず主人公に嫉妬してしまうけど、こんなにも素敵な子に対して邪な気持ちで手を出そうなんてやっぱり俺には思えなかった。


「あ、そうでした」


 そこでポンと白雪が手を叩いた。

 どうしたんだろうと思っていると、彼女はまさかの提案をして俺を驚かせた。


「昨日、スポーツジムを紹介したのですが」

「あぁ」

「もし行く予定が出来たら誘ってください。私も少し運動がしたいので」

「……え?」


 俺はたぶん、とてつもなく間抜けな顔をしていただろう。


▼▽


 屋上から去っていく少年を見て少女は……白雪は深く笑みを浮かべた。


「……あぁ……素敵です♪ こんな日をどれだけ私は……っ」


 頬を紅潮させ、伸ばした手の先は少年の大きな背中に向いている。

 その姿を消えたことに残念に思いつつも、白雪は熱い吐息を零しながらある記憶を思い起こす。


『俺さぁ、よく友達と屋上に行くんだよなぁ。雨が降らなかったら弁当もそこで食べたりして……なんつうか、遠くの景色を見てると気分が落ち着くんだよ』


 それは白雪がずっと覚えている言葉の一つだった。

 何も違いはなく、何も変わってはいなく、どこまでも続いていることを白雪は改めて認識し、改めてこの奇跡に心から感謝をした。


「言ったはずですよ。姿形が変わっても必ず見つけ出して愛すると……そしてあなたも約束してくれた――私のことを愛すると、十数回にも及んで共に何度も繰り返したあなたが私に!!」


 白雪はただただ想う。

 体の火照りを拡散させるようかのように、自身の豊かな胸の手を添えて心臓の音を確かめる。


「……ぅん♪」


 誰も知らない彼女の顔、それは正にターゲットを見定めた女の顔だった。

 誰にも渡さない、私だけのモノだと鋭くその瞳が物語っている……彼女はもう止まることはないのだ。


「染め上げてみせます……だからどうか、私のことも染めてくださいね?」


 それは果たして誰に向けられた言葉なのか、それは彼女本人にしか分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る