第十一話『決意』
心を弾ませすぎたせいか翌日は早朝に目が覚める。菜乃葉はいつもより一時間ほど早く目覚めると、時間を持て余さずに庭へ立ち寄る事にした。学校の前に庭へ行くのは初めてである。
(流石に悠人くんはいないと思うけど)
そう考えながら足を進める。菜乃葉の正面から冷たい向かい風がなびき、菜乃葉は秋の終わりを実感した。
(寒くなってきたからニット着たけどあったかい〜)
十月も後半に差し掛かり肌寒くなってきたため今日から新たに衣替えをしたのだが、衣替えといえば二週間ぶりに再会した悠人も以前のワイシャツ姿ではなく、学ラン姿へ衣替えをしていた。初めて見る悠人の学ラン姿は悠人を意識し始めた菜乃葉にとって胸が高鳴る要因の一つになっていた。
今の菜乃葉の心境として、庭が好きな事には変わりがない。しかし庭以上に悠人が庭へ来る理由になっているのは間違いがなかった。そしてそんな感情が生まれた事に対しても菜乃葉は自身の気持ちを自然と受け入れられている。今では悠人は勿論のこと、この庭にある全てが菜乃葉にとって大切な存在となっていた。その事実に幸せを感じながら庭へ到着し、気持ちの良い風に揺られながら自身の両手を絡め浸っていると思いもよらぬ声が聞こえる。
「菜乃葉?」
悠人の声だ。菜乃葉はすぐに振り返ると悠人もこちらと目を合わせ言葉を続ける。
「朝からいるなんて珍しくない?」
(わ〜嬉しい!)
菜乃葉は悠人に朝から遭遇出来たことを内心で喜びつつ「悠人くんこそ!」と言葉を返す。すると悠人は菜乃葉から目を離していつもの無表情で「オレは何となく」と言ってきた。しかしその言葉の後で自身の鼻筋に右手を添えながら唐突な言葉を口に出す。
「でもラッキーだった」
「!!」
明らかに口元を緩めながら嬉しそうにそう溢す悠人の直球すぎる言葉に菜乃葉の顔は瞬時に赤く染まる。すると悠人は満足したのか笑顔を向けたまま「じゃ、またあとで」と言うとそのまま庭を後にした。菜乃葉はそんな悠人の姿を見つめながら高鳴り続ける自身の身体を落ち着かせるように右腕をぎゅっと握り締めた。すると数秒して『ピコンッ』とスマホの通知音が鳴る。レインの通知音だ。特に大きな音量ではなかったが、今の菜乃葉には驚く要素しかなかった。
『衣替えしたんだね。ニット姿かわいかった』
レインの相手は悠人で、悠人からの遠慮のない褒め言葉は菜乃葉の身体を更に火照らせる。
(えーっ!!)
あまりの驚きと嬉しさで顔が真っ赤に染まる菜乃葉は暫くその場から動けずスマホを見つめる。
(悠人くんてこういう恥ずかしい事めっちゃ言ってくる!!)
気の所為などではなく、悠人は最近本当に菜乃葉へ好意的な態度を取ることが増えていた。例え告白をされていなかったとしても今の悠人の態度なら鈍感な菜乃葉でも明らかに分かる筈だ。菜乃葉は胸の高鳴りを感じながら自分の頬に両手を当て、目を閉じた。悠人に早く気持ちを伝えたい。自分も悠人が大好きなのだと伝えてあの男の子の喜ぶ顔が見たい。そう思いながら菜乃葉は残りの時間を庭で過ごした。
「え〜〜〜それはやばい!!」
きゃ〜と黄色い声を上げながら顔を赤らめて菜乃葉の話を聞き入っていたあすかは楽しそうにそう返した。
「もう完っっっ全に両想いじゃん!! 悠人くんやるぅ〜」
あすかの目はいつになくキラキラと輝きを放ち、菜乃葉の机に詰め寄るように身を乗り出して話している。
「誕生日告白いいね! 応援してる!!」
悠人には誕生日に告白をするつもりだという話もあすかに話していた。あすかには友人だからというのもあったが、気持ちに気付くきっかけをくれた事や、菜乃葉を案じる態度を見せてくれた事もあり、あすかに状況を伝えたいと思ったのだ。元々恋バナが好きなあすかはその話を最初から最後まで楽しげに聞いてくれ、親身になってくれるところがまた心強かった。
「ありがとう。あすかがあの時カラオケ誘ってくれたおかげだよ。あたし、自分の気持ちに気づけて良かった」
菜乃葉は笑みを向けながら本音を告げるとあすかはすぐに満面の笑みで声を返す。
「そんなの友達なんだからいいの! 菜乃って中学の時から庭バカだったからちょっと心配してたんだー」
悪気は全くないこのあすかの発言には菜乃葉自身も納得のいくところであった。岸という男を好きだった事こそはあるものの、正直菜乃葉にとって恋というのは庭よりも優先順位が低かったのだ。好きな相手がいても庭と比べれば簡単に庭の方へ気持ちは傾く。そういう人間なのだと今までは菜乃葉も自分でよく理解していた。だが今はそうではなかった。悠人へ対する感情は確かに岸を想っていた感情と同じであるが、岸には感じていなかった何よりも優先したいという思いは悠人に対してだけ生まれていた。悠人は菜乃葉にとって初めて、何よりも優先したい人物となっていた。
「でも本当に良かった! 付き合ったら紹介してね!」
あすかは本当に嬉しそうにそう言うと菜乃葉にエールの言葉を投げかける。
「庭バカって……(笑)勿論紹介するね!」
菜乃葉は庭バカという単語に苦笑しながらそう返すが、心の底から応援してくれる友達がいる事がまた嬉しかった。
* * *
同時刻、野沢中である一人の男子生徒――洋一は前から気になっていたある事を目の前の友人に問いかけていた。
「なー悠人によく会う肝試しの先輩いるだろ?」
洋一は目の前で問題を解く友人の悠人にそう切り出すと彼はこちらを見る事なく「うん」とだけ相槌を打つ。
「どういう関係?」
悠人に質問をする事は出来るだけ控えているのだが、この事に関してはどうしても気になった。率直にそう尋ねると悠人はそのまま表情を変えずに淡々と答える。
「オレの好きな人。」
「え」
瞬間洋一の口元は分かりやすく緩み、初めての友人の恋バナに心を躍らせる。
(まじか!? こいつ好きな人一生できないと思ってたけどついに春がきたんだな……やるな悠人)
何もなかったかのように黙々と問題を解き続ける悠人の姿を見やり、洋一は友人の初恋に喜びを感じながらその姿を見守った。
* * *
早く放課後にならないかといつも流れる時間がやけに遅く感じていた菜乃葉は放課後になった途端駆け足で庭へと向かった。悠人に少しでも早く会いたかったからだ。
門の前にはちょうど反対側から歩いて来る悠人がおり、二人は門の前でばったりと出くわす事になった。二人は暫し見つめ合い、先に口火を切ったのは悠人だった。
「息、上がってない?」
「え? 全然! 歩いてきたよ!」
曲がってすぐ悠人の姿を認識した菜乃葉は走るのを止め、いかにもゆっくり来たかのように門まで歩いてみせた。走って庭に来た事をバレたくなかったからだ。しかし走ってきたのは事実で息が上がっているのは隠せなかった。あからさまな嘘をつく菜乃葉の姿に何かを感じたのか悠人はそっぽを向いて「まあいいけど」と言葉を漏らす。そう言う悠人の頬は薄らと赤くなっており彼が照れているのが窺えた。
(あ、バレた)
すぐに悟った菜乃葉は悠人を好きだという想いだけは隠さなければとすぐ様訂正の言葉を口に出す。
「うそうそ! 走ってきた!! 庭に早く来たくて!!」
悠人が想いに気付くことだけは避けたかった。他でもなく誕生日に告白を実行したいからである。その為庭が好きすぎて思わず走ってきてしまった事を強調したかったのだが、悠人は必死に訴える菜乃葉の姿に「プッ」と笑いをこぼすと可笑しそうに笑いながら声を発してくる。
「別に嘘ついてもいいよ。バレバレだし、嘘ついたおねーさんもバカで可愛いから」
そう言いながら楽しそうにする悠人の顔を見て、最近はよく笑うなとときめく菜乃葉だったが、それを口に出す事は抑えてムッとした表情でわざと抗議の声を上げた。
「バカって失礼じゃない!!」
「はははっ本当に庭好きだよね」
しかし菜乃葉の抗議が悠人の表情を変える事はなく、彼はずっと笑っていた。そして本当に菜乃葉が庭を好きである事を疑っていない様子であった。菜乃葉は自身の真意に気付かれていないことに安堵してそのまま悠人と庭で過ごし始めた。
「悠人くん、最近は毎日必ず来るようになったね」
それぞれ庭の空気を味わっていたが、悠人目的で来ていた菜乃葉は悠人と何か会話をしたかった。それに何より明らかに毎日来るようになった理由を分かってはいても悠人本人から聞きたかった。
「なんでかなー」
「……」
言いながら口元がニヤけてしまう菜乃葉の意図にすぐ気付いた悠人は呆れた目をして菜乃葉を無言で見る。菜乃葉は心の中で「分かんないの?」と照れながら言う悠人を妄想するがそれは悠人の言葉ですぐに掻き消された。
「……何を期待してるのか分かるけど、言わないから」
悠人はあからさまにため息を吐いてそう告げるとすぐに顔を逸らす。最近直球的な言葉を放ち続ける悠人なら、言ってくれるのではと期待していたのだが、菜乃葉の思い通りにはならなかったようだ。
「えー」
残念そうに頬を膨らませてそう言うが、調子に乗りすぎたかもしれないと自身の言動を思い返していると悠人は顎に手を当てながら何かに気づいたように「ん?」と声を出すともう一度菜乃葉の方へ身体を向けて言葉を発してきた。
「あのさ、期待してるって事はオレにも少しは気があるって事?」
悠人は先ほどと違って若干頬を赤らめると菜乃葉の目を見てそう聞いた。期待の眼差しを隠さず見据えてくる悠人に思わず頷いてしまいたくなるほどには菜乃葉も顔が赤くなっていた。
(そうだよ……)
そう言いたいところだが、それは今ではないと声に出してしまいそうな感情を必死で抑える。菜乃葉は自身の気持ちを誤魔化すように露骨に笑い声を上げると悠人へ否定の言葉を出した。
「ふふっ悪いけどそれは自意識過剰よ! 悠人くんが弟みたいに可愛いからつい」
そう言うと悠人は菜乃葉から目線を外して少し残念そうに口を濁した。
「ちぇっ」
「ま、いいけど」
残念そうではあるが、分かっていたような様子でそう告げる。分かりやすくも菜乃葉の前で拗ねている悠人の姿は菜乃葉の心を弾ませる。母性をくすぐられているようなそんな感覚に近かった。
(ごめんね悠人くん、誕生日までもう少しだから。その時絶対言うから……)
あと少しだけ待っててほしいと聞こえるはずのない悠人の心中へ念を送ると菜乃葉はいつもの調子に戻った悠人と庭の手入れをして時間を過ごした。
休日もいつものように早起きをすると菜乃葉は支度をして庭へ向かう。しかしいつもと同じように道を辿っているだけなのに、何故か心は緊張し、行く度にドキドキしている自分に気が付いた。動悸が起こったまま庭へ到着し、門の前で一旦立ち止まっていると背後から「おはよ」と悠人の声が耳に響き渡った。偶然とはいえタイミングが良すぎたことに驚いた菜乃葉は反射的に振り向くと悠人はそのまま言葉を続けた。
「本当庭好きだよね、菜乃葉さん」
悠人は本当に時々菜乃葉の事を敬称で呼ぶことがあった。はじめこそは皮肉を込めて放たれていたであろうこの呼び方も今では敬意を示して呼んでいるのは菜乃葉も理解していた。その為、普段とは違った呼び方で呼ばれるのはくすぐったくて嬉しかった。
悠人は菜乃葉を見つめてそのまま更に言葉を続ける。いつにも増して真剣な眼差しは菜乃葉の乙女心を刺激した。
「あのさ、オレ前に気があるかどうかって聞いたけど菜乃葉の事は諦めないから」
「庭を理由に来て全然いい。前も言ったけどオレの気持ちに負担を感じなくていい。全部菜乃葉は気にしないで」
いつも寡黙で淡々と話す悠人とは思えないほど今日の悠人は止まる事なく言葉を並べていく。菜乃葉はその勢いにただただ頬を染めていた。
「でも」
悠人はそこまで言うと門の前で立ったままの菜乃葉を追い越し門を開けて中へ入る。しかし目線だけはきちんと菜乃葉を見据えたままだ。
「絶対振り向かせる。菜乃葉は、それだけ知ってて」
その言葉で悠人は目線を前に向けて庭の奥へ歩き始めた。悠人の背中を赤く染められた顔のまま見つめる菜乃葉は悠人へ感じる愛おしげな感情を出さないように「……うん」と声を出す。何て一直線なのだろうか。こんな素敵な男の子に自分は好かれているのだと菜乃葉は改めて再認識する。菜乃葉は感謝の意を込めながら悠人の背中へ笑みを向けて言葉を放っていた。
「……悠人くん…ありがとう」
そう声を発すると立ち止まった悠人はちらりと菜乃葉に顔を向ける。自身の台詞で顔を赤らめたであろう悠人の姿が愛おしく、可愛らしい。菜乃葉は風で揺れる自身の髪を抑えながら悠人へ屈託のない笑みを向ける。
「本当に嬉しいよ。私は、庭も悠人くんも大切だから」
菜乃葉は『好き』の気持ちだけを隠して自身の本心を悠人へ告げる。事実、恋愛感情を抱く前も悠人に対しての気持ちは特別なものであった。この気持ちも決して嘘などではない。
「最初は悠人くんの事よく分からなかった。だけど悠人くんと過ごす時間が増えていく度に、生意気でちょっと変な子だけど本当は優しくていい子なんだって気付いた」
菜乃葉は自分で言葉を紡ぎながら過去の悠人との出来事を思い出す。悠人の過去を本人から聞いた際にそのまま悠人を抱きしめた事、文化祭で重いゴミ箱を代わりに運んでくれた事、二人で何度も過ごした庭での事。全て今の菜乃葉になくてはならない記憶ばかりだった。
「これは間違いなくあたしの本心だよ。これからもあたしは庭に来るし、悠人くんにも会いに来る」
その言葉で悠人の瞳が揺れ動く。悠人は視線を下に落として顔を赤らめると先ほどより小さな声で口を開いた。
「別に……庭のために来てくれていーよ」
そんな悠人の言葉を聞いた菜乃葉は無意識に言葉を発していた。
「悠人くんなの」
気がつけば菜乃葉は悠人の近くへ足を進め、そのまま彼を見据えて声を放つ。無意識であるのに声は震え、身体が強張っているのを認識する。
「あたしが庭に来るの悠人くんがいるからだよ」
言った途端に菜乃葉は言ってしまったと我に返った。緊張は最高潮へ達し、頭の中は五月蝿い程に跳ね上がる心臓の音と意図せず口にしてしまった発言とで混乱していた。
「え、どういう意味?」
悠人は意表をつかれたような顔で菜乃葉へ疑問を投げる。菜乃葉は真っ赤に染まった顔を隠す事も出来ずそのまま無言で顔を赤らめてしまった。
(あれ、言っちゃった。どうしようこれ……)
第十一話『決意』終
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