第35話 ユキさんと優羽さん、そしてワルミちゃん

「いらっしゃーい。あれ、2人だけ? ヒヤヤッコちゃんは一緒じゃないんだ?」


 喫茶ふがふがに入ると、いつものように笑顔のユキさんが迎え入れてくれた。


「今日はカウンターに座らせて下さい」


 マコトがそう言いながら、ユキさんの目の前の席に座る。

 俺も隣に腰掛けた。


「なに、私に話でもあるの?」


 ユキさんは笑顔を崩していないが、いつにないマコトの態度に違和感があったのか、ほのかな緊張がみえる。


「はい、えっとナオの勘違いにいい加減ケリをつけようかと。ワルミちゃんと、それと……ユキさんのことを」


「んー」


 ユキさんは小首を傾げて、どう返事をするか迷っているようだ。


「実は……」


 身を乗り出してユキさんに近づき耳打ちするマコト。


 普段の俺であれば「ユキさんに耳打ちだと!?」と、気色ばむ所だが、今回は状況が状況だ。

 大人しく俯いていると、幸い話もすぐに終わってくれた。


「なるほどね。私も気にはなってたし、仕方ないわよね」


 そう呟いているユキさんに頷いたあと、マコトは身体ごと俺のほうを向く。

 彼の表情は真剣そのもの。


「なあ、ナオ。お前、ユキさんと優羽さんの関係はなんだと思ってる?」


「なにって……」


 なんとなくユキさんの顔を見た。

 いつもと変わらない、素敵なユキさんを。


「親子でしょ?」


「…………」


 ユキさんは無言で、困ったような笑みを浮かべている。


「違う。姉妹だ。ユキさんは、優羽さんのお姉さんなんだよ」


「…………」


 マコトの言葉に、今度は俺が黙ってしまう。

 頭の中が混乱したまま、ただぼんやりとユキさんの顔を見ていた。


「なんで親子だなんて思ったんだ?」


「それは……」


 ……それは、俺が勝手に思い込んだわけではない。

 2人が言っていたのだ。

 ――優羽さんとワルミちゃん。

 彼女たちが、ことあるごとに。


 ユキさんのことを、母親だと。


「ユキ、僕のほうは準備ができたし、奥で話してきたらどうだい」


 健治さんがカウンター奥の扉から顔を出し、声を掛けてきた。

 この店の制服を着て、黒色のシャレたエプロンを着けている。

 彼は昼間、ユキさんの休憩時間を作るため喫茶ふがふがの店員になるのだ。


「……そうね、じゃあ休憩に入らせてもらおうかしら。2人とも、おいで」


 ユキさんについていこうと席を立つ。

 だが、マコトは座ったままだ。

 見ると、彼は肩をすくめていた。


「俺はここで待ってるよ。そのほうが話しやすいだろ」


 ◇◇◇◇◇


 2階の控え室。

 ユキさんは部屋の奥にある机の椅子に座ると、俺にも椅子を出してくれた。

 けれどなんだか座る気になれない。

 立ったままぼんやりとユキさんを眺めていた。


「私にも悪いところはあるの。ナオ君が勘違いしてるのは気づいてたけど、特に訂正しなかったしね」


「ホントにお姉さんだったんですか? お母さんではなく? な、なんで……」


 俺は単純に疑問で呟いただけだったが、ユキさんは責められているとでも感じたのだろうか。

 目を伏せている。


「優羽にお母さんって呼ばれるのが嬉しかったから、かな。まあ面と向かって呼ばれたこともないんだけど」


 そしてポツポツと呟くように話し始めた。


「優羽が小学校に入学する直前に、私たちのお母さんが事故で亡くなって……。それから優羽がずいぶん塞ぎ込んじゃってね。私もそうだったけど、それでも私には優羽がいたから。8つも歳が離れてるぶん、私がお母さんの代わりをって。でも……やっぱり私じゃダメだったみたい」


 当時を思い出したのだろう、寂しそうに微笑んでいる。


「だからナオ君には本当に感謝してるの。あの子が塞ぎ込んでるときに笑顔にしてくれたのがナオ君だもんね」


「俺、ですか? 正直、記憶に無いです……」


「ふふ、ホントにビックリしたんだから。ナオ君も小学校に入る前だったのかな。春休みの頃に、ミライさんと一緒に引越しの挨拶に来たでしょ。そしたら優羽の暗い顔を見るなり『実はボクは楽器なんだ』って言い出して」


 ……が、楽器?

 それはもしかして……。


「ボクのお腹を触ってって、ナオ君が言うんだけど、優羽はびっくりしちゃったみたいで私の後ろに隠れたの。だから代わりに私が触ってあげたんだけど……。ふふっ、そしたらナオ君ったらいきなり『ドン!』って大きな声を出すんだもん。楽器ってそういうことかって、変に笑っちゃったわよ」


 昔を懐かしむような笑顔を見せてくれたユキさん。


 そうか……。

 腹ドンは俺が始めたことだったのか……。

 なんだか少し悲しい。

 俺って子どもの頃からバカだったんだ……。


「優羽は私が大笑いしてたのが嫌だったみたいね。『楽器なわけがない!』って言い出して。そしたらナオ君、『ボクのお腹に触れば分かるよ』って。それで優羽が触ったらさっきよりもっと大きな声で『ドンッ!』って言うのよ。しばらくは優羽も怒りながら触ってたけど、だんだんとケラケラ笑い出してね。何度も何度もナオ君のお腹を触って、ドンドン言わせてたわね。優羽の笑顔をあんな形で見るとは思わなかったけど」


「俺、ホントちょっとあれだったみたいで。バカだったみたいで。いや今もですけど」


「私はそうは思わないな。ナオ君は優しいんだよ。優羽が落ち込んでたから、元気づけたかったんでしょ。私には思いつきもしない方法で、私にできなかったことをしてくれたの」


「それは、俺が他人だったからですよ。事情もなにも知らなかったから深く考えずにバカなことができたんです」


「ふふ、でもね、あのときの私たちにはそれが一番必要だったの。いてくれるだけで笑顔になれる、ナオ君みたいな存在がね」


 その評価はさすがに過大だろうが……。

 だが同時に思い当たる。


「……俺にとっては、ユキさんがそうですよ。それに最初のときだって、ユキさんがお腹を触ってくれたから上手くいったんです。ユキさんの優しさが、結果的に優羽さんを笑顔にしたんですよ」


「……やっぱり優しいよね、ナオ君は。優羽が独占したがるのも当然かな」


「ど、独占……ですか?」


「ふふ、そうだよ。独占。私にナオ君をとられちゃうんじゃないかって優羽は怖かったみたい。だから私のことを『お母さん』ってことにしたかったんだろうね。優羽がそう呼んでるのが聞こえたときは本当に驚いたの。でも……」


 ユキさんはそこで、言葉を切る。

 そして俺を見て照れたように笑った。


「少し嬉しかった。私も優羽の支えになれてたのかなって。お母さんの代わりがちゃんとできてたのかなって。そういう意味じゃないのも、分かってたんだけどね」


「……それでもやっぱりそういう意味だったと思いますよ。優羽さんがユキさんのことお母さんっていうとき、いつも照れくさそうで。だから俺も信じちゃったんだと思います。心の支えって意味なら、ユキさんは大黒柱です。少なくとも俺にとってはそうで、優羽さんだって言葉にしないだけで俺と似たようなものだと思います」


「ふふ、ありがとね。そう言ってもらえると、今まで頑張ってきた甲斐もあるかな」


 そう言って今度は輝くような笑顔を見せてくれたユキさん。

 真正面から受け止められず、思わず目をそらしてしまった。


 ……だがかえって助かったかもしれない。

 もうひとつユキさんに聞くことがあったと気付いたからだ。


「そういえばマコトが言ってましたけど。『ワルミちゃん』が俺の勘違いっていうのは……」


「ああ、ワルミちゃんね。うーんそうだなあ、正直ナオ君が信じてたってほうがビックリなんだけど……」


 そう言いながら、椅子ごとクルっと回転して机の引き出しを開けている。

 しかし、ユキさんの表現からいくと……。


「ワルミちゃんは……実際はいないってことですか? そんな人格存在しない?」


 マコトにしろユキさんにしろ、そう言ってるように思えた。

 ユキさんは引き出しを漁りながら、チラッとこちらを見る。


「うーん、まあそうだねえ。簡単に言うと、ごっこ遊びかな。優羽も特にナオ君を騙そうとは思ってなかっただろうけど。……ナオ君は私のお祖父ちゃんって覚えてる?」


「えっと……」


 お祖父ちゃん?

 ユキさんの……いや、姉妹ということは優羽さんのお祖父ちゃんでもあるのか。

 しかし、ちょっと記憶にない……。


「マコト君はお姉ちゃんと何度かお店に来てくれたから、そのときにお祖父ちゃんと会ってワルミちゃんのことも記憶に残ってたんだろうね。ナオ君はその様子だとお祖父ちゃんのこと、覚えてないみたいだけど……。たぶん顔を見たら分かるんじゃないかな。会ってはいるはずだから」


 そう言いながら引き出しから取り出した、古くて大きなアルバムを広げて見せてくれた。


 ……ユキさんが指差す写真に写る温和そうな顔に、見覚えがあった。

 これは……!


「覚えてます、俺、この人のこと覚えてます! いつもふがふがの奥の席に座っていた、飴をくれる謎のお婆さんじゃないですか!」


 そう、俺はお婆さんだと思っていた!

 だというのに、実際はお爺さんだった?

 なんてことだ、写真をじっくり見ても性別不祥すぎる……。


「ふふふ、この人が私と優羽のお祖父ちゃんで、このお店の創業者でもあるの。ちょうど会社を定年退職した頃らしくて『ふがふがになるまで現役でやるぞ』って想いを込めて『喫茶ふがふが』って名前にしたそうよ」


 写真は創業時のもののようだ。

 お店の前で、少し照れたような表情を浮かべたお祖父さん。

 控えめなピースが可愛らしい。

 しかし……開業時点でお祖父さんの見た目は、なんていうかこう……ふがふがしている気が……。


 ユキさんは古びたノートも見せてくれた。

 そのノートの裏表紙にシールがいくつか貼ってある。


「お祖父ちゃんは子ども好きでね。私たちのお母さんにふがふがを任せるようになってからも、お店に来てくれた子どもが退屈しないようにって、かわいいキャラクターの絵本を自分で書いて読み聞かせして。オリジナルのシールを渡してあげたりね。そんなキャラクターの1つが……ワルミちゃん」


 その中の妖精のようなキャラクターを指差していた。

 ……このシールは見たことがある。

 昔の優羽さんの部屋の学習机。

 あと最近だと学校の職員室か。

 月島先生のデスクに貼ってあったシールもこれだった。


「優羽はワルミちゃんが主役の絵本がお気に入りでね。悪戯好きのワルミちゃんになりきって、ナオ君をからかって遊んでたみたい」


「というか、2人きりでいるときは基本的にワルミちゃんでした。言葉遣いも違って」


「……もしかしたら、そういうごっこ遊びで淋しさをまぎらわせてたのかな。私もお母さんの代わりにふがふがを継ぐって決めたから、構ってあげられない時間が増えてきて。お祖父ちゃんも私が独占しちゃったから」


 ユキさんは懐かしそうに天井を見上げていた。

 俺は逆に床を見つめてしまう。


 ユキさんは母親ではなくお姉さん。

 ワルミちゃんはごっこ遊び。


 ユキさんが言うのだから、それが真実なのだろう。

 優羽さん本人にも聞くつもりだが、単なる確認にしかならない気がする。

 こうもすんなり納得できるのだから、マコトの言う通り思い当たるところというか違和感のようなものはたしかに感じていたはずで。

 けれどそうであるなら、そもそも自力で気付けたのではないかと、そんなことを思う。


「なんで俺すぐ信じちゃうんだろう……」


「アハハハハハ!」


 しょんぼりしていると、笑い声が聞こえ、思わず顔を上げた。

 笑い声の主はもちろんユキさんだ。

 手を叩きながら爆笑している。

 俺の不満気な視線に気付いたようで、否定するように手を振ってきた。


「ごめん、ごめんね! あー、そっかあ。ナオ君からしてみたら、落ち込んじゃうよねえ。考えてみたら当然かぁ」


 そう言ったあともよほど面白かったらしく、含み笑いをしている。


「私はむしろ逆に思ってたからね。優羽がまたナオ君をからかってるけど、ナオ君楽しそうに付き合ってあげて偉いなー、ありがたいなーってね。ふふ、ナオ君、変なところが素直だよねえ」


 そう言うとユキさんは自身の胸をポンポンと叩きながら、俺を見てきた。


「ユキお姉さんが保証してあげるけど、優羽とナオ君って相性が抜群に良いよ。自分たちじゃ気付かないかもしれないけど、2人ともよく似てるもの。たぶんさ、2人でじゃれあってるうちにお互いの心を刺激しあって、ピッタリくっついたんだろうね。もう離れられないってくらい、一心同体ってくらい、ピッタリと」


 ユキさんの表現は分かるような分からないような感じだったが。

 優羽さんと相性が良いとユキさんが保証してくれた。

 これはなんだか、かなり嬉しい。

 ようやく俺も笑顔になれた。


「ねえナオ君。優羽のこと、好き?」


 優しくこちらを見てくるユキさんに、しっかりと頷く。


「はい、好きです。恋人になりたいって、そう思ってます」


「ふふ、それならいいの。ナオ君、優羽の支えになってあげて。きっと優羽もナオ君を支えてくれるから」


 ユキさんとの話はそれで終わった。

 控室を出て、店内に戻る。


 マコトはカウンターに座ったまま、こちらに笑顔を向けてきた。

 きっと俺がどんな結論にたどり着くか分かっていたのだろう。

 だから俺がこれからどうするのか、彼には素直に伝えようと思った。


「優羽さんと今から話してくる。いや、違った。……優羽さんに告白をしてくる」


「そっか。健闘を祈る。これはマジで言ってるからな」


「分かってる。ありがとう」


「頑張るんだよ、ナオ君」


「はい、朗報を期待してください、健治さん!」


 ユキさんによると、優羽さんは家にいるそうだ。


 ここが正念場。

 気合いを入れ、ふがふがを出た。


 ――そしてハッとして振り向く。


 ……いま健治さんいた?

 そうだよね、いたよね。

 無意識に返事してた……。

 優羽さんのお父さんに向かってなんてことを言ってしまったんだ。


 ま、まあいいさ。

 どうせ後戻りはできない。

 ぜったいに優羽さんと恋人になって、2人で健治さんに報告に行こう!

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