第34話 マコトの後悔

「俺はダメだ」


 マコトは、答えにならないことを言ってきた。

 ……けれど、それはやはり答えでもあったのだろう。

 好きであること自体は否定しなかったからだ。


 本人にも自覚はあったのか、池に向けていた視線が徐々に下がっていく。


「もちろん、ヒヤヤッコが良い奴なのは分かってる。ただ……正直、後ろめたいんだよ」


「後ろめたい?」


「……ナオは気付いてなかったろうけどな。俺は昔、ヒヤヤッコのことが嫌いだったんだ」


「…………」


 ……反応ができなかった。

 嫌い? ヒヤヤッコのことが?

 まるで思い当たることがない。


「あの時のことも、よく覚えてる。班長が野菜をぶちまけて、ヒヤヤッコは突っ立ってて。委員長が冷たい奴って言い放った、あの時。俺も似たようなことを思ってた。もともと、ヒヤヤッコはお高くとまってる、そんな印象があったんだ」


「ヒヤヤッコは……別に、そんなんじゃないよ」


「……ナオはあのとき、ヒヤヤッコを責めるような空気をぶち壊しにしたよな。んで、それからヒヤヤッコに声を掛けるようになったけど、それだって正直いい気はしてなかったよ。なんでこいつに構うんだって内心イラついてた」


 うめくように否定の言葉を口にしたが、マコトは止まらなかった。

 だがそれも仕方が無いだろう。

 「今のマコト」は当然そんなことは、知っているのだ。

 

 だから――マコトが心に秘めていた「思い出話」はまだ続く。


「3人で一緒に遊ぶようになっても、俺にとってヒヤヤッコは敵だった。さっさといなくなればいいのにって、真正面からバカにして。ただ……1カ月くらいたった頃かな。ナオとヒヤヤッコが2人で楽しそうに話してるとき、俺が近づいて来るのにヒヤヤッコが気付いて。いつもなら、俺と目が合った瞬間、彼女の笑顔は引っ込むんだ。でも、そのときは違った。俺を見て心底嬉しそうな表情を浮かべてさあ。そのときようやく理解できた。ヒヤヤッコは人見知りだったんだな。お高く止まってるわけじゃない。どう話していいか分からなくて、表情も反応も硬かっただけなんだ。1カ月かけてようやく、俺にも慣れてくれたわけだ」


 懺悔するように、マコトは完全に俯いてしまった。


「バカだよなあ、ヒヤヤッコは。その1カ月間、俺は本気でけなしてたのに。どうか、いなくなってくれって、悪意を向けてただけなのに。ヒヤヤッコは、友達としてのじゃれあいと思ってたらしい。……本当に……バカだよ……」


 そう言って肩を落とすマコト。

 落ち込むマコトを見ていられず、思わず目をそらしてしまう。


 小学生時代に3人で遊んだ記憶は俺にとって宝物だったのだ。

 きっとヒヤヤッコにとってもそうだろう。

 なのにマコトだけはその光景を思い出すたびに、後ろめたさを感じていたとでもいうのだろうか。

 そして、これからも後悔し続ける?


 それは……。


 ――俺がイヤだ。


 素直にそう思った。


 そらした視線を、もう一度マコトに向ける。


「……なんていうか、ごめん」


「……なんでナオが謝るんだ?」


「だって……」


 そう呟きながら、右腕を思いっきり振り上げる!


「ヒヤヤッコの代理でマコトにチョップをしないといけなくなったんだ!」


「は!? なんでだ!? どういうこと!?」


「ごめんね、マコト」


「待て、謝らなくていいから説明しろ! あと悲しそうな目もやめろ!」


 マコトは振り上げた俺の右腕を、両手で捕まえてきた。

 俺は特に抵抗しなかった。

 目の前にいるマコトを、きちんと見据える。


「だって、マコトがヒヤヤッコのことバカにするから」


「な、なんの話だよ!?」


 つい先ほどのことなのに、すでに覚えていないらしい。

 まあマコトも深く考えずに言ったのだろうし、仕方がない。


「ヒヤヤッコはバカだよなあって言ったよね。嫌ってるのに笑顔を向けてきたって。友達だと勘違いしてるって。それ、順番がおかしいと思う」


「じゅ、順番?」


「友達と思ってるから笑顔なんじゃなくて、友達になりたいから笑顔だったんじゃない? ヒヤヤッコはバカじゃないよ。俺には分からなくても、ヒヤヤッコは気付いてたと思う。少なくとも、自分と話すときマコトが不機嫌になるとか、どうも私のことを嫌ってるらしいとか、そのくらいのことはさ」


「…………」


「気付いてたから、ヒヤヤッコが歩み寄ってくれたんだよ。『私はあなたと仲良くなりたいです』って伝えたいから、とりあえず笑顔で近付く。口下手なヒヤヤッコらしい方法だと思わない?」


 きっとヒヤヤッコは笑顔を浮かべながら内心冷や汗をかいていたことだろう。

 誰だって、自分のことを嫌ってる相手になんて近付きたくない。

 それでも彼女は仲良くなるために自分から一歩を踏み出した。

 『ヒヤヤッコ事件』のときとは違い、その場に突っ立っているのではなく、自分から動いた。

 本当のところは分からないが、きっとそうだと俺は思う。


「だからさ、バカなのはマコトなんだよ。素直に『俺の心の氷を溶かしたヒヤヤッコまじスゲエ!』でいいのに、ひねくれたこと考えてさ。挙句の果てにヒヤヤッコをバカ扱いして」


 いつのまにかマコトは俺の右手を解放してくれていた。

 俺はベンチから立ち上がり、マコトの前に仁王立ちする。


「どう、マコト。こんな失礼な話ヒヤヤッコに聞かせられないから、俺が代わりにヒヤヤッコ・チョップを放ってマコトを断罪しようと思うんだけど、受け入れる気はある?」


 マコトはしばらく俺を呆然と見ていたが、やがて……。


「……すまん、ひと思いにやってくれ」


 そう言って頭を下げた。

 俺はそれを見てコーッと息を吐き、右手を天高く上げる。

 そして。


「ヤーッ!!」


「ぐうっ!?」


 気合を入れて右手を振り下ろしたが、どうもやりすぎたようだ。

 思ったよりいいのが入って内心焦る。

 考えてみるとチョップなんてしたことがない。

 手を抜くべきだった。


「思ったより、強いな……」


 頭を押さえながら、少し恨めしそうなマコト。

 ど、どうしよう。

 しらばっくれるか……?

 いや、ここで逃げてはいけない。

 今は俺の熱い魂を伝えるべきだ。


「それはそうさ! このチョップはヒヤヤッコだけじゃない! 俺の気持ちも、入ってるから!」


「……そっか。ナオの気持ちもか。なら仕方ないな」


「うん!!」


 マコトは微笑みながら自分の頭をなでている。

 良かった。

 納得してくれた。


「……ホントはさ、今日呼んだのは霧島さんのことを忠告するつもりだったんだ」


「え? 優羽さん?」


「ああ。彼女は裏表がありすぎる。ナオにも心当たりはあるはずだ。ヒヤヤッコがバカじゃないように、ナオだってバカじゃない」


 それはどうだろう……。

 バカじゃない自信はあまりない。

 実際特に心当たりがないし……。

 いや、だが裏表がある?

 もしかしてワルミちゃんのことを言ってるのか?


「でもさ、ちょっと考えが変わった。ナオならどうにでもなるんじゃないかって、そう思うんだ。お前が本当に霧島さんのことが好きだっていうのなら、上手くやれるだろうなって」


「そりゃ、上手くやるつもりだよ。優羽さんのこともワルミちゃんのことも好きだから」


 そう言うと、マコトは苦笑いを浮かべてきた。

 こいつにはなにを言っても無駄だという、前向きな諦めを感じた。


 いやもちろん前向きかどうかは分からないが……でもきっとそうだ。

 だってマコトだし。

 本当にマズイと思ってたら、彼は諦めたりせず俺を止めるだろう。

 俺がマコトに対してそうするように。


「なんにせよ、どうせ付き合うのならお互いにウソは無い方がいい。少なくとも優羽さんがウソつきだって、きちんと知ってもらいたい。それを理解した上で付き合うんでなけりゃ、俺が心から祝えんだろ。……全てが、一発で分かる場所がある」


 マコトが立ち上がり、俺にニヤリと笑いかけてきた。


「ユキさんの所だ。喫茶ふがふがへ行くぞ」

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