第29話 優羽さんとデート その2

 映画館の席につき、待つことしばし。

 シアター内にブザーが響いたあと、フッと照明が落とされた。

 やがてスクリーンに映し出されたのは、他作品の予告ラッシュ。

 

 ……普段なら喜んで見るところだが今の俺はまるで集中できていない。

 その理由は優羽さんだ。


「ねえナオ君……で……だよね」


 隣の座席に座っている優羽さんはこちらに顔を寄せ、なにやら小声で話しかけてくる。

 恐らく現在スクリーンに映されているアクション映画の俳優について話しているのだと思うが、大きな爆発音のせいでまるで聞き取れない。


 ただ――。

 なんとか読み取ろうと優羽さんの口元を凝視するうち、妙な気分になってきた。

 小声のせいか彼女の口の動きは小さく、ついばむようで、なにやら可愛らしい。


 優羽さんも俺が話を聞かずに唇ばかり見てくることに気付いたのだろう。

 目をパチパチとさせたあと、近付いていた身体をそっと離し、照れたようにはにかんでいる。


「……ま、まだダメだよ……」


 その呟くような言葉は、なぜかはっきりと俺の耳に届いた。


 ――まだダメ。

 優羽さんの声が脳内に響く。

 彼女は俺がキスをしたがっていると勘違いしたのだろうが……。

 まだってことは、いずれは……?


 優羽さんはこちらを見るのはやめ、スクリーンに集中しているようだ。 

 右手を膝の上に置き、けれど左手は俺の手と繋いだまま。


 ……優羽さんの柔らかな手の感触。

 そして伝わる彼女の体温。

 薄暗い中、優羽さんと手を繋いでいる状況に奇妙な背徳感がある。


 このタイミングで優羽さんが手をにぎにぎしてきたら俺のメンタルが死ぬのではないかと内心びくびくしていると、ようやく本編が始まってくれた。


 だがいきなりスクリーンに大写しになったのは、病室でのキスシーン。

 優羽さんと繋ぐ手に再び意識がいく。


 これはまずいかもしれない、と唾をゴクリと飲み込んだところですぐに画面が切り替わった。

 教室だ。

 先ほどキスしていた2人が、ごく普通の高校生活を送っている。


 おそらく病室でのキスは終盤のシーンなのだろう。

 このほのぼのとしていて健康そうな二人があの状況になるまでを描くわけだ。


 ……そうやって場面場面を解釈していくうちに、いつの間にかこの映画に引き込まれていたようだ。


 物語の終盤、2人に永遠の別れが訪れるシーンでは、思わず涙がこぼれかけた。

 隣の優羽さんは、ぐしゅぐしゅ泣いている。


 エンドロールが流れる中、席を立つ人はいなかった。

 みんな余韻に浸っているのかもしれない。


 俺たちはどうしようかと、優羽さんを横目で見る。

 彼女はハンカチで目のあたりを拭っていた。

 まだ多少は泣いているようだが、この感じならすぐに落ち着くだろう。


 それにしても……。

 薄暗い中でも分かる。

 優羽さんは泣いていても綺麗だ。


 エンドロールが終わり照明が点いたところで、映画館を出た。



「これからどうする? 予定通り食事でいい?」


 優羽さんの様子を窺いながら、何気ない感じで話し掛ける。


 映画館を出てすぐのスぺ―スはさすがにまだお客さんが多く、「良かった」だの「めっちゃ泣いた」なんて声が聞こえる。

 中にはいまだに泣いている人もいるようだ。


 優羽さんはさすがに泣き止んでいたが、それでもテンションが上がらないらしく、コクンと子どものように頷いていた。


 そんな彼女の手を引きながら地下にあるフードエリアに行き、家族向けといった雰囲気の定食屋さんに入る。

 ここがあらかじめ決めていたお店だったのだ。


 1人でデートプランを考えていて一番頭を悩ませたのが、食事である。

 だから2人で一緒に考えるときに、優羽さんがサッとお店を決めてくれたので正直助かった。

 たぶん優羽さんも早く決めないと俺が迷走すると思ったのだろう。

 実際ネットで探すうちにドレスコードのあるお店にたどり着いていたので、あのままではヤバかったと思う。


「映画、良かったね」


 店員さんが運んできてくれたオムレツをスプーンですくいながら優羽さんに話しかけた。

 感動系の映画は苦手だと思っていたが、単なる思い込みだったのかもしれない。

 評判が良いだけあって俺もなかなか楽しめる作品だった。


 ちなみにこのオムレツも悪くない。

 本当は優羽さんが頼んだ料理が届くまで食べるのを待とうとしたのだが、優羽さんに「温かいうちに食べたほうが、お店の人も喜ぶと思う」と言われ、そうすることにしたのだ。

 喫茶店の娘なだけあって、こういうときには料理を提供する側の視点に立ってしまうのだろう。


「うん……。すごくいい映画だった」


 優羽さんはまだ余韻が残っているのか、言葉数が少ない。


「こういう恋愛ものってちゃんと見たの初めてかも。俺でも感動しちゃうんだから、人気があるのも当然だね」


「ふふ、そうかもね。……私もいろいろ考えちゃった。こういう映画を見るとさ、後悔しないように生きないとって思っちゃうね。いつどうなるか分からないから、言いたいことがあるならちゃんと伝えないとって」


 寂しそうな微笑みを浮かべている優羽さん。


 優羽さんの映画の受け止め方は、俺とはだいぶ違ったようだ。

 俺は単なる感動的な物語として見ていたが、優羽さんはそれだけでなく教訓として活かそうとしていた。

 もっともこういうのは、どちらが正しい見方というわけでもないだろう。

 各々が感じたままに味わえばいいのだ。


 しかし……。

 「言いたいことがあるなら伝える」

 これはデートをしている最中の発言としては意味深だ。

 もしかして、告白してほしいと俺に発破を掛けているのだろうか……。


「はいお客様、大変お待たせいたしましたー」


「……わー、おいしそう……」 


 さりげなく優羽さんの様子を窺っていたが、彼女は俺の視線に気付いた様子もなく、店員さんが運んできたトンカツ定食を見て満面の笑みを浮かべていた。


 ……優羽さん意外とガッツリ食べるタイプなんだなあ。



 大満足で食事を終えた俺たちは、再び電車で移動した。

 次の目的地は、俺たちの家からも近い大きな公園だ。

 中央が池になっていて、その周囲を回ると30分くらいは掛かるだろう。


 穏やかな日差しを浴びながら優羽さんと手を繋ぎ、のんびりと歩く。

 優羽さんも美味しい食事を経て気持ちが落ち着いたようで、ほんわかとした笑顔を見せてくれた。


「ナオ君、ボートにでも乗る?」


「ああ、じゃあ桟橋のほうに行こうか」


「……ごめんね、やっぱり別にいいかな。思ったより人が多いでしょ。ナオ君と2人きりになりたくて言ってみただけだよ」


 たしかに土曜日の昼過ぎはランニングをする人やベビーカーを押した親子連れなど、沢山の人がいた。

 しかし2人きりになりたい、か……。


「……」


 お互いに言葉数が減っている。

 優羽さんが黙り込む理由は想像するしかないが、俺が黙ってしまう理由と一緒ではないかと思えた。

 この後のことが気になるのだ。

 予定ではしばらく公園を見て回ったあと、商店街をぶらぶら、そのあとタワーに行って、そして最後は優羽さんの部屋だ。


 もちろん彼女の部屋自体は行ったことがある。

 ただ今回はデートコースの最後の目的地だと、優羽さんがわざわざ強調してきたのだ。

 そして土日の夜はユキさんも健治さんも帰ってくるのが遅いそうで、場合によっては日を跨ぐことすらあるらしい。


 ……今日は土曜日。

 彼女の部屋に行くと、かなり長い時間2人っきりになれるわけだ。

 デートとして彼女の部屋に行く以上、どうしても期待してしまう。

 そして期待してしまう以上、早くも緊張感がすごい。


「2人きりになりたいんだったら、今から優羽さんの部屋に行く?」


 冗談っぽく聞いてみた。

 俺としてはどちらでも良い。


「ふふふ、それもいいけど、もう少し遊ぼうか」


 残念、かわされてしまった。

 とはいえ反応は悪くない。


「じゃあ、のんびり散歩だね」


 手を繋いだままゆっくりと歩く。

 ……のだが、すぐに優羽さんが立ち止まっていることに気付いた。


「優羽さん? どうしたの?」


「……ナオ君、私の部屋にもう行きたい感じ?」


「え……?」


 優羽さんは単純に確認しただけのようだ。

 ニヤニヤしているわけでもなく、かといって妖艶に微笑むわけでもなく、ごく自然な様子で首を傾げている。


「……ええ、それはまあ行きたいですねえ……」


 変にねっとりとした返事をしてしまった。

 気持ちを切り替えた直後に、自然な調子で聞かれ動揺したのだ。

 これがからかうように聞いてきたのなら、明るく元気に「是非行きたいです!」と言えたのに……。

 いや、だが、そうなのだ。

 行きたいのは事実。

 答えを間違えたわけではない。


 優羽さんにもそれは伝わったのだろう、顎に手を当て思案顔だ。


「……うん。じゃあふがふがに行こうか」


 しばらく考えたあと優羽さんが出した結論は、なぜかそれだった。

 とはいえ俺としても問題があるわけではないので素直に従う。

 優羽さんはふがふがに向かう間、やけに機嫌が良かった。



「あ、ナオ君はここで待っててくれる?」


「え!? ここで!?」


 優羽さんが待機指示を出してきたのは、喫茶ふがふがの入口近く。

 ここまで来てなぜ入ってはいけないのか、意味がよく分からない。

 さすがに嫌がらせではないだろうし、理由はあるのだろうが……。


「えっと、待ったほうがいいなら、待つけど……」


「ごめんね。デートの途中で私以外の女の人にテンションが上がるナオ君、見たくないから」


「ぐっ!? なるほどね……。それはそうだろうね……」


 これ以上なく分かりやすい理由だった。

 ユキさんに会ったら間違いなく俺のテンションは跳ね上がるだろう。

 いやしかし、それではなぜふがふがに?。


 そう思ったときには、優羽さんは店内に入っていた。


 待ったのは5分ほどだろうか。

 大きなボストンバッグを重たそうに抱え、店から出てくる優羽さん。


「お待たせ、じゃあ行こうか」


「……うん」


 どこへ、と聞かなかったのは、優羽さんが少し恥ずかしそうな表情を浮かべていたからだ。

 確信する。

 今から俺たちは、優羽さんの部屋に向かうのだ。

 優羽さんはあのボストンバッグの中身が必要だったので、喫茶ふがふがに寄ったのだ。


 いったい俺を待ち受けているのは、なんなのか。

 もしかすると――エッチなご褒美の時間か……?

 期待に胸を膨らませながら優羽さんと並んで歩いた。

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