第28話 優羽さんとデート その1
窓の外。
チュピチュピと鳴いている鳥の声で目が覚めた。
なんの鳥かは知らないが、寝過ごすわけにはいかなかったのでありがたい。
今日は土曜日、優羽さんとデートの約束をした日なのだ。
寝坊をしないよう目覚ましを3つセットしたが、1つも使わずに済むとは……。
鳥のさえずりは耳に心地よく、気分も良い。
ベッドから出て軽く体を動かしてみたが、昨日のテニスの疲れも残っていないようだ。
まあテニスより写真を撮った時間のほうが長いくらいだったので当然か。
「お、ナオ、おはよ~! 今日はずいぶん早起きじゃん。もしかして、なにか楽しみなことでもあるの?」
「まあ、そんなとこ」
「そっかそっか~。女の子とデートなんて、そりゃあ楽しみだよね~」
リビングに入ると、待ち構えていたミライさんに冷やかされてしまった。
昨日の夜「起きてこなかったら起こして欲しい」と頼んだ時点で、これはなにかあるぞと察しが付いたようで、根掘り葉掘り尋ねてきたミライさん。
どこか心配そうな彼女の視線に耐えきれず、女の子と遊びに行くと白状してしまったわけだ。
まあミライさんに問い詰められたのだから仕方がない。
むしろ相手が優羽さんと言わなかっただけでも褒めてもらいたいくらいである。
もしそれがバレてたら優羽さんに密かに連絡を取り「明日ナオとデートするんでしょ、あの子のことよろしくね」くらいのことは言いかねない。
さすがにそれは恥ずかしい。
「ほら、朝食を用意したから。たーんとお食べ」
出かける前に適当に食パンでも焼いて食べるつもりだったが、わざわざ準備してくれたようだ。
ミライさんは笑顔で俺の背中をグイグイと押してダイニングテーブルまで誘導したあと、椅子を引いて座るよう促してきた。
なんだかエスコートされているようで少し気恥ずかしいが、大人しく着席。
そしてミライさんが作ってくれた朝食に目を向ける。
それは――
「トンカツ……!」
テーブルの中央にドンと置かれたのは、トンカツの載ったお皿。
まさかこれは……?
「うん、トンカツ。だって勝たないといけないでしょ。だからトンカツを揚げておいたの」
やはりゲン担ぎ!
しかもミライさんはわざわざ早起きして出来立てを用意してくれたようだ。
朝から揚げ物を作るのは面倒だったろうに……。
「デートに勝つも負けるも無くない?」
本来ならお礼を言うべき場面だろうが、ミライさんの気遣いが照れくさく、ついツッコミを入れてしまった。
しかしミライさんは特に気にしなかったらしい。
笑顔のまま、トンカツの皿を俺の目の前に押しやってくる。
「でもどうせなら勝ちたいよね? だってデートだよ」
「……そりゃまあ勝ちたいけども」
どうなれば「勝ち」なのか分からないままだが、頷く。
どんな状況になるにせよ負けるよりは勝ちたい、それは確かだ。
「……うんそうだね、ありがとうミライさん。このトンカツを食べて、今日のデート、絶対に勝ってくるよ」
揚げたてのトンカツを眺めるうちに気持ちも落ち着いてきたようで、ようやく素直にお礼が言えた。
「うんうん、じゃあ食パンを焼いてくるから、ナオはそこで座って待ってるといいよ。今日のナオはパンの気分でしょ」
「う、うん。ありがとう……」
確かにそうなのだが、なぜ俺の気分まで分かるんだ……。
ミライさんは子どもの頃から俺を知っているせいか、こういうところがある。
ほどなくミライさんが良い色に焼けた食パンを持ってきてくれた。
早速トンカツを食パンで挟み、ケチャップとマスタードをかけ、かぶりつく。
……しかしこれ、マジで美味いな……。
たしかになんか勝てる気がしてきた……!
なにに勝つのかは分からないけど、今の俺ならなんにでも勝てそうだ!
食事を終えた俺はテンションが上がったまま部屋に戻り、今日着る洋服の確認をすることにした。
中学のときに奮発して買った、お値段高めのジャケットの封印を解き、手に取る。
「久しぶりだね、おしゃれジャケット……」
お店で一目ぼれして購入したわけだが、冷静になってみると当時の俺にはおしゃれすぎて似合っていなかった。
宝の持ち腐れになっていたわけだが、高校生になった今なら……。
ゆっくりと袖に腕を通す。
手触りのいい高級感のある生地。
通気性も良く、今の時期にぴったりだ。
着ただけでワンランク上の魅力的な人間になれる、そんな錯覚すら覚える。
うっとりとした心地のまま、鏡の前に立ち――いややっぱ似合ってないな。
一瞬で正気に戻るほど、違和感がすごい。
服に着られてるって感じ。
残念だが高校生でもまだこのジャケットは早かったようだ。
もしかすると根本的にサイズが合っていないのかもしれない。
「背が伸びたらまた会おう、おしゃれジャケット……」
再度封印した。
結局はいつもの黒いTシャツの上に白いシャツを羽織り、黒っぽいデニムを履くという俺的に無難な服装に着替える。
その代わり、手触りが好きなハンカチに、鼻に優しいお値段高めのティッシュを準備。
どちらも気付かれることはないだろうが、だからこそ気を使ってみた。
だって、デートなのだ。
まずは俺の気持ちを盛り上げておきたい。
待ち合わせは地下鉄の改札前。
俺としてはどちらかの家で合流してデートに出かける想定をしていたが、優羽さんは外で待ち合わせしたかったらしく、そんな提案をしてきたのだ。
なるほどデートっぽいと思ったので、俺も賛成した。
地下鉄の駅まではここから10分ほどで着く。
時間的にはまだ早いが、なんだか落ち着かないしそろそろ出発しようか……。
「もう出るの?」
「ああ、うん。遅れるよりはいいからね」
靴を履いていると、心配だったのかミライさんが見送りに来てくれた。
「ナオ、今日のデートはゼッタイ上手くいくからね。だってトンカツ食べたんだもん。だから落ち着いて、相手の子に優しくするんだよ。大丈夫、いつも通りのナオでいればその子のハートをゲットできるから。今日のナオはいつもよりカッコイイし、それにトンカツも食べてるもんね」
ミライさんからの応援にグッと親指を立て応えながら、玄関を出て空を見上げる。
快晴だ。
軽く深呼吸してから待ち合わせ場所に向かった。
「ごめんね、ナオ君! 待った?」
人通りもまばらな地下鉄の改札手前で立っていると、息を切らせながら優羽さんが駆け寄って来た。
「ううん、今来たとこ」
「ふふっ、そんなこと言って結構待ったんじゃない?」
「……なんなの、この茶番」
「なんか、一回くらいやってみたいなって思って。嫌だった?」
「俺も、ここまで無茶な状況でなければやりたかったけど」
自宅をかなり早めに出たつもりだったが優羽さんも同じことを考えたらしく、玄関を出た直後に彼女と遭遇してしまったのだ。
仕方がないので声を掛けようとしたが、優羽さんは気付かない振りをしてズンズンと進んでいくので、俺も他人の振りをして追い抜き、駅まで早足で進んだ。
なんともいえない空気のまま待ち合わせ場所にたどりついてしまい、先ほどの会話が始まったというわけだ。
優羽さんが息を切らしていたのは彼女なりの演出なのだろう。
たしかにこんな状況でもちょっと嬉しい。
「えっと、とりあえず行こうか」
周囲の視線を感じるわけでもないが、なんだか照れくさく、この場を離れたかった。
「ね、手を繋いでもいい?」
「ん……」
歩き出そうとした瞬間に聞こえた優羽さんの言葉にうまく反応できず、口ごもる。
予想外だったわけだが、なんというか、予想していなかった自分に驚いてしまったのだ。
デートだから手を繋ぐ。
当然有り得る話だし、なんなら俺から提案しても良かったくらいだ。
どうも俺はかなり緊張しているらしい。
頭がぜんぜん働いていない。
「ごめん、そうだよね、デートだし、手を繋ごうか」
気合を入れ直して優羽さんの手を取る。
少しの沈黙のあと、なんとなくお互い笑顔になった。
「じゃあ出発!」
いまから地下鉄に乗り、最初の目的地であるショッピングモールに向かう予定となっていた。
ここからだと到着まで30分くらいだろう。
ホームで電車を待ちながら、優羽さんの服装を眺める。
考えてみれば相手の服を褒めるというのも合流してすぐにやるべき事柄だ。
とはいえ、今からでも遅くはない。
彼女が着ているのは紺色のジーンズに白いシャツ。
その上に膝くらいまである薄手のベージュのコートを羽織っている。
もっと気合いが入った格好をしてくるのではと恐れていたので、ちょっと安心した。
まあ俺のお子様ファッションでは釣り合いはとれていないが。
「私の服、どう? 可愛い?」
俺の視線に気付いたようで、優羽さんが、からかうように言ってくる。
もしかすると彼女は可愛いを目指していたのだろうか。
服の印象は、自然体。
だからだろう、優羽さんの美人さがそのまま出ていた。
「可愛いっていうか、綺麗系な感じだね。優羽さんによく似合ってるよ」
思ったままに答える。
「そっか」
それは不思議な反応だった。
言葉だけだと素っ気ないようだが、優羽さんの口元が緩んでいる。
喜んでいるといえばそれまでだが『しめしめ、上手くいっているぞ』という、ワルミちゃん的な気配を感じた。
「ナオ君は格好いいよ。まあ、普段からそうだけどね」
優羽さんの反応について考えていると、俺のことも褒めてくれた。
「……あ、ありがとう」
冗談っぽい返事をするつもりだったが、なにも思い浮かばず、普通にお礼を言ってしまう。
社交辞令だと理解していても、まっすぐ褒められると照れる。
いや、でも優羽さんのことだし本音で言ってるのかもしれない。
だとしたら――ものすごく照れる……!
自身の頬が赤くなっているように思えたが、それには気付かないふりをして、やってきた電車に乗り込む。
まだ時間的に早いせいか車内は空いていた。
手を繋いだまま横並びに座り、天井からぶら下がっている広告を眺めた。
「なにか面白い広告でもあった?」
「……いや、特には無いね」
顔を寄せて聞いてくる優羽さんの言葉に、簡単に答える。
そもそも広告目当てで見ていたわけではない。
隣にいる優羽さんから意識をそらしたかったのだ。
俺はどうも、自分の惚れっぽさを甘く見ていたらしい。
手を繋いだあとカッコイイと言われ、隣に座る。
ただそれだけで俺は優羽さんのことをかなり意識していた。
いや、はっきりと言ってしまおう。
俺は優羽さんのことを完全に好きになったようだ。
まだデートが始まった直後だというのに、我ながら驚きのチョロさである。
もっともデートの目的である「ワルミちゃんと同じくらい好きになっているか」という部分に関しては正直なんとも言えない。
さすがにワルミちゃんに対する長年の想いには届いていない気はするが……。
でもそもそも最近は彼女に会えてないし、好きという気持ちをどう比較すればいいんだろう……。
……優羽さんは俺のそんな考えに当然気付くわけもなく、こちらに身体を寄せイタズラっぽい表情で手をにぎにぎとしてくる。
その子供のような仕草が俺の心を惑わせると言いたいが、実際はすでに好きになっているので惑うもなにもない。
ただただ嬉しい。
俺も考え事はやめ、にぎにぎを返しながら電車に揺られた。
目的の駅に到着したので、にぎにぎはやめてホームに降りた。
このあたりは市の中心部に近いので、さすがに人が多い。
優羽さんと手を繋いだまま地上まで上がっていき、目の前の大きな建物に入る。
これが最初の目的地であるショッピングモールだ。
確か五階建てだったろうか。
映画館のある階までエスカレーターで上がる。
ショッピングモールの真向かいには高級ホテルがあり、その間には水路と噴水があった。
休日は水路付近でなにかしらイベントをやっていることも多いのだが、今日は特に無いようだ。
少し残念。
定期的に勢いよく上がってくる噴水の水を横目で見ながら歩いていくうちに、映画館にたどり着く。
映画を観たいと言ったのは優羽さんだ。
俺もそれ自体には異論がないが……問題はジャンルである。
優羽さんと2人でチケット売り場の横にあるタッチパネルを操作。
事前にネット予約をしていたので、番号を打ち込むだけで発券できるそうだ。
優羽さんから俺の分のチケットを受け取り、タイトルを確認する。
「僕と彼女の出会いと別れ」
この映画は人気作のようで、俺も評判は聞いたことがある。
難病をテーマにした泣ける純愛もの。
ごりっごりの恋愛映画を、優羽さんと二人で観るわけだ。
周囲を見ても、いちゃついたカップルや女性同士ばかり。
とはいえ気まずく思う必要はない。
だって俺たちもデートで来ているのだ。
他のカップル同様、堂々と恋愛映画を鑑賞することにしよう。
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