第19話 月島先生

 お昼の職員室。

 俺とマコトは、先生の前に並んで立っていた。

 はたから見ると怒られているような光景だろうが、別にそういうことではない。


 俺たちの目の前にいるのは担任の月島先生だ。

 彼女は椅子に座り脚を組んで、マコトが渡した『同好会新設申請書』に目を通している。


 昼休みの間に書類の確認をしてもらえることになったので、こうして職員室までやって来たわけだが……。

 マコトは表情を見ても明らかに緊張しているようだ。

 結果次第で今後の人生が変わる――そのくらいの意気込みを感じた。

 

 ではその隣にいる俺もマコト同様気合が入っているかといえば、別にそんなことはない。

 ただ気楽に突っ立っているだけだった。

 マコトには悪いが、申請が却下されてもそれはそれで仕方ないと思っているからだ。


 薄情だとは自分でも思うが、今この時間すら手持ち無沙汰なくらいだ。

 暇つぶしを兼ねて、先生のデスクをぼんやり眺める。

 ここ1週間ほどで先生のイメージはだいぶ固まっていた。

 当初はズボラなタイプかもと思っていたが、どちらかというと几帳面なようで、実際に彼女のデスクはよく整頓されている。

 机の中央にはノートパソコンがあり、その脇にはブックスタンドがあって資料が大量に立てられていた。

 他の先生の机と違い、雑に積み上げられた書類は見当たらない。


 その分、デスクの隅にシールがペタペタと貼ってあるのが異彩を放っている。

 動物や妖精をモチーフとしたキャラクター物のシールで、先生のイメージとは違った。

 意外と可愛いもの好きなのだろうか。

 いやもしかすると生徒に勝手に貼られ、剥がすに剥がせないのかもしれない。


「ふーん、趣味研究同好会。思ったよりまともじゃないか」


 申請書から目を離し、感心したように呟く月島先生。

 とりあえず好印象のようだ。

 マコトもホッと息を吐いていた。


「名称を見たときはもっとふざけた内容を想像していたがな。ところで、ここに書かれたメンバーからは本当にOKをもらっているんだな? これから勧誘しますとか、そういうのではないな?」


「はい、話はしてあります。顧問の先生が決まればちゃんと入会届も出してくれるそうです」


「そうか。まあ、クラスでもよく会話しているようだし、疑うわけではないが。……いやしかし、これはすごい面子だな。男子連中がこぞって入会希望を出しそうだ」


 先生が言っていることも確かに分かる。


 優羽さんにヒヤヤッコに九条さん。

 いずれもタイプは違うが美少女揃いだ。

 彼女たちと街中ですれ違ったら思わず振り返ってしまうだろう。

 一瞬目に入っただけでもそうなるくらい、彼女たちのビジュアルは目を惹く。

 男子人気で言えば学年ベスト3を独占してるといっても過言ではない。


「当面はメンバーを増やさず、この5人でやっていこうと思ってます。女子目当てで入られても困るんで」


 マコトがキリっとした顔で言っている。

 本音は先生目当ての男子を排除したいのだろう。

 最近分かってきたが、先生は生徒から人気があった。

 それも男女ともに、だ。


「……うん、それがいいかもな。本当は来るもの拒まずが望ましいんだが、それだと恐ろしい人数になりそうだ。彼女たち、特に九条は浮世離れしたところがあるし多少過保護なくらいで丁度いいだろう」


 浮世離れ?

 九条さんとはあまり話せていないが、ちょっと変わっているだけで普通の子に見えた。

 かなりのお嬢様ではあるのだろうが浮世離れとまでは言えないような……?

 とはいえ月島先生の言い方からするとかなり確信があるというか、既になにかあったのだろうとも思える。


「えっと、それで前にも話しましたけど、月島先生に顧問になってもらいたいんです。約束通り人数は揃えました」


「ああ、分かっている。とりあえずメンバーから入会届を集めて、私のところに持ってきてくれ。その間に私は空き教室の確認をしておく」


「同好会でも、教室を使えるんですね」


 少し意外だったのでマコトと先生のやり取りに口を挟んだ。

 同好会は部活と違い、もっと隅に追いやられているイメージだった。


「文化棟で空いてる教室があれば、という前提だがな。まあ、余裕があるはずだし問題ないとは思うが」


 先生はそう言いながら机の引き出しから入会届の用紙を取り出し、マコトに手渡す。


「あとは職員会議で申請書の確認をして、正式に認可されるかが決まる。まあメンバーがいて、顧問もいるんだ。間違いなく通るよ」


「ありがとうございます! そして、失礼します!」


 マコトと一緒に頭を下げ、職員室を出た。


「よし、よし、一番の難関を突破したぞ!」


 マコトは廊下を歩きながらガッツポーズをしている。

 なんだか微笑ましい。


「一番の難関は活動内容決めだった気がするけどね」


「まあ、それも面倒だったし、メンバー集めもそうだ。ナオにかなり助けてもらったからな。それでも、先生に顧問になってもらえないと意味が無い。やっぱり一番の難関だよ」


 なるほど、確かにそうか。


「……話す度に思うけど、なんか良い先生だよね。口調が堅い割に、雰囲気というか話し方というか意外と和やかでさ。しかもポニテだし」


 職員室ではポニーテールを解いていたようで、パソコンの画面を眺めながら綺麗なロングヘアを指で弄んでいた月島先生。

 地味にポニテ好きの俺としては正直がっかりしてしまったが、彼女は俺たちが来たことに気付いた瞬間ハッとした表情を浮かべると、慌てたようにポニーテールにしてくれたのだ。

 恐らく生徒の前では髪を結んで気合を入れるという、自分の中での決め事でもあるのだろう。


「お、なんだナオも先生派に鞍替えするか? 今の俺は気分が良いから、認めてしまうな」


 本当にテンションが上がってるようでマコトはニッコニコの笑顔だ。

 別に彼に認めてもらう必要もないがそれを言うのも野暮というもの。

 マコトとどちらが『月島先生ファンクラブ』の会長になるか争いながら教室に戻る。


 ちょうど女性陣3人も教室にいた。

 昼食を取ろうとしていたようで、お弁当を広げている。


 もっとも九条さんは自分の机にお弁当を置いたまま俺の席に座っていたので、3人で雑談していたのかもしれない。

 俺たちが教室に入ってくるのに気付いたらしく、九条さんはこちらを見ながら慌てて立ち上がっていた。


「ご、ごめんなさい」


「ああ、別にいいよ」


 九条さんがそそくさと自分の席に戻っていく。


「先生に話してきて、OKをもらったぞ。とりあえず入会届の記入を頼む」


 マコトはそう言いながら、女性陣に用紙を配る。

 ちなみに俺は職員室を出た直後に記入用紙をもらっていた。


 後回しにすると忘れそうだし、お弁当を食べる前に記入しておこう。

 俺につられたのか皆も記入しているようだ。


 クラスと、名前。そして入るのは「趣味研究同好会」と。


 念のため間違いがないか用紙を見直す。

 訂正する必要は無さそうだが、自分の汚い字を見ているとなんだかげんなりしてきた。


「字が下手だからこういうの苦手なんだよね」


「俺だって大差ねえよ」


 マコトと2人、お互いの入会届を眺める。

 なるほど大差ない。

 どちらもはっきりと書かれていることだけが取り柄の、バランスの悪い字だ。

 なんとなく諦めたような気持ちでマコトに入会届を渡した。


「はい、記入が終わりました」


 優羽さんもマコトに入会届を渡している。

 なんとなく気になったので用紙を横から覗き込んだ。


 ……綺麗な字だ。

 昔は汚いというかやたらと勢いのある字を書いていた記憶があるが、練習したのだろう。


「はい、私もできたよ」


 次はヒヤヤッコだが、彼女のは見なくても分かる。

 ヒヤヤッコは昔から字が上手だった。

 それでも一応見てみたが――やはりバランスが良く綺麗な字だ。


「あの、私も書けました」


 九条さんは――達筆!

 さらさらと流れるような字なのに俺でもきちんと読めるので、なかなかの技量なのではないだろうか。


 しかしこう見比べてみると、改めて字が汚いのが恥ずかしくなってくる……。


「字の練習も趣味になるかな……」


 弁当箱を開けながら、ぼやくように言ってしまった。

 マコトも情けない顔になっている。


「あー、なるほど。俺も上手くなりてえな」


「習字とか習ったら?」


「面倒」


 提案してくれたヒヤヤッコには申し訳ないが、ぶった切る。

 子どもの頃ならともかく、今から習字教室に通うのはちょっと抵抗があった。


「本屋で字の練習帳とか買って、同好会でやってみるかあ」


「さっきナオ君も言ってたけどさ、そもそも字の練習って趣味になるの?」


 ヒヤヤッコは懐疑的なようだ。

 ウサギの形に切ってあるリンゴを、ピックで突き刺しながら首をかしげていた。


「趣味に入れていいと思いますよ。あまり制限を掛けると活動内容が無くなりますからね。多少大雑把くらいでちょうどいいかと」


 優羽さんの言葉に、九条さんもウンウン頷く。

 ちなみに九条さんだけ机を回転させ、優羽さんと向かい合わせで食事していた。

 5段重ねの弁当箱でも持ってきそうなイメージだが、実際は小さくて可愛らしいお弁当箱を持ってきている。

 もっとも中身は高級食材だったりするのだろう。


「優羽さんはどうやって字の練習したの? 書道教室とか行った?」


「そこまではしなかったですね。動画サイトで字のきれいな書き方を教えてくれる動画を探して、実際にやってみる。あとはとにかく反復練習です」


 一番参考になりそうな優羽さんに聞いてみたが……うーむ。

 その方法なら俺にもできそうな気がするが、実際はすぐ飽きてしまいそうだ……。

 いつでもできることは、いつまでたってもやらないのが俺なのだ。

 そういう意味では、ヒヤヤッコの言う通り書道教室にでも通うのが最適解なのだろうが……やっぱりめんどくさいよなあ……。


「ん? なに、優羽ちゃんは昔は字が上手じゃなかったの?」


「そうなんです。のたくった字とか言われましたね。うねうねしてて」


 そこまでの印象はなかったが、優羽さんは笑顔で誇張していた。

 こうやってヒヤヤッコと話しているときの優羽さんは、俺が憶えている昔の印象とはかなり違う。

 今の優羽さんはヒヤヤッコを笑顔でからかっていて、ヒヤヤッコも笑顔でからかわれているのだ。


「でも、そこからこんな美文字になったんだねえ。やっぱり優羽ちゃんはすごいなあ」


「ええ、努力しましたので」


 優羽さんは自慢げに胸を張ったあと、ヒヤヤッコに向けて両手を広げた。


「がんばり屋の私を抱きしめたければ、別に構いませんよ」


「うおー、優羽ちゃあああん!」


 ヒヤヤッコは可愛く雄たけびを上げながら席を立った。

 机をぐるっと迂回して、椅子に座っている優羽さんの前にしゃがみこむと、その低い体勢のまま優羽さんのお腹のあたりにえいやと抱きつく。

 頭をなでてもらいご満悦の表情だ。


「うへへへー、さいこーだー」


 美少女のじゃれあいを微笑ましく見ていると、九条さんが席を立ち2人に近づくのが見えた。


「わ、私も混ぜてください」


「ええ、もちろんいいですよ」


「うんうん、ヒメルちゃんも抱きつくといいよ。すっごく幸せな気持ちになれるよ」


 九条さんの言葉に頷く2人。

 ヒヤヤッコはスペースを空けるためか、右にずれていた。


「では、失礼します」


 九条さんはそう言うとヒヤヤッコと同じように、優羽さんの前にしゃがみこむ。

 そして優羽さんに抱きつく――と思いきや、すぐ隣にいるヒヤヤッコに抱きついた。


「えっ、えっ、わ、私!?」


「本当ですね。すごく幸せな気持ちです」


 真っ赤な顔で慌てているヒヤヤッコと、ニコニコ笑顔で彼女に抱きつく九条さん。

 それを優しい表情で優羽さんが見ている。


 仲が良いとは思っていたが、想像以上だ。

 特に九条さんは優羽さんにベッタリなイメージだったが、普通にヒヤヤッコとも仲が良い。

 前にヒヤヤッコが2人の仲に割り込んだようなことを言っていて少し気になっていたが、彼女なりの謙遜でしかなかったのだろう。


 ヒヤヤッコはからかったときのリアクションが大きくてしかもそれが可愛らしいので、いじられキャラとして地位を確立しているようにみえた。


 とはいえいつまでも3人のいちゃつきを見ているのもどうかと思われたので、マコトに目を向ける。

 お弁当を手に持ち唐揚げを口に放り込みながら、優羽さんたちをぼんやりと眺めているマコト。


 ……優羽さんたちのように、俺もマコトとじゃれあおう!

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