第18話 デートのお誘い

「話したいことってなに?」


 九条さんが帰ったからだろう、猫を被るのはやめたようだ。

 俺としても、この優羽さんのほうが話しやすい。


「いや、特にこれって話があるわけじゃないよ。ちょっと雑談でもどうかなって」


「私でいいの? ワルミじゃないけど」


「確かにワルミちゃんとも話したいけどね。でも最近優羽さんと話してないなって思ったんだ」


 からかうように聞いてくる優羽さんにとりあえずそう返事をしたが、これは本音とは言い難い。

 優羽さんが見抜いた通り、俺の目当てはワルミちゃんだった。

 ワルミちゃんとキスをしたあの春休みの日以来、彼女と会えていないのだ。

 ……さすがに寂しい。


 あの時も優羽さんと話しているうちにいつの間にかワルミちゃんが出てきたようなので、今回もそうならないか期待していた。


「そう? ナオ君とは入学式の日に結構話したよ」


「もう何日も前じゃん。せっかくお隣さんなんだし、毎日話してもよくない?」


 そう言うと、優羽さんはなにを思っているのかこちらをジッと見てきた。

 なんとなく冷や汗が出てくる。


「……ねえ、ナオ君。お願いがあるんだけど……」


「お願い? なに?」


「私と――デートしない?」


「……デート!?」


 予想外過ぎて、思わず大声を出してしまった。

 いやしかしデートだって?

 それってホントにデートのことか?

 スーパーに買い物に行くことをデートと表現していたりするのでは……?


「ナオ君が私じゃなくてワルミのことを好きなのは知ってるよ。でもね、私のことを好きになって欲しいの。そのチャンスを私にください」


 優羽さんはそう言いながら頭を下げてくる。

 俺はそんな彼女を無言で見つめ、内心かなりの衝撃を受けていた。


 いやだってこれ――ほとんど告白じゃん……!

 それもびっくりするほどストレートな告白だ。


『私のことを好きになって欲しい、だからデートして』


 これを優羽さんから言われて拒否できる男はそうそういないだろう。

 彼女の恥ずかしそうな表情と、頭を下げた瞬間ふわっと漂ってきた甘くて良い匂いも相まって、俺の心は完全に魅了されていた。


 実際、優羽さんのことを嫌っている男がいたとしても「行きます!」と大喜びで返事をしてしまう、それ程の破壊力が優羽さんの告白にはあった。

 俺だって油断すると「デートするまでもなく今の告白で好きになりました!」と叫んでしまいそうだ。


 ……けれど。

 本当に、極めて、とてもとても残念なことではあるが、俺は彼女の望みを叶えることはできない。

 その理由はただ一つ。


 優羽さんは結局「ワルミではなく私のことを好きになって」と言っていたのだ。


 俺にとってワルミちゃんは特別な存在だった。

 優羽さんがいくら魅力的な女性でも、ワルミちゃんより好きにはなれない。

 俺はチョロい男で、でもだからこそ子どもの頃から抱き続けているワルミちゃんへの気持ちは大切にしたかった。


「ごめん。優羽さんとデートはできないよ。……ワルミちゃんに悪いから」


「……っ」


 俺が断るとは思っていなかったようで、優羽さんは言葉を失っていた。

 その反応に焦りはするし、心も痛む。

 けれど俺の答えは変わらない。

 ワルミちゃんがいるのに、浮気みたいな真似はできない。


 沈黙の中、この場は一旦帰ったほうがいいのだろうかなどと考えていると、優羽さんは顔を上げ俺を見てきた。


 その表情は予想に反して笑顔だ。


「ああ、ごめんね。話す順序を間違えたせいで変な感じになっちゃったね。……ワルミにはちゃんと話して、許可をもらってるんだ」


「……許可?」


「うん。デートの許可。ナオ君さ、春休みにこの部屋でワルミとキスしたよね?」


「ぐっ!?……まあ、そうだね」


 とぼけようかと思ったが、当然確信があって聞いてきたのだろうし諦めて認めた。


「それでキスしたあと、私のこともエッチな目で見てたでしょ? 唇を、じっと見つめてきて」


 まずい、バレてた。

 いや、違うか、バレているのは分かってたんだ。

 真正面から指摘してくるとは思わなかったのだ。


「ごめんなさい」


 深々と頭を下げる。

 それしかない。


「あ、違うの違うの。別に怒ってるとかじゃないの。ただね、どうしても変なことになっちゃうでしょ、ナオ君の気持ち的にさ」


「……うん、まあ正直混乱した」


「だから、私たち2人を同じくらい好きになればそういう問題は無くなるよねってことで、ワルミもデートを認めてくれたんだ」


「…………」


 優羽さんのことをワルミちゃんと同じくらい好きになればいい?

 1つの身体に2つの人格。

 その2つの人格を、どちらも同じくらい好きに……?


 確かにそれができれば、俺とワルミちゃんが付き合う上で発生する問題の大半は消えると言っていい。

 だから理屈としては、分かる。


 でも……。

 ワルミちゃんが許可したというのは本当なのだろうか。

 ワルミちゃんは独占欲が強い。

 優羽さんとデートするのは浮気で、だから許せないとワルミちゃんなら考える気がする……。

 それに俺だって「ワルミちゃんとお付き合いするために、優羽さんともデートする」というのはイマイチ納得しづらい……。


「それに私たちね、将来的には1つになろうって思ってるの」


「……1つ?」


 優羽さんの話は終わっていなかったようで、不穏なことを言ってきた。

 正直聞きたくなかったが、ワルミちゃんが関係している以上確認をせずに済ませることはできない。


「それは……ワルミちゃんと優羽さんの人格が1つになるってこと?」


「うん、まあそういうことだね。なんというか、いろいろ面倒というか疲れたからそうしようかなって。もともと私としてはそんなに違いは無いんだけど、それでもナオ君は混乱しちゃうだろうから。だから、優羽である私にも好意をもっておいて欲しいんだ」


「……」


 反応できなかった。

 確かに1つの身体の中に人格が2つあるというのは良い状況とは思えない。

 1つにしようというのは本人からすれば当然の判断だ。


 けれど俺にしてみればあまりにも急な話で考えがまとまらない。


 いや……だが……。

 ワルミちゃんと優羽さん、2人で決めたことならそもそも俺は口を挟めないだろう……。


 優羽さんの言い方からするとまだ先の話のようだし、あまり考え過ぎない方がいいかもしれない。

 猶予があるタイミングで教えてくれたことに感謝しながら、ゆっくりと心の準備をしよう。


「……そっか。うん、そっか。とりあえず、俺、今日は帰るね……」


 立ち上がり、扉に向かう。


「えっ!?」


 なぜか分からないが、優羽さんは驚いていた。

 話は終わったようだし、タイミング的に自然だと思うのだが……。


「ね、ねえナオ君! な、なんか落ち込んでる?」


「え?」


 落ち込んでいる……それは、そうかもしれない。

 少なくともテンションが上がる話では無かった。

 とはいえこういうのは本人たちが一番大変だし不安なはずで、俺が落ち込んでいる場合ではない。


 心配をかけたくなかったので、優羽さんに微笑みを向けた。


「別に……そんなことないよ……」


「あ、ちょっと待ってナオ君! ナオ君をそんな暗い顔のままお家に帰せないよ!」


 優羽さんはバッと立ち上がると、俺の行く手を阻むように移動した。

 そして扉の前に立ちふさがる。


「ナ、ナオ君……。私そういうつもりじゃ……ど、どうしよ……」


「…………」


 優羽さんはなにやらもごもごと呟いている。

 俺としては家に帰りたいので扉の前から移動して欲しいだけなのだが、なんとなく主張できず無言で優羽さんを見た。


「……そういえば……キスのあとも……こんな……」


 やはりもごもごと呟く優羽さん。

 彼女は上を向いて難しい顔をしていたが、やがてなにかを決心したかのように頷く。

 そして俺を笑顔で見てきた。


「ねえ、ナオ君。わたしね、ナオ君にご褒美をあげようと思うの」


 優羽さんが浮かべているその柔らかな微笑みも、優しい話し方も、なんとなくユキさんと似ている気がする。

 まあ、親子だし普通に話していてもそうなるのだろうが。


「……ご褒美……?」


 優羽さんが言い出したご褒美という言葉の意味がよく分からず、聞き返した。


「うん。そうだよ。私とデートしてくれるナオ君への、ご褒美」


「……ご褒美かあ……」


 やはりそれがなんなのかは分からなかったが。

 それでも優羽さんの言葉を聞き、彼女の微笑みを見るうちに、だんだんと心が温かくなってきた。

 ご褒美自体がどうこうというより、俺を元気づけようという優羽さんの優しさが嬉しかったのだ。


「あ、待って。ご褒美って言っても勘違いしちゃだめだよ」


「うん、分かってるよ」


 優羽さんは真面目なので、多分おいしいコーヒーをまた淹れてくれるとかだろう。

 俺もブラックを飲めるようになりたいし、結構ありがたい。


 優羽さんはそんな俺をジッと見ていたが、やがて笑顔を浮かべた。

 それはまるでワルミちゃんのような、ニヤッとした笑み。


「ご褒美って言っても――エッチなやつだから」


「……エッチなご褒美!?」


 勘違いするなってそういうこと!?

 普通のご褒美じゃないぞってことなの!?


「え、ちょ、待って、優羽さん! どういうことなの、ちょっと説明してもらえる!? エッチなご褒美? エッチってどのくらいエッチなの?」


「ふふふ、良い食いつきっぷりだね、ナオ君。でもそれは……」


 そう言いながら俺にゆっくりと近付いてくる優羽さん。

 彼女は人差し指を俺の顔に向けて伸ばすと。


 ――ちょんと、俺の唇に触れてきた。

 そして可愛らしく微笑む。


「デートしてからのお楽しみ、だからね」


「う、うんっ! エッチなご褒美、楽しみにしてるっ!」


 こうして優羽さんとデートの約束をした俺は、うきうきしながら家に帰った。

 そして部屋のベッドにゴロンと横になり、思う。


 俺やっぱチョロいな……。

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