第14話 義理の母、ミライさん
「えっと、ごめんなさい。せっかくの楽しい時間を台無しにしてしまいました……」
暗い表情の九条さん。
ヒヤヤッコのメイド服姿に興奮して貧血を起こした彼女は、自宅に強制送還されることになったのだ。
「わ、私こそ、ごめんね。変な格好を見せちゃったから、こんなことに……」
「いいえ、玲香さんのメイド服姿、眼福でした……」
九条さんはヒヤヤッコのゴスロリメイド服姿を思い出したようで、うっとりと夢見るような表情をしている。
「お嬢様、そろそろ行きましょうか」
スーツを着た若い女性が、そんな九条さんに優しく声を掛けた。
彼女は九条家の関係者だそうで、九条さんが貧血になってすぐに慌てた様子で店に入ってきたのだ。
タイミングを考えると近くで監視でもしていたのかもしれない。
「もう大丈夫なんですけどね……」
九条さんは、ぼやきながらその女性に付き添われ店を出て行った。
……なんとなく、お店全体が静まり返ってしまった気がする。
「……えっと、このあとはどうします?」
優羽さんも皆の答えは分かっていたのだろう、少し気まずそうに聞いてきた。
「まー、なんつーか、解散でいいかもなあ、とは思う」
「そうだね、ヒメルちゃん抜きで楽しもうって気分じゃないかな」
「うん、どうせ明日になればまた学校で会えるし、今日は解散でいいんじゃない?」
「じゃあ、そうしましょうか」
残念ではあるが親睦を深めるための食事会という目的は達成できたし、明日から通常授業が始まることを考えるとこの辺りで切り上げるのも悪くはないだろう。
皆でふがふがを出た。
「あ、そうだ。ミライさんって、家にいるかな?」
「いると思うよ。特になにも言ってなかったから」
爽やかな青空の下、優羽さんと一緒に家に帰る。
ちなみに「ミライさん」というのは俺の義理の母親のことだ。
専業主婦なので、基本は家にいる。
「挨拶したいんだよね。なんかタイミングが悪くって」
「あれ? まだ会ってない?」
俺の親は一昨日こちらに到着して、荷物を自宅に運び入れていた。
その場には優羽さんもいたように思ったのだが。
「ちょっと見かけただけだね。忙しそうで声を掛けられなかったから」
なるほど、確かにあのときはバタバタしていたし、のんびり挨拶とはいかなかっただろう。
話しているうちに俺の家に到着したので、優羽さんと一緒に中に入る。
鍵が開く音を聞き付けたのか、玄関に入って靴を脱ぐと同時にリビングからミライさんが顔を出してきた。
「ナオ、おかえり〜」
「ミライさん! お久しぶりです!」
「あ~、優羽ちゃん! 優羽ちゃんだ~! すっごい美人さんになったね~!」
「えへへ、そうですか? ミライさんにそう言ってもらえると嬉しいです」
大人びた優羽さんと少し子どもっぽいミライさん。
2人が話していると、親友のようにみえる。
実際のミライさんの年齢は、たしか30歳。
彼女の見た目から年齢が当てられる人はまずいないだろう。
ちなみに父さんが再婚したのは10年ほど前の出来事なので、父さんが30歳でミライさんが20歳くらい。
俺の実の母が亡くなってから何ヵ月もたっていない頃に、ミライさんが新しい母親としてやってきたのだ。
そんなわずかな期間で20歳の女性と再婚した父さんは、きっと周囲からいろいろと言われただろうと思う。
不倫相手をこれ幸いと本妻にした、と思われても仕方ないだろう。
もっとも俺は父さんのことをそんな風には思っていない。
父さんは不倫とかそういったことができる人ではないのだ。
おそらく幼い俺に母親が必要だと思って急いで再婚したのだろうと、俺はそんな風に理解している。
そんな父親だから、好き嫌いでいえばわりと好きだ。
ただ父さんはかなり変わり者で、思わずツッコみたくなる行動を取ることがある。
そういうところは、ちょっと苦手かもしれない。
一番記憶に残っているのは、やはり子どもの頃に父さんから言われた言葉だろう。
母さんが亡くなってしばらくたったとき、父さんは俺に向かってこう言ったのだ。
「正直言って、お前をどう可愛がっていいか分からん。だからお前には金を払う。これを俺の愛情と思ってくれ」
これは父さんのことを知らない人が聞くと、かなり悪い印象を持つだろうなと思う。
もっとも父さんのことを知っている俺は、この発言はそのままの意味でしかないとすぐに理解できた。
父さんは今でも毎月お小遣いを手渡しでくれるのだが、その度に「これが……俺の愛情だ……!」と真面目な顔で言ってくるのだ。
仕方がないので「今月の愛情、たしかにいただきました」と俺は丁寧に受け取る。
それを見て父さんは重々しく頷き、いつのまにか隣にいたミライさんが笑顔で拍手するという謎のイベントとなっている。
なんというか、確かにこのイベントからは父さんの愛情を感じはするのだが……。
同時にバカバカしいとも正直思ってしまう。
父さんは大真面目にやっているだけにツッコミを入れるわけにもいかず、笑うこともできない。
そんな状況で神妙な顔を作るのだって結構大変なのだ。
「俺ちょっと着替えてくる」
話が盛り上がっている優羽さんとミライさんに声を掛けて2階に上がった。
自室で、部屋着に着替える。
とはいえ、優羽さんがいるのでそこまでラフな格好にもなれない。
そもそも私服だったし、上着だけ着替えることにした。
着替え終わると同時に聞こえた、扉をノックする音。
「ナオ君、着替え終わった? 中に入っても平気?」
優羽さんが遊びに来たようだ。
返事をしようかと思ったが、面倒だったので直接ドアを開けに行く。
「わ! ビックリしたあ」
「ああごめん。もう着替えたから入っていいよ」
「おお~、ナオ君の部屋だ〜」
優羽さんはそう言いながら部屋に入ると、その場でクルクルと回転していた。
彼女が最後にこの部屋に入ってからは、壁紙を張り替えたくらいの変化しかないはずだが、ずいぶん嬉しそうに見えた。
「あ、ところで……私の忘れ物無かったよね?」
「うん、軽く見たけど、特には無かったよ」
最近知ったのだが、優羽さんたちは自宅を建て替える間、俺たちの家に住んでいたそうだ。
そして優羽さんは俺の部屋で生活していたとか。
どうも父さんがごり押ししたらしく、俺の許可は取ったと嘘までついたらしい。
もっとも聞かれたらOKを出しただろうから、どうでもいいことではある。
「えーと、一応言っておくけどね。シーツとかはちゃんと洗ったし、枕も自分のを持ってきたからね」
優羽さんは照れくさそうにしていた。
こちらも意識しないといえば嘘になるが、1年ほど前の話らしいのでさすがに照れるには期間が空きすぎている。
とはいえ……。
優羽さんを見ていると、緊張してくるのも確かだ。
彼女とキスをしたという錯覚、それ自体が消えたわけではない。
2人きりになるとどうしても意識はしてしまう。
……なんにせよ2人で部屋に突っ立っていてもしょうがない。
優羽さんに渡そうと足元のクッションを手に取った。
そんな時。
「お茶持ってきたよ~、入るね~」
ミライさんの声が聞こえてきたかと思うと、こちらが返事をする前に部屋に入ってきた。
小さな丸テーブルにコップを置くと、俺にウインクをして部屋を出て行く。
なんとなく、気まずい。
「えっと、これ使って」
「うん、ありがと」
とりあえず優羽さんにクッションを渡す。
彼女はその感触を確かるように撫でまわしたあと床に置き、その上に座っていた。
俺はミライさんが持ってきてくれたお茶を手に、自分のベッドへ。
……テーブル越しだと優羽さんとの距離が近すぎて意識しそうで、少し離れることにしたのだ。
「ナオ君、まだミライさんと変な感じなんだって? さすがに中学の間でうまくやれてると思ったのに」
ミライさんが出ていった扉を見ている優羽さん。
キスの話にならなくて助かったが、この話はこの話で気持ちがどんよりとしてくる。
「うーん、なんかうまくコミュニケーションが取れないんだよね」
「変に意識し過ぎなんじゃない? もっと適当で良いと思うよ」
優羽さんの言うことはもっともだろう。
ただお互いに意識しているので面倒なのだ。
どうもミライさんとしては、俺に「お母さん」とか呼ばれたいらしく遠回しにお願いされる。
けれどこちらは、その手の呼び方をする気がカケラも無かった。
母親のことはよく覚えていないとはいえさすがに抵抗感があったし、そもそもミライさんは母親という感じではない。
そのせいでこちらも嫌っていないのに、会話が億劫になることがある。
こういうのも父さんが間に入ってくれれば特に問題はなかったのかもしれないが、父さんは家庭のことはほとんど放置していた。
父さんが仕事を頑張ってくれているおかげで不自由の無い生活ができているのは分かっている。
だから文句を言う気はないが、それでも家庭にもう少し興味を持ってくれれば……というのが正直な気持ちだ。
……それからほどなくして、優羽さんは上機嫌で隣の家に帰っていった。
なにか俺に話があるのかと思ったが、本当にミライさんに挨拶に来ただけだったようだ。
玄関まで優羽さんを見送ったあと部屋に戻ろうかと思ったが、考え直してリビングに入る。
そこには予想通りミライさんがいた。
ソファに座り、テレビを見ている。
――優羽さんの言う通り、気楽な会話に挑戦してみよう。
「優羽さんは帰ったよ」
俺もソファに座ってミライさんに話し掛けた。
「そうみたいだね。しっかし優羽ちゃん、ホントに美人さんになったよね~。ナオはああいう大人っぽい感じ、好きでしょ?」
「んー、そうかもね」
せっかくミライさんから話題を振ってくれたのに、あまり気楽な答えはできなかった。
ミライさんからすると雑談の範囲なのだろうが、俺にしてみるとちょっと答えづらい内容で、どうしても曖昧な返事になってしまう。
「あっ」
他の話題を必死に探していると、急にミライさんが立ち上がり、リビングを出て行った。
ワケが分からず、そのまま待つ。
戻ってきたミライさんはニコニコとした笑顔で、手に白いハガキを持っていた。
「ほら、名古屋のお友達の子がいたでしょ。ツインテールの可愛い子。あの子からハガキが届いてたよ」
「え? わざわざハガキ?」
意外に思いながらもミライさんから受け取り、ざっと目を通したが……。
……特に内容が無かった。
「こちらは元気ですがそちらはどうですか」とかそんな程度で、わざわざハガキで送る必要性が分からない。
「毎日メッセージでやり取りしてるのに、急にどうしたんだろ」
「ふふふ、寂しかったのかもね。気持ちは分かるな。ナオにすごく懐いてたもん」
別に懐いていたわけでもないだろうが、ミライさんにはそう見えていたのか。
たしかに彼女とは話が合うというか、会話のテンポが合うというかそんな感じはあったが……。
なんにせよ彼女が送ってきたハガキは予想外の効果を発揮した。
彼女の思い出話で、ミライさんと盛り上がることができたのだ。
本人は狙ってなかっただろうが、彼女に感謝だ。
あとで、メッセージを送ることにしよう。
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