第11話 同衾?
「……お茶、飲む?」
「は、はい。お茶、飲みます」
「う、うん」
羽崎さんが家に泊まりにきた。
と言っても、明るくなるまでの時間つぶしという名目で、決してそういうことをするためではない。
はずなのだが。
さっきから落ち着かない俺以上にもじもじそわそわして落ち着きのない羽崎さんを見ていると、何か期待をさせられてしまう。
今夜、彼女に襲われるのではないか。
サキュバスとは本来、夜に男を襲って精液と共に精気を吸い取ってしまうという伝説上の悪魔。
そのサキュバスが男の家にお泊りして何もしないなんてことが果たしてあるのか。
羽崎さんとは、お互いが好き同士になるまでそういうことはしないと言っているけど、人間だって魔がさしたりムラムラした一時の感情で間違いを犯すことだってあるんだ。
彼女だって……ないとは言い切れない。
「お茶、どうぞ」
「は、はい。あの……宗次君はお風呂入りました?」
「あ、そういやまだだったな」
「は、入ってきていいですよ? 私、テレビ見ながら待ってるので」
「待ってる?」
「あ、いえ違いますよ! 待ってるというのは出てこられるのをって意味であって決して起きてその先を期待しながら待ってるわけではないので!」
「そ、そうだよね。うん、それじゃシャワー浴びてくるよ」
「……あの」
「な、何かまだ?」
「わ、私もシャワー、借りていい、ですか?」
「え?」
「だ、だって一日体洗ってないなんて不潔じゃないですか! く、くさいのとか嫌だもん……」
「じゃ、じゃあ先に浴びる?」
「は、はい。それではお言葉に甘えます」
お茶を一口飲んだ後、羽崎さんはすぐに部屋を出る。
で、勝手に風呂場へ向かったようだ。
俺は、廊下へ続く部屋の扉をゆっくりと閉める。
が、狭くて古い部屋だ。
風呂場のシャワーの音がかすかに部屋まで届く。
「……無防備すぎるだろ、さすがに」
いくら童貞で陰キャな俺でも年頃の男だ。
同い年のかわいい子が鍵もない俺の部屋の風呂場でシャワーを浴びてるとわかっていて、何も考えないわけがない。
今、風呂場に突撃すれば羽崎さんは……いや、考えるな。
あの子は俺を信用してくれてるからこそ、今ここにいてくれてるんだ。
もし俺が彼女を襲うようなことをすれば、それこそ純情なあの子は俺のことをけだもの扱いして、嫌いになるだろう。
……嫌われたくないよな。
せっかく、あんなかわいい子が俺なんかと仲良くしてくれてるってのに。
こんな奇跡を自らの浅ましい行動でふいにしたくない。
我慢だ我慢……。
「宗次くーん」
煩悩を制御しようと意識を集中させているところで風呂場から俺を呼ぶ声がした。
「な、なに?」
「あの、ジャージとか貸してもらえませんか?」
「ジャージ? ええと、俺の?」
「はい。私、よく考えたら着替えがなくて」
「い、いいけど、どうしよう? そっち、持って行っても大丈夫?」
「は、はい。まだお風呂に入っておきますので廊下にでも置いていただければ」
「わ、わかった」
急いでタンスから普段来ていないジャージを探す。
上下灰色の、いかにも引きこもり学生が家で着ていそうなスウェットが一着出てきた。
まあ、これでいいかとそれを持ってゆっくり扉を開ける。
うっかり、裸の羽崎さんと遭遇なんてなったら今日こそ俺の理性が心配だ。
ただ、ちゃんと彼女は風呂場にいるようだ。
ほっとするようでちょっぴり残念な気分にもなりながら俺は廊下に畳んだ服を置いて再び部屋に戻る。
そしてしばらく部屋でテレビを見ていると、ガチャッと風呂場の扉が開く音が聞こえた。
その瞬間、また心臓がバクンと脈打った。
羽崎さんがお風呂から出てきたのがわかったから。
「……ほんと、いっそのこと羽崎さんがエッチな悪魔だったらよかったのに」
それなら俺も何も悩む必要はなく、ありがたく据え膳をパクリだったのに。
あんなにまっすぐ向き合われたら俺だって変なことをして嫌われたくはないって、思っちゃうじゃんか。
ほんと、サキュバスなんだよなあの子って。
何度かその姿を見ても未だに信じられない。
「あの、上がりました」
「う、うん……あ」
「へ、変ですか? ちょ、ちょっと大きいですけど」
「……」
俺が中学の頃から着ていた何の変哲もない柄もないスウェットの袖と丈を余らせながら着る羽崎さんの姿に、俺は見蕩れてしまった。
髪が少し湿っていて色っぽいからとか、ではなく。
俺の服にこんなかわいい子が袖を通しているという現実に、俺はひどく興奮していた。
「な、なにか?」
「い、いや……ごめん、そんなのしかなかったけど」
「いえ、なんかモフモフしてて気持ちいいですこれ。それに……」
「そ、それに?」
「い、いえ。これ、ちゃんと洗濯して返しますね」
「べ、別に気にしなくても」
「だ、ダメですよ。あの、お風呂空きましたので」
「う、うん。俺も入ってくる」
部屋に戻ってきた羽崎さんと入れ替わるように俺が風呂場へ。
脱衣所で服を脱いで中に入ると、当たり前だが風呂場の床が濡れていた。
湯気が、立ち込めていた。
さっきまで羽崎さんがここで……。
「いかん、考えるな。早く洗って、さっさと寝よ……」
想像するだけでムラムラがおさまらなくなる。
それに今日はいつにも増してなんか下半身が元気な気がする。
やっぱりエロ本やエッチなビデオと違って、実際に女の子が目の前にいるってだけでその興奮は比べ物にならないのだろう。
とんだ生殺しだけど。
彼女が俺のことを好きになってくれたらいずれは本当にそういうことを……って考えるとまた興奮してくる。
煩悩を洗い流すようにシャワーをしばらく頭に浴びて。
ようやく気持ちが落ち着いたところで一呼吸おいてから風呂を出る。
「……ごめん、出たよ」
「あ、早かったですね」
部屋で待っていた羽崎さんは俺のベッドに腰かけてテレビを見ていた。
当然だけど、俺のスウェットを着たまま。
チラッと、時計に目をやる。
時刻はちょうど十二時を超えたところだ。
「ええと、さすがに朝まで起きてるわけにもいかないし……寝る?」
「そ、そうですね。明日も学校、ですもんね」
「あの、嫌じゃなかったらベッド使っていいよ。俺、床に布団敷くから」
「だ、ダメですよそんなの。私が廊下で寝ますから」
「いやいやそれは悪いよ。あの、ええと、俺、変なことしないからさ」
「……それじゃ、お言葉に甘えます」
さすがに女の子を床に寝かせるわけにもいかない。
俺は押し入れから予備の布団を引っ張り出して床に敷く。
で、羽崎さんはゆっくり、遠慮気味にベッドの布団へ入っていく。
「じゃあ、消灯するね」
「はい、おやすみなさい」
もう真夜中だ。
せっかく部屋に泊まりに来てくれて大した会話もないまま就寝というのはいささか味気ないが。
これ以上起きていて、ムラムラさせられるのも勘弁だし。
寝たら何も考えなくて済む。
それに、起きたら彼女も帰ってるだろう。
部屋の灯りを消すと、真っ暗になる。
俺は、静かに布団に入って目を閉じる。
「……」
「……すう」
真っ暗闇の中で、彼女の息をする音が時々聞こえてくる。
寝たのか、それともまだ起きているのか。
気になって全く寝付けない。
妙に目が冴えている。
……まさか、さっきの薬の影響、なのか?
いやいや、さっき少し寝たせいだろう。
でも、このままだと全く眠れる気がしない。
少し経って、俺は布団にもぐってスマホを触る。
消灯してからもう一時間も経っていた。
このまま、朝までこの調子なのだろうか。
早く、朝が来てくれないかな。
なんて思っていた時、ごそごそとベッドの方で羽崎さんが動く気配がした。
「あ、あの」
「は、はい?」
どうやら彼女も起きていたようだ。
俺は布団にもぐったまま返事をする。
「眠れませんか?」
「あ、ごめん。さっき寝たせいかな」
「すみません、何から何までご迷惑をかけてしまって」
「い、いやいいよ別に。それより、早く寝ないと明日しんどいよ」
「私もちょっと、眠れなくて」
「そ、そっか。他人のベッドなんて落ち着かないよね。あの、今からでも家に」
「いえ、それはさすがに……あの、ちょっといいですか?」
「う、うん。なに?」
「……」
少しだけ、羽崎さんは沈黙する。
そして、すうっと息を吸った音が聞こえた後。
震える彼女の声が届く。
「こっち、来ませんか?」
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