第10話 お泊まりします

「……ん?」

「宗次君? よかった、目が覚めて」

「こ、ここは……」


 まだ、頭がぼんやりする。

 徐々に開けていく視界から、いつものように羽崎さんの可愛い顔が覗く。


 で、また膝枕か。

 好きだな、このシチュエーション。


「……俺、なんで」

「あの、さっきの紅茶になんか色々入ってたみたいで……すみません、母が気を利かせたみたいでして」

「気を利かせた?」

「は、はい。私がてっきり男を連れてきたと勘違いして、下半身だけ元気になる睡眠薬というものを混ぜていたそうです」

「す、睡眠薬?」

「ごめんなさい! あの、私がいつまでも男と関係を結ばないせいで心配したそうなんです。あの、謝って済むことじゃないですよね」


 ぽろっと。

 俺の頬に冷たい水が滴る。

 羽崎さんが泣いてる。

 涙が、こぼれてきた。


「……いいよ別に。羽崎さんが悪いわけじゃないから」


 ゆっくり体を起こして、彼女を慰めるように肩を持つ。

 

「……私のこと、嫌いになってないですか?」

「な、なってないよ。睡眠薬入れたのは羽崎さんじゃないんでしょ?」

「でも、母が」

「お母さんもきっと、悪気があったわけじゃないって。羽崎さんを心配してのことなんだったら、別に仕方ないし」

「宗次君……うん、優しいんですね宗次君は」

「そんなことないよ。ほら、涙拭いて」

「は、はい。あの、お茶入れなおしてきます。今度は私が入れてくるので」

「はは、それじゃもらおうかな。ちょっと頭が痛いから」

「す、すぐ入れてきますね」


 急いで部屋を出ていく羽崎さんを見送りながら、ぼんやりする頭を働かせる。

 

 ……睡眠薬、ねえ。

 こういう風にして、サキュバスは男を襲っているのだろうか。

 そう考えるとちょっと怖いけど、羽崎さんは何も知らない様子だったし。

 あんまり警戒したり責めたりするのはかわいそうだけど。


 ……この家にはあまり来ないほうがいいかもな。



「ちょっとお母さん! なんてことしてるのよ!」

「あら、今日てっきり覚悟決めてあの子と交わるのかと思ったから援護してあげたのに」

「そ、そういうのはまだなの! 私と宗次君は健全なお付き合いを目指してるんです!」


 母は純潔のサキュバスである。

 祖父がインキュバス、祖母がサキュバスという家系から生まれたので、母はサキュバスとしての習性を当然ながら色濃く持ち合わせている。


 十六歳になったら男と交わってその力をもらう。

 それを忠実に守ることがサキュバスとしての使命だと。

 

 幼いころから私に対して「不特定多数とか、好きでもない男に抱かれるとか、そんな淫らなことをする子はうちの子じゃありませんからね!」と散々言ってきていたくせに。

 そこだけはぶれない。

 だから私が十六の誕生日を迎える前辺りから「相手はまだ?」「早く彼氏連れてきなさい」「お見合いさせるわよ」と、急に催促が始まった。


 男女関係はちゃんとしろって言ってたのは自分のくせに。


「ほら、あの子の精子もらってないからそんなにカリカリするのよ」

「か、関係ないもん! 私はちゃんと宗次君とお付き合いしてから段階を踏んでそういうことするの」

「段階って?」

「ほ、ほら例えばデートして、一緒に遊園地行って一緒にクレープ食べて水族館とかも行って、何回もランチデートとかを重ねて、そこから手繋いで……」

「いや、いつまでかかるのよそれ」

「い、いいの別に! とにかく宗次君に変なことしたら怒るから」

「ふーん。でも、好きなのねあの子のこと」

「え?」

「だって、この前まで見合いの話しても一切興味なさそうだったのに。そんなに彼のって美味しそうなんだ」

「……まだよくわかんないけど、汗と唾は美味しかった」

「ふーん、なんだちゃんと進んでるのね。そういうこともっと早く言いなさいよね」

「お、親にそういうこと話すの恥ずかしいもん」

「ま、わからなくもないけど。じゃあ、私は寝るからゆっくりね」

「……うん」


 お母さんは二階の部屋にあがっていった。

 それを見て、改めてやかんの湯を沸かし始める。

 

 ほんと、お母さんは生粋の悪魔だ。

 お父さんと出会ってなかったらきっと今頃、世界中の男と好き放題してたに違いない。


 ……でも、あんな人でもお父さんのことが大好きだから誰とも浮気しないどころかサキュバスの姿にはもう二十年近くなってないって言うし。

 お父さんとの日々が幸せだから、娘にもちゃんとしろって言うくらいの母親になたわけだし。


 誰かを好きになるのって、すごいことなんだなあ。

 悪魔の習性すら凌駕する力、か。

 私も……そこまで宗次君のこと、好きになれるのかな……。



「お待たせ」


 しばらくして、部屋に羽崎さんが戻ってきた。


「羽崎さん、こんな遅くまでお邪魔して大丈夫なの?」

「うん、お母さんにはさっき怒っておいたから。今日はもう寝るみたいだしゆっくりしていって」

「別によかったのに」

「ううん、お母さんは男女のことになると途端にサキュバスの習性が目覚めるというか、ちょっと非常識なところあるからちゃんと言っておかないとダメなの」

「でも、羽崎さんはその辺普通というか、むしろ固いよね」

「こ、これは父の性格もあるのかなと……父は真面目な人なので」

「そ、そっか」

「あの、ほんとに母も普段はちゃんとした人なので許してあげてくださいね」

「もう気にしてないよ。まあ、睡眠薬はもう御免だけど」

「そうですね、今度からは私がお茶入れるようにします」

「そうだね、その方がありがたいかも」

「おかわり、いります?」


 そう聞かれてチラッと時計を見ると夜の十時を過ぎていた。

 もうすこしゆっくりしていきたいが頃合いだろう。


「ううん、そろそろ帰るよ。あんまり夜中にぶらぶらしてて見つかったら補導されるし」

「そう、ですね。では、そこまでお見送りしますね」


 ようやく、羽崎家を出ることに。

 まだ少し頭がぼんやりする中、外に出ると冷たい夜風で目が冴える。


「ん、涼しいなあ」

「あの、おひとりで大丈夫ですか?」

「俺? まあ、男だし別に」

「だ、ダメですよこの辺りはやんちゃそうな人もうろうろしてますし。あの、お送りします」

「いや、それだとまた羽崎さんが」

「ダメですか?」

「……ダメじゃないんだけど」

「じゃあお送りします。さっ、行きましょ」

「……」


 なぜか、また二人で夜道を帰ることになった。

 ただ、言わずもがな彼女が俺を家まで送ってくれたあと、どうやって家に帰るんだって話だ。


 何か考えがあるのか?

 サキュバスだから空飛べるとか、瞬間移動できるとか……なさそうだよなあ。

 このままついてきて、俺の家まで来て帰れなくなりましたってそんな展開、ないよなあ。


 ……絶対そうなるよなあ。

 引き返すなら今のうちだよな。


「あの、もうこの辺で大丈夫だから」

「いえ、まだ油断はなりません。ご迷惑をかけたのですからちゃんと家までお送りします」

「いや、だからそれだと君が」

「嫌、ですか?」

「……嫌じゃないけど」

「じゃあ行きましょ」

「……」


 断ろうとすると途端に悲しそうな顔をされる。

 で、俺は言葉を失う。

 ああいう顔されると、断りづらいんだよなあ。

 意志が弱いなあ、俺。


 隣を何も考えのない様子で歩く羽崎さんを見ながら頭を抱える。

 で、とぼとぼ歩いていると俺の住むアパートが見えてきた。


「ん、帰りは案外近かったな」

「なんか一度通った道だと近く感じますよね。それでは私はここで」

「いやいやそれこそ羽崎さんが夜道を一人帰ることになるから」

「あ、そうでした。ええと、それじゃ……送ってもらえます?」

「いや、それすると朝までお互い家に入れないじゃん……」


 だから言ったのに。

 いや、言おうとしたのに。


「そ、そうですね……うーん、それじゃ……あ、いえ、ええと」

「まあ、俺がもう一度羽崎さんを家まで送るから。そのあと俺は一人で帰るし」

「だ、ダメですそんなの。母が迷惑かけてるので」

「でもそれだと」

「……泊めてもらえます?」

「……え?」

「ち、違いますよ! あ、朝になったら明るくなるので一人で帰れるので、それまでの間ちょっとだけお邪魔してもいいかなと……お、お泊りデートとかじゃないですから!」


 と、言いながら顔を真っ赤にして「朝帰り……キャーっ!」と騒ぐ羽崎さん。

 もう、時刻は夜の十一時が迫っている。

 さすがにこの時間からまた二人で夜道をぶらぶらというのはまずいだろうし。


「……ま、待つだけなら別に、いいよ」


 そう、答えるしかなかった。


 で、なぜか彼女は黙ってうなずいてから、無言のまま俺についてくる。


 どうしてそんなに顔を真っ赤にして体を震わせながらついてくるの?

 な、何もしないんだよね? 


 ……な、何かあるのか?

 まさか最初からこれが狙いで……ど、どうしよう、俺まで緊張してきた。


 女の子が家に泊まるなんて。

 

 やばい、いざとなると心臓がはじけ飛びそうだ……。

 

 

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