第9話 お母さん
「さてと、片付けも終わりましたし何します?」
散々照れた後、しかし唾液の力で元気いっぱいになった羽崎さんはさっさと洗い物を済ませて(ちなみに洗い物をしてる間も絶対覗くなと言われた。多分裸だったのだろう)から部屋に戻ってきた。
「でも、もう遅いから今日は帰った方がいいんじゃないかな?」
時刻は夜八時を過ぎていた。
健全な高校生同士ならそろそろお開きな時間だし、俺は一人暮らしだが彼女は実家だから普通なら親も心配するだろう。
最も、サキュバスだからどうかは知らないけど。
「もうこんな時間ですか……まだ、話し足りないです、私」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、一応俺たち高校生だし」
「そう、ですよね。あまり遅いとお母さんに怒られますし」
「ちなみになんだけど、お母さんもサキュバス?」
「はい。父とは私と同じ十六の時に恋仲になったと。なんでも、幼馴染だったそうで」
「へえ、いいなあそういうの」
「いいですよね、そういうのって。私も、ラブラブな両親を見て育ったのでそういうのに憧れてて。なので早く宗次さんと……いえ、あの、すみませんなんでもないです」
「羽崎さん?」
「……あの、今日って、私の好感度上がりました?」
「も、もちろんだよ。ていうか俺の方こそ何もしてないけど」
「い、いいんです。私の手料理を美味しいと言って食べてくれただけで嬉しいですし……スプーンも……と、とにかく今日は帰りますね!」
なんかあたふたしながらさっさと部屋を出ようとする羽崎さんを、俺は追いかける。
「待って、さすがに夜道で一人は危ないよ。よかったら送るけど」
「……いいんですか?」
「うん。羽崎さんに何かあっても嫌だし」
「宗次君……はい、それじゃお願いします」
というわけで一緒に部屋を出る。
外はすっかり夜。
街灯と家の明かり以外は何もなく、アパートを少し離れたら家も少なくなってこの辺は真っ暗だ。
「この辺って静かだけど暗いよね。家は近く?」
「駅裏の方にある一軒家なんです。なので歩いて行ける距離ではありますけど」
「でも、駅の方って柄悪い連中がいたりするからね。気を付けないと」
「はい。でも、嬉しいです。宗次君が送ってくれて」
「いや、当然だよ。あの、またよかったら、料理作って、くれるかな?」
「はい、もちろんです! 明日からも毎日作りますね」
「そ、そっか。うん、ありがと」
毎日、か。
ということはこれから毎日彼女が家に来るってこと、だよな。
……いいのかな、ほんとに。
たまたまぶつかっただけで、触ったかどうかも覚えてない程度に胸を触られたってだけで、ここまでさせて。
俺からすればラッキーこの上なしだけど、なんか騙してるような気分になるんだよなあ。
「あの、羽崎さんは友達とかいないの?」
「私ですか? うーん、中学の時は話す人はいましたけど遊んだりする人はいませんでしたね」
「そ、そっか。羽崎さんならモテるだろうから男子からも誘いとか多そうなのに意外だね」
「誘ってくれる人とかはいましたけど……私、サキュバスだってことをあまり知られたくなかったので極力仲良くならないようにしてましたから」
「そ、そっか。でも、俺にはどうしてあっさり正体を明かしたの? やっぱり、その、欲求が我慢できなかったから?」
「……宗次君だからです」
「え?」
「い、いえ。わ、私のことを触ったんですから責任を取ってもらう意味でも私のことは知ってもらっておくべきだと思ったからですよ。し、信用できそうとか、この人優しそうだからいいなあとか、そんなこと一ミリも思ってませんからね!」
「う、うん。わかってるよ」
「(全然わかってないです、ばか……)」
「え、なにか?」
「な、なんでも。それよりもうすぐ家、着きますよ」
駅の裏は学習塾が一軒と居酒屋がぽつぽつあるだけ。
さびれた街並みを象徴するような暗い駅だが、道一本はさんだところにある住宅街はどれも大きな一軒家ばかり。
まあ、この辺は一応町の中心だしお金持ちが多いんだろうなあと大きな家を見上げていたら羽崎さんの足が止まる。
「ここです」
「へえ、おっきいなあ」
その中でもひときわ大きな家が彼女の家だそうだ。
『羽崎』と書かれた大きな表札が下げられた玄関は、和風な作り。
サキュバスの家となれば、大きな洋館を想像したが、まあ実際はそうでもなかった。
「あの、ありがとうございました」
「いや、無事ついてよかったよ。じゃあ俺はこれで」
「え、あの、お茶くらい、どうですか?」
「で、でも両親もいるんだよね? それにこんな時間にお邪魔するのも」
「いえ、こんな遠くまで見送りさせておいて玄関にも上げずにサヨナラなんて失礼なことを知人にしたとなれば、それこそ母に怒られます。私の為と思って、お茶くらい飲んでいってください」
「……まあ、そういうことなら」
そこまで言われたら断る理由もなかった。
一人暮らしだから門限もないし、今帰っても夜中に帰ってもどっちにせよ真っ暗だし。
ただ、やっぱり気まずさは残る。
付き合ってるわけでもない女子の家に、こんな夜にお邪魔して、さらに彼女の両親も家にいるなんて。
関係を聞かれたらどうこたえるのが正解なんだろ。
友達です、と言って納得してもらえるんだろうか。
「ただいまー」
「お、お邪魔します」
大きな玄関には靴が二つ。
女性ものと男性の革靴。
多分羽崎さんの両親のものだろう。
……できれば会わないまま、帰りたいな。
「二人とも部屋ですかね? まあ、気にせず宗次君はそこのリビングで待っててください。お茶、入れてきますから」
「う、うん」
入ってすぐ左手の部屋がどうやら客間のようだ。
向かい合わせに置かれたソファとその間に置かれたガラスのテーブルはどれも高価そうなもの。
この部屋を見るだけで結構金持ちなんだと思わされる。
そんな部屋に一人放置されると、落ち着かない。
慌てて出てきたからスマホも置いてきたし……ああ、早く戻ってきてくれよ羽崎さん。
「あら、君は?」
「あ、羽崎さん……じゃない?」
部屋に入ってきた人の声に思わず反応して顔を上げると、羽崎さんによく似た――しかしとても大人びた女性が立っていた。
「私も羽崎よ? でも、すみれの母です」
「は……すみれさんのお母さん?」
「ええ、娘からは話を聞いてるわ。三笠君、ですっけ」
「は、はい」
「ふふ、すみれもこんな時間に男の人を連れてくるなんて、随分気に入られたのね」
「い、いえ、それはまあ、なんというか」
「とにかく、ゆっくりしていってね。もうすぐすみれ、戻ってくるから」
「は、はい」
大人の魅力、というのだろうか。
あふれ出る色気が離れていてもムンムンと伝わってくる。
顔は羽崎さんそっくりだし人間にしか見えないけど、なんというかあんな人に迫られたらどんな男でもいちころだろうなと思わされる色香たっぷりの母親だった。
……やっぱりサキュバスだから、なんだろうか。
ていうか同級生の母親をここまで女性として見れるってすげえな。
若いというか、普通に学生で通用するぞあの人。
「お待たせしました宗次君……あれ、お母さんは?」
「あ、さっき挨拶はしたけどどっか行っちゃった」
「そうなんだ、てっきりお話してると思ったのに。でも、お母さん綺麗でしょ」
「うん、若いよね」
「今でもスーパーで声かけられたりするんだって。あ、でもお母さんに惚れたらダメですからね」
「そ、それはないよさすがに」
「宗次さんは私の……あ、いえすみません茶どうぞ」
「う、うん」
「これ、お母さんがさっき用意してくれたものなんです。美味しいらしいのでぜひ」
「へえ」
いい香りがする紅茶だ。
正直紅茶の種類とか知らないけど、カップも高級そうだし中身もきっといい茶葉なんだろうな。
「いただきます……ん、んまい」
「ほんとですか? じゃあ私も……んー、これ美味しいですね」
「うん、すっごくおいしい。なんか高級な喫茶店に来た気分だよ」
「あはは、大袈裟ですよ。でも、まだあるのでおかわり持ってきますね」
「うん、お願いするよ」
なんか一口飲んだだけで夜の眠気が一気に覚めるような味だ。
それに、なんか力がみなぎって……ん?
「あ、あれ……?」
体中に元気がみなぎる感覚なのに、なぜか力が入らない。
で、全く眠たくないはずなのになぜか意識が遠くなっていく。
不思議な感覚。
まるで水の中に浮かんで漂っているのに、全く苦しいわけでもないような変な感覚におぼれながら。
俺の視界は真っ暗になっていった。
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