第8話 汗よりも

「……う、ん?

「よ、よかった気が付いた! 宗次君、大丈夫ですか?」

「こ、ここは……あ」

「ダメです、安静にしててください」

「……」


 初めて彼女が部屋に来た時と同じ光景。

 目を開けると眼前にはかわいらしい顔があって、後頭部は彼女の太ももの柔らかい感触に包まれてて。


 あごが、痛い。


「あの、み、見ました、よね?」

「ええと……なにを、かな?」

「と、とぼけないでください! 私のお尻、見ましたよね?」

「ど、どうだったっけ? お、覚えてないなあ」


 嘘である。

 しっかり、脳裏に焼き付いている。

 可愛くも弾力がありそうな、綺麗なおしり。 

 そしてその上の方についた尻尾がぴょこぴょこしてた。

 背中からは小さな黒い羽根。

 いかん、思い出したら反応しそうだ……。


「もう、出てこないでって言ったのに」

「だ、だってのぼせそうで」

「か、カレーの味付けにちょっと手間取ってたんです。私、サキュバスの恰好にならないとどうも料理がうまくできなくて」

「で、でもなんで裸だったの?」

「あ、やっぱり見てるじゃないですか嘘つき!」

「ご、ごめん」


 怒られて飛び起きる。

 すると、今までで一番顔を赤くしながら、制服姿に戻っていた羽崎さんがぼそぼそと喋る。


「……サキュバスって、ほら、そういうこと、する生き物、だから……ええと、服とか、ないんです」

「え、なんか漫画とかだとちょっと露出おおいコスチューム着てるイメージだけど」

「じ、実際は、ええと、そのあとすぐ脱ぐんですから……い、いらないというか……言わせないでください!」

「ご、ごめん」


 羽崎さんは恥ずかしさで死にそうになっていた。

 まあ、変身したら素っ裸なんて、恥ずかしいよな普通は。


「……変態じゃないですから」

「え?」

「わ、私別に変態じゃないですから! 露出癖とかないもん!」

「別にそんなこと言ってないじゃんか」

「じゃあ、裸エプロンでカレー作ってるような女に、ドン引きしてませんか?」

「し、してないよ。むしろ男の夢……いや、見てごめんなさい」

「……私こそ、黙っててごめんなさい」


 しゅんと落ち込む彼女は、そのまま「はあ」とため息。

 ほんと純粋なんだなこの子って。


「あのさ、サキュバスに変身せずに料理したらどうなるの?」

「ええと、何度か家で試してみたんですけど、鍋が割れました」

「へ?」

「あと、包丁が折れたり……私、人間の姿だとほんと何やってもダメで……勉強も、サキュバスに変身できたらもっとできるんですけど、さすがに試験会場で素っ裸になるわけにもいかなくて、それで……」


 どうやら、今の人間の姿のままだと色々と制限がかかるようだ。

 だからといって素の力を解放すると、見せちゃいけないものまで開放しちゃうから出来ないと。

 なるほど。

 いや、なるほどか?


「でも、それだと色々不便だよね? 人間の姿のままで色々できるようになった方がいいんじゃない?」

「私もそう思うんですけど……でも、なんかどれもこれもうまくいかなくて」

「うーん」


 どうしたものかと。

 悩んでいると、「ぐう」っとお腹の虫が鳴く。


「あ、おなか空きましたよね? とりあえず今日のカレーはできてるので」


 慌てるように台所へ向かって行った羽崎さんはすぐにカレーを持って戻ってくる。

 ふわーっと、部屋がカレーのいい匂いで包まれる。


「いい匂いだなあ」

「ほんとですか? 私、カレーは結構得意なんですよ」

「じゃあ早速いただきます。ん、うまい!」


 使っていたのは市販のルーだけど、なんかコクがあって辛さもちょうどいい。

 

「えへへ、よかったです。サキュバスモードだったら、なんでも作れますよ」

「で、でもそのたびに裸でキッチンに立たせるのもなあ……」

「そ、宗次君がのぞき見しなかったら問題ありませんもん」

「まあ、そうだけど。でもほんとにうまいやこのカレー」


 あっという間に完食してしまった。

 それくらいこのカレーは美味で、好みだった。


「御馳走様」

「いえ、お粗末様でした。カレー、まだ鍋にもう少しあるので冷めたら冷蔵庫入れておきますね」

「うん。なんか羽崎さんって本当に家庭的だよね。サキュバスっていうのがほんと信じられないよ」

「えへへ、嬉しいです。あの、ほめていただいたところであれなんですけど……」

「ん? ああ、もしかして、舐めたいの?」

「は、はい」

 

 羽崎さんはバツが悪そうにコクリとうなずく。

 でも、なんかそれくらいならと思えるようになってきた俺はそっと手を差し出す。


 すると、


「……あの、今日は、ええと」

「あれ、手はダメ? まあ、汗あんまりかいてないけど」

「そ、そうじゃなくて、ですね……ごくっ……す、すぷーん」

「すぷーん?」

「な、舐めても、いい、ですか?」


 俺がさっきまで使っていた、カレーのついたスプーンを指さして顔を真っ赤にする羽崎さん。

 ……え、これ舐めたいの?


「で、でも汚いよ?」

「よ、汚れてる方が私にとっては……って何言わせるんですかえっち!」

「ご、ごめん」

「……あの、舐めてもいい、ですか?」

「……まあ、いいけど」

「いいんですか!?」

「い、いや断った方がよかった?」

「だ、ダメです! 断られたら私、洗い物するフリをしてこっそり舐めちゃいます!」

「さ、最初からそうすればよかったんじゃない?」

「そんな変態みたいなことできません!」

「そ、そう……」

 

 基準がよくわからないけど。

 許可をもらえば変態じゃないってこと、なのかな。

 とにかく舐めたくて仕方なさそうに悶える彼女をこのまま焦らしていても落ち着かないので、そっと器ごと彼女の方へ寄せる。


 すると、俺の使ったスプーンを手にとってジーっと見つめる。


「えへへ、唾液の匂いが混じってる……」

「あ、あの?」

「ぺろ……んっ! おいひい……ぺろ、ぺろ」


 うっとりした目で、何度も俺のスプーンを舐めまわす羽崎さんは段々と酔ったように目じりを下げていく。

 その光景がやけにエロい。

 間接キスとか、そういうレベルじゃなくエロい。

 いかん、このままだと変な気が起きそうだ……。


「は、羽崎さんそろそろ」

「ぺろ……はっ! す、すみませんつい」

「い、いやいいんだけど。ちょっと意識が飛んでたから」

「そ、そうですか? なんかあまりにおいしくてつい……あ、でも汗よりやっぱり唾液の方が元気が出ます! なんか力がみなぎってきました」

「そ、それはよかったね」

「はい。あの、またよろしければ、ええと、その……だ、唾液……や、やだエッチ!」

「……」


 どうやら唾液に嵌ったようである。

 でも、面と向かって唾液をくれと頼むのはまだ、ハードルが高いようで。


 こういう会話も、お互い好き同士の恋人になれば自然になるのだろうか。


 ……ならない気がするな。

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