二、オリエンタル・スワロウへの手紙

1911年7月6日


親愛なるスワロウ


 先日は寮室の引き払いにご助力くださり、どうもありがとう。ベンガル便の出航は明晩なので、今夜のうちに君への手紙を書いておく。夏休み中のちょっとした読み物と思って読んでくれたまえ。

 これは心理の記録書だ。自身のうちに浮かぶ感情をまずは是非なく受け止めろと、君には言われた。しかし、今の僕には、思春期の激情を受け止める余裕はない。ただ都合のいいことに、君には僕の陰険さをすでに知られているので、この手紙では、ひどく歪んだ見方と自覚しながらも改めないままに書くよ。

 十年後にでも引き出して、読み上げた末に笑い飛ばそうじゃないか。大きなポットにアッサム茶を淹れて、飲み尽くすまで盛大にやろう。もちろん、ミルクをたっぷり入れて。


 まず報告として。ロビンからの手紙は、ちゃんと読んだ。予想どおり、あまり楽しいものではなかったね。彼は僕を繊細な情緒を有する人間というが、どうして、彼の方がよほど湿っぽい。

 彼は心境を晒し、許しを乞うことに、あまりに恐れがない。素直さも繊細な情緒も僕の愛するところではあっても、僕の了承など取り付けられぬままに、心情が開陳されていく。これが、いかに苦痛か。生玉子を矢継ぎ早に手渡されると想像してくれたら、大きくは違わないだろう。しかも、彼は泣きながら、受け取ってくれ、僕たちはまだ友人でいられるはずだと、切々訴えるのだ。その口振りがやたら修辞的なところも癪に触るが、ひよこに罪はないからね、僕だって床に叩き付けはしない。

 とはいえ、二年を経たところで、僕に寛容さが育つわけもなく、結局、僕はひとりで受け止めきれなかったわけだ。君にも押し付けさせてもらうよ。君が絶対に読めと勧めたんだから、責任は連帯したまえ。


 長話の前提として、いくつか説明しておく。

 まず、ユーラシアンについて。欧亜混血児のことだが、インディアでは特に定住した白人男性と現地民の女との間に出来た子、およびその子孫を指す。僕の場合、母方の祖母がアーリア系インディア人で、母が一世のユーラシアンだ。

 ユーラシアンはたいてい学も職もなく、貧しい。植民地政府にとって、白人らしき見た目をしていながら貧困に陥っているユーラシアンの存在が好ましいものでないことは、想像に難くないだろう。そこで目を付けられたのが、ユーラシアンの孤児を集めていたグラハム博士だ(一応、断っておくと、博士自身は大変情に厚い慈善家だ。植民地政府が、町からユーラシアンを一掃する意図のもと、博士の活動を支援したわけだ)。

 博士は、ユーラシアンの子供を教育してオーストラリアとか、他の英国領に移民として送り出そうと計画していた。官公庁の役人は本国から赴任したエリートだし、その他、労働者階級が着ける仕事には、さらに賃金の安い現地民が就くしで、ユーラシアンには居場所がなかったからね。

 僕がホームに入ったのは、九つのときだ。ホームの後援団体から来た老婦人が、二時間も三時間も居座って、僕の引き渡しを拒否する母を責め続けた。教育能力もないくせにって。最後は、ほぼ人攫いに近い形で馬車に押し込められたよ。

 馬車から飛び降りようとする僕を、老婦人は冬休みには帰れると言って咎めた。だけど、実際は、親の迎えがなければ帰省は許されなくて、ホームから出ることは一度もなかった。

 僕の生まれはアッサムだから、ヒマラヤ山麓にあるホームは寒くて仕方なかった。雪も初めて見たよ。ちなみに、ダージリンは谷を挟んだ山向こうにあった。たまにしか出ない紅茶も、全部ダージリンで、しかも下等な秋摘みときた。アッサムのミルクティーが飲みたかったね。寒いし腹は満たされないし、二度と戻りたくない場所だ。

 幸い、十一歳の春、今の父に拾われたことで、ホームは脱出できた。僕みたいに見た目がほぼ白人の子供は、養子の貰い手がまだあったんだ。僕はただのサムから、紅茶貿易商の跡取り息子たるサミュエル・ボウになった。だけど、地獄はそこからだ。家庭教師が何人も付けられて、発音矯正から習字、テーブルマナーまで、上流階級の坊ちゃんたちに紛れ込めるように、休む暇なく叩き込まれたよ。

 父は、アッサムの母を探してはくれなかった。お前の母はこの人(養母)だけだと言って、一切、母の話を禁じた。だから、僕は勉学に打ち込んだよ。母を探し出すためには、まず父の支配から離れなくてはいけない。そのためには、父の会社を継ぐこと。継ぐためには、中等学校と大学と、それぞれを本国で卒業すること。

 勉強を楽しいと思ったことはない。良い成績は、僕の箔になる。僕へと会社を譲る説得力となって、父に働きかけてくれる。僕は、再び貧しさに堕ちないために、そして、母と再会するために努める。それだけなんだ。

 ともあれ、十三歳の秋、ベンガルの屋敷から出された僕は、父の実子という届け出を携えて、オークヴィル校に入学したわけだ。


 ロビンについても、今一度説明しておこう。彼は三年生で既に監督生となるような優等生で、新入生の僕は彼の寮弟ファッグに充てられた。

 お坊ちゃんたちの間で馴染めず、友人も作れない僕を、彼は常に気に掛けてくれた。彼こそ生粋、ウォルミンスター卿のお坊ちゃんなんだけれど、それゆえの優しさと鈍感さがあったからだろうかね、打ち解けきらない僕にも、温かく接した。お互い生物学が好きだったから、学校裏の森に出てコガネムシを捕ったり、植物の押し葉帳を作ったりするうちに、まあ親しき友人と呼べる関係になった。

 けれども、このころからすでに、僕は彼の余裕に鬱屈を抱くことが多かった。例えば、君はなぜ彼がロビンと呼ばれているか、ご存じかい?

 彼が一年生の春だ。週明けのミサに、彼は無帽で参列しようとした。門前で先生に止められて、その理由を尋ねられたそうだ。

 彼は答えた。土曜日の昼、中庭のベンチで本を読んでいたが、つい昼寝をしてしまった。起きたら、被っていたはずの高山帽はベンチの脚許にひっくり返っていて、中には小枝や草が詰められていた。コマドリたちが営巣を始めていたのだ。

「壊したらかわいそうだと思ったんです。僕は、またすぐ新しいのを手に入れられるので、あれはロビンたちにあげました」

 かわいい理由に先生も笑って、咎めはしなかったそうだ。だから、彼の渾名はロビン。コック・ロビンさ。

 この逸話を聞いた僕の感想は、こうだ。彼の言い分も、それを咎めない先生も、この話を聞いて彼にロビンと渾名した生徒たちも、実に上流階級の産であるな、と。

 制帽をコマドリに遣れる優しさとは、善き人格の表れなのだろうか? 違うだろう、彼の父が速やかに新たな品を与えてくれるという無意識下の安心があるからこそ、彼は安くもないビロードの一品を、コマドリなんかにくれてやれるのだ。

 羨む心を認められず、彼を非難していた。机上にこぼれたパン屑のひとつすら、競うように口へと運ぶ世界に育った僕だ。そして、入学してからも、鉛筆の一本すら、使用管理帳を付けて父に報告しなければ、削り出せない僕だ。彼の優しさを素直に肯定することなどできない。


 休暇には僕がロンドンの屋敷で独りだと聞いたロビンは、彼の屋敷へと招待してくれていた。二年生のクリスマスには、彼の家が運営する孤児院の慈善にも、僕を連れた。

 向かう車の中で言われたよ。僕らは貧困を知っておかなくてはならない、と。社会学者の論文をいくつか引用して、貧困の仕組みについても論じられた。けれども、それらはいずれも、酒と賭け事を好む堕落の習性とか、向上心のない生活とか、労働者の堕落が彼らを貧しさに留める、という論調だった。貧困が学問対象になることにも、貧困を道徳規範に帰結させることにも、驚きと言い表せない不快とを覚えた。

 彼は、貧困を救済する者として孤児院に赴き、母や姉妹が編んだセーターを子供たちのクリスマスプレゼントとして与えた。僕も渡したが、鉛筆一本ずつのみで包み紙もない。セーターの小包と裸の鉛筆一本、それぞれを手にした子供たちの表情は明らかに違った。勉強は君の未来を助ける、だなんて象徴めいたことを言って取り繕いながら、粗末な贈り物しか用意できない自分が恥ずかしかった。

 さらには、彼を妬んだ。彼の手に湧き出でるシェケル銀貨よりも、僕のレプトン銅貨二枚の方が尊いと、心の中で訴えながら。二ダース分の鉛筆だって、自主学習を重ねていたら想定より早く使い切ってしまったので、どうか追加分をください、と嘘まで記して着服したものだというのに。

 惨めだった。僕が血反吐を吐いて手に入れた境遇を、ロビンは生まれながらに得ている。しかも、善良な人格までをも有する彼は、僕を生涯の親友と言って、笑いかける。サミュエルたる僕は喜びと憧れに笑顔で応じるが、貧しいサム少年の心は彼を仇のように憎む。

 彼を愛しきれない自分に、心底、嫌気が差していた。過去を引きずっているからいけないのだ。だから、本気で自分はボウ家の長男に生まれたと自身に信じ込ませて、母も探し出さないと決めた。そうでなくては、オークヴィル校で、ひいては英国で生きていけないと予感していた。

 イースター休暇も、ドゥラモンド家で過ごした。ウォルミンスター卿と話すときには必ず、その語彙や言い回しを記憶して、後からノートに書き留めた。

 初夏のある日、ある同級生が焼けてきた僕を指して笑ったのだ。オリエンタルのようだな、と。悪気のない冗談だろうが、僕はその夏、決して半袖を着なかった。

 誰かとの会話が終わるたびに、言い回しが変でなかったか一文ずつを振り返り、発音の響きも確かめる。食事の席は、友人たちのカトラリーの扱い方を確かめる時間、余興のチェスは、自身のジョークが友人たちの価値観に適うものか確かめる時間。日焼けを恐れて深窓に留まり、鏡を覗きこんでは髪の一本でも乱れてないか確かめて。ノイローゼになっていた。英国人を演じて、疲れ果てて、夜も眠れない。

 夏休みも終盤のある日、夜会に出掛けるウォルミンスター卿夫妻を、ロビンと共に見送りに立った。夫人は、ロビンに産着を贈ってくれた方の主催だ話しながら、懐かしそうに、「坊やも大きくなったわね」と彼の頬へと手を寄せた。

「ええ、母様」

 彼は目を閉じて、母の愛を受け入れていた。

 その晩、僕は夕食の席に降りて行くことができず、ベッドに身を沈めていた。悲しみと孤独とに冷えた頭は不思議と冴えて、心理的忍耐の限界が近いと警告する。ロビンから離れるか、自身の感性構造を変革させるか、どちらかだと。

 ロビンが枕許にやってきて、体調を案じた。優しきコマドリを放すことは、やはり惜しまれた。僕は頭が痛いとそれらしく答えて逃げただけで、何もできなかった。


 そうして、三年生。君に会った。入学の日、僕は礼拝堂の門前で新入生を集合させる役を担っていたから、集団の中に一際小柄な君を見付けて、おお、あれが噂の日本の少年かと見ていたんだ。そしたら、あの一声が挙がった。

「やい、オリエンタル!」

 ゾッとしたよ。僕のことかと。けれど、すぐに君に向けられたものだと気付いて、アルバートと君との間に入ろうとした。それなのに、君ときたら間髪入れず、アルバートを背負い投げするんだから。それだけでも驚きだというのに、君はさらに、啖呵を切るときた。

「祖国の同盟相手をご存知ないか? 覚えておきたまえ、大日本帝国さ。そして、僕はスズチカ! 侍の一族、アオイ家の長男だ!」

 強烈だったさ。発音こそは訛りがあるが、流暢な言いっぷりをよく覚えている。僕は上級生として君を叱りはしたが、内心では君の溌剌たる意気に気圧されていた。

 君は言ったね。人はよく知らない者を侮る。もしくは、恐れる。しかし、侮られることは恐れられることより、なお幸いだ。彼らを見返す用意も、また友人になる用意も、いつでもできている、と。実に朗らかに。

 実際に君は、今やアルバートと親友だ。積極的に交友の輪を持ち、談話室では、しばしば日本について語って、英国人の無自覚な差別というか、無関心ゆえの偏見な認識を、ひとつずつ解いていった。

 オリエンタル・スワロウ。渾名に冠された「東洋」は君の誇りだ。皆も、東洋生まれの小さな紳士の存在を受け入れている。だけど、君は純粋の異邦人で、僕は不純な英国人だ。彼らが僕を劣等の混血と見ると思うと、模範生の装いを解くことはできなかった。


 クリスマス休暇、恒例どおりロビンと孤児院を訪ね、着服の鉛筆を一本ずつ、子供たちに贈った。その中に、浅黒い肌に真っ黒い目をした見慣れない少女がいた。インディア人のメイドが産み落としたという彼女は、夏物のブラウスに裸足で、子供たちの輪からも排除されていた。僕は、その場でセーターを脱いで彼女に着せ、長い袖をまくってやった。

 帰りの車で、ロビンは特定の子を、特に女子を贔屓してはいけないと僕に忠告した。僕は、一番恵まれない者を憐れんで何が悪いものかと返して、取り合わなかった。入学当初に履いていた革靴を引っ張り出し、彼女に渡すよう、孤児院へと送った。文法の教本と初等算術の問題集とを作り、ノートも同封した。

 コマドリに制帽を遣るような純粋な優しさではない。同一視からの同情、復讐に近い反抗とでも言えるだろう。

 二月の末、孤児院からの手紙で、その少女が脱走したと報された。ロビンは僕へとダージリンを注ぎながら、救貧は入れ込んではいけないと諭した。僕らと彼らとは同じ感性を有さない、恩も忘れて姿を消すことなど珍しくもない、貧しさには人格的理由があるのだ、と。優しく慰める彼の目を見返せず、僕は卓上の茶器を見続けた。白磁に藍のノリタケには、揺れる柳の間を飛ぶスワロウが描かれていた。

 出自を恥じない強さが欲しいと思った。ロビンを愛するからこそ、ロビンにも「サム」の心を知ってほしいと思った。

 生い立ちを話してみれば、ロビンは静かに泣いて、僕の人生を労った。向学の精神の高邁なることを様々な言い回しを用いて称賛し、僕を抱き寄せた。けれども、ロビンが受け止めたのは、サム少年の苦労と努力の物語であったから、意を決した告白も、孤独をより深めただけだった。


 それでも僕は、寮対抗の討論会に出ることを決めた。議題もインディアの民族運動についてと提出した。

 議論は、生徒の情緒に訴えられた僕の勝利で終わった。達成感はなかったね。彼らもまた、親しみある紅茶と、かわいそうな子供とが結び付けられた驚き、憐れみに揺らいだにすぎない。やはり物語の中の出来事だ。遠い異国の子らに同情し、救いたいと思っても、身近な僕にインディア人の血が流れているかもと聞いたなら、おもしろがって噂し合う。

 オリエンタルは、美としてのみ愛されるんだよ。例えば、茶器や漆器、螺鈿などの芸術。茶や絹布などの実用の品々。しかし、東洋人は美ではない。怠惰で体格に劣り、遅れた世界に生きる非開明な人種と見做される。

 ロビンは、出自を明かせと迫った。つまり、僕だけは皆が思うような東洋人ではないと、僕の「克己の物語」を示せ、東洋人への偏見から免責されろとのことだ。僕の優秀さは、優れた西洋人たる彼らに見合っている、「何も変わらない」と。

 心理的忍耐の限界は、なんとも静かに訪れるものだと知った。純粋でまっすぐな優しさこそが僕の愛したロビンの人格なのだ、それが僕を毒するのならば、僕が彼から離れるしかないだろう。純粋な彼と、純粋さを求めるあまりに擦り切れた僕とは、この英国社会にある限り、交ざりあうことはない。

 イースター休暇、僕は寮に残った。すぐに試験勉強で忙しくなり、結局、彼とは口をきかずに修了式を迎えた。彼が寮を退去する日の朝、僕の部屋の前に置かれていた手紙が同封の代物だ。君も読んでみたまえ。美しいサミュエルの姿が、そこにはあるから。

 ロビンは結局、個人の啓蒙をもって貧困問題の解決を考えている。僕は、少なくともインディアの貧困は、英国社会に富を供給する植民地としての役を負わされる限り、解決の糸口も掴めない問題だと思うのだけど、これを弁明し、和解に働く気力は、残念ながらもうない。社会のせいだと他責して、この物語をお仕舞いにしたい。

 僕の存在が、彼の人生の中の美しきものとして、また稀有な気付きを与えてくれたものとして記憶されているのなら、そのままでいいんだ。僕は白磁器チャイナのように東洋美として彼の側にありたいわけではないけれど、僕をどのように愛するかは、彼の物語において、彼の自由だから。


 と、言いつつ、こうして長々と手紙を書いた僕は、美しくないままに愛されたいという弱さを律しきれなかったわけだ。英国に生きる渡り鳥同士だと、変なシンパシーを寄せられた君には迷惑な話だろうが、先に書いたとおり、手紙を読めと勧めたのは君だ。甘えさせていただいたよ。

 ひとまず君をこの手紙から解放しよう。君にはロビンの手紙も待っているから。

 大学の寮室が決まったら、またお報せする。では、よい夏休みを過ごしたまえ。僕も父との五年ぶりの再会を、せいぜい楽しんでくるよ。


 君の厄介な上級生、サミュエル・ボウより

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コックロビンよ、さようなら。 小鹿 @kojika_charme

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ