コックロビンよ、さようなら。

小鹿

一、ロビンからの手紙

1909年6月26日 夜


親愛なるサミュエルへ


 こうして手紙を残していくような僕だから、君はいっそう、僕を遠ざけたく思うのだろう。ああ、だけれど許しておくれ。艶やかな象牙の、未だ何にも形作られていない一本牙のような精神と君に評された僕だ。自身の経験をいかに切り取り、拡大し、類型の哀情を探し出して提示しようと、君の繊細な情緒に適うものにはなりえないだろう。

 それでも、僕は自己の内部にいかなる変容が生じたか、君に知ってもらいたい。そうして、改めて謝罪したいのだ。


“Be patient till the last.”


 サミュエルよ、オークヴィル校に得た青春の友よ! この数ヶ月間、あの恐ろしいほどに寂寞とした僕らの友情の決裂の日を、想わずに過ごした夜はなかった。

 しかし、まずは、あの日より一週間前、寮対抗の討論会にて君が何を主張していたか、振り返りたい。議題は、インディアにおける民族資本主義者の台頭と、それに伴う反英運動について。君による掲題だ。

 君が述べる。運動にはインディアの貧困が根底にあり、それは英国の重商主義に基づく圧政によると。そのため、植民地政府には、運動の弾圧ではなく、庶民生活の向上、すなわち、法と学校とが求められる、と。

 トーマスが反論する。反英運動が貧困への不満に起因していようと、彼らに裁量を与えたところで、上手くはいかない。なぜなら、東洋の因習に囚われた彼ら自身では、貧困を是正するだけの改革を行いえないから。良き文明国である英国は、商業と重工業の振興をもって雇用を創出し、法をくことで、インディアの発展を導くべきだ、と。

 君が反論する。貧困の連鎖は、断ち切らねばならない、と。例えば、茶摘みたち。家庭に「子供」は存在しない。皆が労働者である。少年たちは学校に行けず、無学ゆえに、低賃金な茶摘み労働にしか就けない。そして、労働者を守る法律がないために、いつまでたっても低賃金で働き続け、やがて、子供を持てば、その子も彼らと同じく、英国のための労働者として、空腹の生涯を送るしかない。

「今朝、諸君が飲んだ紅茶は、幼き者たちの空腹の上に生産されたものだ。富裕なる諸君よ、汝らは他者の不幸を知らぬものとして、繁栄を享受できる者であろうか」


 議論は君への賛成多数で決した。そうして、翌週には、君がインディア人の血統を汲む者だと噂が流れた。

 同級生として、トーマスの名誉のために記すが、流言元は彼じゃない。彼はむしろ、自身との議論を発端にそんな憶説が生じていることを非難していた。僕もあれは、彼の論を支持した生徒たち、保守的な大英帝国主義者の間にて、ごく自然的に発生したものだと考えている。

 君の論は、人倫の面から見て正しい。それに反論するには、より大いなる政治的な安定で対抗するか、君自身の価値を落とすか。君は徹底してインディア現地の視点に立ち、実に重みある言葉をもって幸福と自治とを論じた。その重みが、君の経歴よりもたらされたものだと、経験と反省を重視する我が校の生徒たちに、悪意を持って結び付けられたとは想像に難くないだろう。

 流言への対処は、ただ一度きりの確然たる拒絶と、それ以降の沈黙に及くものはない。しかし、君はただ沈黙に過ごした。

 君は道徳を知る人間だ。事実に反して、自身を純然たる英国人だと言えはしない。誠実と忍耐とは君の美点であるが、それが過ぎて、自身が納得していないことすらも、冷静さの奥に押し込めてしまう。

 沈黙するのみで噂に対処しない君に、僕は少し腹立たしい思いを抱いてもいた。嘘を不善とする君が取りうる方策は、噂を認定したうえで堂々たる態度でいる他ない。だから、何があっても僕は君の味方だと言って、出自を明かすことを求めたのだ。

 僕と友人になり二年半を経てようやく、自身の血筋を打ち明けた君の心を思いやりもしないで。

 茶園の隅にユーラシアン・・・・・・として生まれた君は、自身の生まれを克服する才があった。その才覚は富裕なる養父に見出され、努力をもって我が校に俊英と知られるようになった。この克己の物語は、君の誇りとし、後進に示していくべきだと。

「君の人格の優れていることは疑いない。恐れるな、君は僕たちと何も変わらない」

 両肩を握って勇気付ければ、君は逸らしていた目をぱっと僕に向けた。一瞬、悲しみの情動を認めた。けれども、君は賢く冷静な人間だから、僕に自省の隙も与えない。敬遠の微笑みを見せて、僕の浅慮を突き付けた。

「君には決してわかりえないだろう、君は恵まれた人間だから」

 祝福するかのように微笑んで見せた君よ。悲哀の目であったら、僕は、君の難多き人生を心から憐れんで、抱き寄せてやれたと思う。僕の無知に怒りを燃やして迫られたなら、こうべを垂れて教授を願っただろう。

 それなのに、君は微笑んで、実に静かに僕の境遇の幸いなることを肯定した。繊細な白磁器チャイナの人形を、不注意にも割らないように、飾り戸棚の上段に籠めおくような敬意をもって。愛すれども、共には生きられないとの決別だ。


 サミュエルよ、君を無自覚のままに傷付けた僕を許しておくれ。

 僕は、努力を善と、怠惰を悪として育ってきた。それゆえに、貧困とは怠惰の結果だと信じていた。富家に生まれた者も、自制の人格を得る努力をしなくては、散財の末に身持ちを崩してしまう。反対に、貧家に生まれた者であっても、勉学を積んで自らを研鑽する者は、きっと成功を収める。

 僕にとって、勉学とは「する」か「しない」かの選択であり、「しない」に流れる弱さへの自律こそが、教育の本質だと考えていた。

 しかし、君にとっては違う。勉学とは、まず、自身が生きる環境において「許されるもの」か「許されないもの」かのどちらかである。許されて初めて、勉学に対する努力ができるようになる。

 君は「許されない」側に生まれながら、自身の才覚と幸運とによって、「許される」側へと来ることができたのだろう。僕には想像もできないほど、血の滲む努力をしたに違いない。その前提をまるで理解せずに、僕らは何も変わらないと言い放った。

 富家に生まれた者は、衣食住に困らず、勉学を与えられる。親よりの財産を受け継ぐように、親からの教養をも受け継げる。ところが、貧家に生まれた者は、衣食住に困るがゆえに、勉学に費やす時もなく、勤勉の態度を身に付けることもできないまま、親となる。こうして親の貧困が、負の遺産として子供に受け継がれていく。

 となれば、君が法と学校とを求めた理由もよくわかるのだ。幼いころから労働市場に取り込まれてしまう貧困家庭の子供を、法によって保護し、教育を施すことで、勤勉な労働者に育て上げる。政府の責任によって、勉強が「許された」社会を作るのだ。全ての子供が、貧困から抜け出す機会を掴めるように。


 我が家の孤児院にても、日課に学習時間を設けるように指示してみた。一月後に訪ねてみたが、簡単ではないと思い知らされた。

 まず彼らは、長時間椅子に座っていられない。一文すらも読み切る集中力がなく、さらには、教科書の文語と日常に用いる口語とが乖離していて、文意を理解することが容易ではない。理解できる単語だけを拾い読みして、文面を読み解こうとするから、たいてい文意を誤って捉えるのだ。

 勉学にはその前段階が重要だということを目の当たりにした。教養ある親に育てられ、日々の生活の中で勉学の基礎となる言葉遣いを学び、勉学に耐えるだけの集中力を鍛えられるかどうかは、その後の修学程度を決定的に左右する。となれば、なおのこと(君が九つまで過ごした環境が僕の理解と重なるかはわからないが)、改めて君には敬服を表さずにはいられない。

 僕が孤児院への慈善に熱心なのを見た父は、グラハム博士主催のイースター・パーティーに僕を連れてくれた。博士の「セント・アンドリューズ・ホーム」には、我が家からもそれなりの寄付をしているから、存在は知っていたんだ。

 君もそこにいたんだね。僕がオークヴィル校に通っていると伝えたら、博士は「サム」を知っているかと尋ねられたよ。勤勉で、模範的な生徒だったと大層、褒めていらした。


 当たり前に勉学を与えられ、それを楽しめるほどに恵まれた僕が、貧困の民に対して何ができるのか。

 無知を突き付けられるたびに、自身が恥ずかしくなった。同じだけの苦労をしたら、君の苦しみの一部でも理解できるのではないかと、放浪の旅でもしようと思ったけれど、その発想自体に浅はかさを感じてやまない。

 だから、僕は君に誓う。僕は、大学にて経済学を専攻し、やがて、父の跡を継いで貴族院に入ったなら、貧困問題を追求していく。グラハム博士に対する援助の継続も約束する。そして、国に一事あれば、誰よりも先んじて戦地へと向かう。

 これが、不平等な社会の恩恵を受けて幸福に生まれ育った僕の、最大の還元だと確信している。

 この立志を抱く機会を与えてくれた君に、最大限の感謝を捧げる。君の苦労に思いを寄せ、君の悲しみに憐れみを示す。

 僕の決意を受け取ってくれたら嬉しい。


 最後に、僕がこれから、孤児たちへと掛け続けようと決めた言葉を記したい。君の言葉だ。

 君が初めて我が家の孤児院へ来たのは、クリスマスだったね。慈善としてプレゼントを贈る習わしだと伝えたら、君は人数分の鉛筆を用意してくれた。そうして、彼らに渡して、篤く啓蒙した。

「この一本で始めた勉学が、君の人生を変える。生まれは選べないが、知識は君たち自身で獲得できるのだ。運命に抗いたまえ」


 運命に抗い、なお強く立つ君よ! どうか君の難多き人生に、祝福のあらんことを。


 アーサー=レオナルド・ドゥラモンドより




追伸

 明日は(君にとっては今朝だね、もしこの手紙が開けられもせずに引き出しの奥へと仕舞われていない限り)、良い天気だと云うから、温室裏の園亭パヴィリオンにでも行きたまえ。野薔薇が盛りだから。そうして、花を眺めながら、昼食までの時間を僕への追想に当ててくれたのなら、これほど幸いなことはないと思う。

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