三、スワロウからの手紙
1921年11月11日
親愛なるサミュエルへ
まずは、無事にご子息がお生まれになったこと、まことにおめでとうございます。
僕のこの度の渡英はシベリア経由でしたが、帰りは航路を取るつもりです。ベンガルにも寄港しますから、あなたとの再会にあわせて、奥様とご子息にも会えることを楽しみにしています。
さて、早速のお返事と励ましの言葉をありがとうございました。おかげさまで、大学院での研究の日々は順調に進んでいます。英国から六年間離れていた僕の不安は、戦前と変わらないオックスフォードの町並みにすっかり溶けたようです。
図書館の、あなたとよく隣り合って座った東奥の窓辺にて、この手紙を書いています。外を見遣れば、木枯らしに柳が葉を散らして、じきに来る灰色の季節を報せます。あなたと暖炉に張り付いて、南方育ちにはこの半年が厳しいと言い合ったことが忍ばれます。
ベンガルは、これからが過ごしやすい季節になるのですね。今年も無事に茶摘みを終えられたこと、お慶び申しあげます。
あわせて、茶園における労働改革の報告書、大変興味深く拝読しました。低賃金の解消、公正な雇用契約。児童労働の禁止、学校の建設。あなたの取り組みは、生粋の資本家たるあなたのお父上や、同業の紳士たちからすれば、理解しがたいことでしょう。それは想像できますが、けれども、そうですか、労働者側からも反発を受けるとは。
たしかに、親からすれば、子どもたちは家計を助ける賃金労働者なわけですからね。英文法や四則計算を与えて何になる、労働の機会を奪うな、となるのも無理はありません。学を得ることの利点、例えば、商売において騙されないだとか、不利な契約を結ばされないだとか、そんな利点が親世代に共有されない限り、義務教育の普及は難しいのでしょう。
ですから、義務教育後の施設として職業訓練学校を併設する計画は、大変良いと思います。読み書きを得ることが技能を得る道だと、わかりやすく利点を示すことができますから。学術の振興と殖産興業こそが、国を豊かにする要です。反対に負けることなく、どうか辛抱強く続けてほしいと思います。
ところで、先日、同じ
戦中、戦後を通して、経済的な困窮から退学する学生は数多いと聞き及んでいます。特に、相続税が四割にまで引き上げられてからのこの二年間、この税を納められないがために、土地や屋敷を売り、事業を手放し、果ては没落していくとは、まったく珍しい事例ではないといいます。
志半ばに学籍を離れる青少年の存在は、たしかに胸を痛めるものではありますが、僕はこの傾向は英国およびインディアの両社会にとって良いものであると見ています。貴族およびブルジョワ階級の持つ「富を吸い上げる力」を、国家の徴税力へと移行させることは、富の再分配が機能する社会となるために欠かせない転換ですからね。
この戦後社会は、いかに前時代的な富の集約力を抑制し、富の偏りを防ぐ構造を作っていくか、ここに政策の重点が置かれていくことでしょう。男女共に選挙権が与えられました、貴族階級への相続税もさらなる引き上げが検討されています、それらは社会保障の財源となります。そうです、貴族の時代は終わりました。真に民衆の時代が到来するのだと、我々は自覚しなくてはいけません。
あなたは、その自覚に基づいて、いち早く行動しました。資本家として労働力を搾取するのではなく、子どもたちを職業人として育て上げ、対等な雇用関係を築こうとしています。僕は資本主義経済を研究する者として、あなたの取り組みを高く評価し、また敬意を表します。
さて、ご依頼いただいた本のうち入手できた幾冊かは、模造紙に包んで同封しました。ご要望の品には含まれていないながら、雑誌の切り抜きも入れました。セント・アンドリューズ・ホームの特集記事です。先年に亡くなられたグラハム夫人の功績、特に女子教育への尽力について、追悼文と共に掲載されていました。
合わせて、あなたから託された二通の手紙も入れてあります。あれから、十年が経ちました。共に読もうと託されたものですが、先にお渡しさせてください。
同封にあたって読み返しましたが、改めて申し訳なく思いました。あなたは、ミスター・ロビンの隠すところなき心情の開陳に苦しんだと述べながらも、実に投げ槍な調子で自身の生い立ちを
他者に対して常に慎重で、多面的な考えを持つあなたは、よくわかっていたはずです。純粋な善意が、ミスター・ロビンをして君の出自を明かすよう求めさせ、僕をして彼との仲直りを勧めさせた、と。ですから、あなたは、ことさら悪辣に言葉を選び抜いて、僕を刺した。十六歳の僕は、あなたに刺されて初めて、
僕はまず謝らなければならなかったのです。けれども、僕はミスター・ロビンのようにすぐさま自身の非を認めて謝ることができず、綴る言葉を悩むうちに、あなたから次の手紙──ベンガルにて過ごす夏休暇の仔細と幾冊分かの書評とに終始したもの──が寄せられて、僕の返信もそれらに対するものに留まっていました。僕たちはそれからも、二人してオークヴィル校の思い出を語るとき、ミスター・ロビンの存在には一度も触れませんでした。ですから、僕はついぞ謝れないままでした。
それでも、何事もなかったように交友を続けてくれたあなたの優しさに、深く感謝します。それでいてなお、僕は再び善意を押し付けようとしています。どうか許してください。どうしても、お伝えしたいことがあるのです。
今日、オークヴィル校にて終戦記念のミサがあり、式典後の食事会にて、トーマス・ハワード君と再会しました。あなたが三年生のころ、インディアの民族資本主義と反英運動について討論した彼です。ミスター・ロビンとも親しい友人でしたが、覚えているでしょうか。
その彼が、ミスター・ロビンの現在について、聞かせてくれました。ミスター・ロビンは、士官として赴いたフランスの戦場にて酷い傷を負い、帰還してからは、爵位などは全て弟君に譲り、領地の別荘に籠って療養していると。面会も謝絶しているらしいので、ハワード君も詳しくはご存知ないようでした。
ミスター・ロビンが戦線を離脱したのは、ソンムの戦闘──ですから、もう五年も前です。それが今でもなお、誰の面会も受けていないとなると、予後はかなり悪いのではないでしょうか。砲弾による傷は数年をかけて化膿し、命を奪うといいます。不謹慎ながら、このまま彼が亡くなれば、あなたは生涯に渡ってわだかまり残る心にて彼を思い出すことになるのではと、僕は案じてしまったのです。
和解しろと言うのではありません。ただ、後悔を残さないためには、選択肢のあるうちに行動することが求められます。二度と関わらない、との決断でも良いでしょう。何かしら、彼および彼と過ごした日々への評価を、今、定める必要があるはずです。
ごめんなさい。実は今日のミサで、アルバート・クリフォードが戦死したと知りました。入学式の日に僕が投げ飛ばした、あのアルバートです。
ケンブリッジ大学に進んだ彼とは、会う機会のないまま戦争が始まりました。すぐに戦地へと赴いた彼からは、クリスマスには会おうとの手紙が来ましたが、戦争の激化から彼は戻らず、僕は日本に帰国して、交信はそれきり途絶えていました。
ありふれた言い方になりますが、想いは生きているうちに伝えなくてはいけません。どうか心残りのないようにしてください。それから、アルバートのために、彼の御霊の安らかなることを祈っていただけると幸いです。
またすぐにクリスマスカードを書くことになりそうです。それでは、万事上手くいきますように。
あなたの
追伸
先日、僕らの
古式ゆかしいオックスフォードから、あなたを想っています。
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