第2話:進路調査

 “将来の進路と言われても、イメージが浮かばない。そもそも私は高校1年生になったばかりであり、まだ将来を考える時期ではないと考える。文理進学のための問いであることは理解しているし、その選択が将来を決定する要素であることも認識している。しかし、だからといってこの時期に将来を考えた上での文理進学の選択は無謀と考える。なぜなら、将来とは望んで決まるのではなく、消去法の末に決定するものだからだ。将来を追って文理進学を決めたものは良いものの、自分の才能、周りの才能などの現実を突き付けられ、脱落することなど目に見えている。うまくいったところで、それに似た何かに就けるが関の山だろう。

 更に今のご時世、将来を考えること自体、なんの意味もなさない。全てが先天的な才能によって決まる今の社会において、将来とは自分で決めた先にある姿ではなく、既に決定された未来の姿であるからだ。つまり、将来を考えることとは、理想と現実の差を認識し、幻滅するだけの自傷行為である。

 ならば、この進路調査書がなす意味とは———————”


「何してんだ?」


 傾いた日が差し込む教室の中、ペンを走らせていた信二の手が目の前から聞こえてきた声によって止められる。声の方にチラリと目線を向けるとそこには見知った青年の姿があった。すぐ横の窓から差す光に照らされたその顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。その見知った笑み、寝癖のような髪型、茶色がかった髪色から、目の前の人物が『上川かみかわ 綾人あやと』だと信二はすぐ気づいた。


「進路調査書だよ。さっさと書けって言われた」


 登校の途中、担任に見つかった信二は進路調査書を提出するよう担任教師から催促された。提出日を一週間以上過ぎていることもありその説教は数分ほど続いた挙句、書き終わるまで今日は帰るな、と言われてしまった。いつもなら反論のひとつでもする信二であったが、今日中に提出しなければ病院に連絡するといわれ、なくなくペンを走らせている。

 そしてホームルームが終わってから数十分、教室にいる生徒がまばらになり始めた頃になっても、信二は進路調査書を書き終えれずにいた。そんな信二の様子に綾人はニタリといたずらに笑うと、そのまま挑発的に口を開いた。


「へぇ~、まだ書いてなかったのか。提出日からもう結構過ぎてると思うんだけど?」


 小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、綾人は信二の進路調査書を覗き込む。文理選択を選ぶ欄はどちらにも印がされておらず、代わりと言わんばかりに“自分の将来について”と題された記述欄にはこれ見よがしに文字が羅列されていた。そんな抗議文にも似た何かに綾人は浮かべていた笑顔を冷ややかなものへと変え、再び信二に視線を向けた。


「お前……真面目にやれよ」


 呆れた顔のまま、見慣れたものを見る口ぶりで綾人は呟く。綾人と信二は中学校からの知り合いであり、いつも一人でいた信二に綾人が話しかけていたのが二人の出会いだった。それは出会いから数年たった今でも変わらず続いていた。

 だから、ホームルームの後に担任教師と話していた綾人がこの状況を見たらどうするか、信二には予想がついていた。それが今の現状である。予想通りの状況に内心ため息をつきながら信二は八つ当たりのように言葉を吐いた。


「別にいいだろ。俺が何を書こうがいつ提出しようがお前には関係ない」


 そう言って信二は再びペンを走らせようとする。が、書きかけの文末においたペンは黒い点を打ったまま動こうとしなかった。


「そりゃ関係ないけどさ。関係ないからって関わっちゃいけないわけじゃないだろ?」


 そう言ってその場を離れようとしない綾人に信二はチラリとだけ視線を向ける。文末に置かれたペンを紙の上でトントンと鳴らしながら、次に書こうとしていた文を頭に浮かべる。が、いくら考えても次の文は出せず、文末にできた黒い点が時間と共に大きくなっていくばかりだった。


「まあでも、そんなに悩むこともないだろ? 天才じゃない俺たちなんてたかが知れてるんだしさ」


 ペンを叩く信二を見ながら綾人は言葉を続ける。


 ゛天才゛


 辞書で、先・天・的・な・才・能・を・持・っ・た・人・間・の・こ・と・、と定義されている者達。数年前まで“天才とは努力家のこと”や、“天才には共通した習慣がある”などといった希望論、空論すら出回った憧れの存在。それは凡人にとっての願いであり、救いだったのだろう。少なくとも昔の天才とはそういう位置づけだったのだろうと信二は思っていた。

 だからこそ、1人の研究者によってそれが否定されたとき、世界がざわつき、そして肯定されていったのだろう、と。


 曰く、「天才とは神によって選ばれた領域であり、人の域によるところではない。天才と秀才・凡人の間には明確な科学的差異が存在する」。

 各国の政府はこの研究結果に関心を示し、全世界で天才の発見と保護を目的とする法律が成立、公布された。そして現在、日本では天才の保護と研究を目的として、国立病院の中に天才専用のフロアを設けたり、天才の研究を専門とした病院が各地域で設立されている。そして信二も、そんな天才の候・補・として病院で保護されている人の1人だ。


「それを言ったら、そもそもこんなものを書く理由がなくなるんだが?」


 黒点を作るだけのペンを置き、信二は椅子に背を預けながら独り言のように呟く。天才を証明した研究は同時に、人間の基礎能力の差を裏付けるものになった。そのため、もとより能力主義の傾向が強かった国では、その傾向がより強く、そうでなかった国は徐々に能力主義の方向へ傾いていった。過去の学歴、実績、経験よりも、産まれた持っての能力値が重視される今の社会では、産まれた瞬間に人生が決まると言っても過言ではなかった。


「まあだからあれだろ? こんなご時世でも夢を持ってほしいってことなんだろ? 知らないけど」


「……夢、ねぇ」


 机の上から目を逸らし信二は窓の向こうに視線を向ける。日に照らされるグラウンドでは、体操着を身にまといながらトラックを走る生徒の姿が見えた。疲労から顔を曇らせる生徒、悠々と駆け回る生徒、頑張っているように振る舞っている生徒。その光景に信二は目を細めた。


「持つだけ無駄だな」


 未完成な進路調査書を眺めながら信二はそう吐き捨てる。数年前ならいざ知らず、今の時代においてそんなものはもやは希望にも理想にも目標にもならない。ただただ己の無力と無能を知り、他者の才能と環境を妬むための材料の1つにしかならない。少なくとも信二はそう考えていた。そんな信二の言葉に綾人は眉ひとつ動かさず言葉を返す。


「お前ならそう言うと思ったよ。でも今はそれを考えないといけない。じゃないと突き返されるぞ?」


 綾人の落ち着いた言葉に信二は眉をひそめる。進路調査書を突き返されれば今している無駄な作業をもう一度しなければならない。最悪の場合、病院に連絡される可能性もある。それらがどれほど厄介かを信二は理解していた。険しい顔で立つ澪と、その隣で心配そうに目線を向ける病衣姿の少女が頭に浮かぶ。が、それでも信二は進路調査書に書いた文を消そうとはしなかった。


「……俺たちはまだ高1だし。先生としても真剣なものは望んでないだろうし。適当に将来の夢的な感じを書いたらいいんじゃねぇのか?」


 なだめるように言葉を続ける綾人に信二は視線だけを向ける。窓の外を眺める綾人の横顔には話しかけてきたときと変わらない笑みが浮かんでいた。

 はぁ……、と信二は深くため息をつくと呆れた口調で口を開いた。


「アドバイスどうも。ついさっき書き終わった奴の言葉だと重みが違うな」


 皮肉を交えた信二の言葉に綾人は一瞬戸惑った様子で目を丸くする。が、すぐ状況を理解したのか表情を元の笑みにし、バツが悪そうに言葉を返した。


「なんだ、見てたのかよ。まあ、俺くらいの人間になると進路なんて無数にあるからなぁ。どれかに絞れっていう方が無理があるってもんだよ」


 誇らしげに話す綾人に信二は不満そうに顔をしかめた。ホームルーム終わりに綾人が担任と話しているときに、何かの紙を渡しているのを信二は見ていた。それが何かまではわからなかったが、今教員に提出する紙など進路調査書しかない。かけた鎌に綾人が引っかかったまではいいが、それを踏まえた皮肉は通じなかった。


「……お前も突き返されなければいいな」


 不満のままに信二は再び綾人に食いかかる。今度はしっかりと悪態が伝わるように不敵に笑って、綾人を見つめる。


「お前と違ってちゃんと書いたから大丈夫だよ」


 信二の嘲るような態度に対し、綾人はずっと浮かべていた笑みをさらに深め、座っている信二を見下ように視線を返す。

 他のクラスメイトは既に下校し、2人だけとなった教室。静まり返った空間で挑発を帯びた視線と乾いた笑い声が響き渡る。そして……


《ピーンポーンパーンポーン》


 歪な暖かさが漂うこと数秒後、教室内に停戦を知らせる鐘の音が鳴り響いた。同時に、豆鉄砲を食らったように二人の視線が教室内のスピーカーに向けられる。


「東 信二、上川 綾人、至急職員室まで来るように。繰り返します。東 信二、上川 綾人、至急職員室まで来るように。以上」


 教室内に鳴り響くノイズがかった声はただそれだけを言い残すとさっさと放送を切ってしまった。スピーカー越しに聞こえてきた担任教師の声。信二はそれだけを理解するとゆっくりと目の前の綾人に向きなおる。


「呼ばれているぞ」


「あれぇ?」


 煽るような笑顔を浮かべる信二の言葉に綾人はとぼけた顔で答える。そのまるで予測していたような綾人の態度を鼻で笑いながら、信二は書きかけの進路調査書を持って席を立つ。


「ほら、さっさと行くぞ」


 とぼけ顔のまま、その場から動こうとしない綾人を促しながら、信二は担任教師の待つ職員室へと向かっていった。

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