8 エクレア


 窓から外の景色を見ていた。


 小鳥が地面を跳ねている。かけるのいない木箱の上を、行ったり来たり。


 暖かな日差しが、眠気を誘う。


 舞花は、目だけを動かして、壁の時計の数字を読んだ。


 午後三時。


 九十度に開いた針を見ただけで、急に甘いものが食べたくなった。


 頭の中に、クッキー、ドーナツ、アイスクリームなど、次から次へと、お菓子の映像が流れてゆく。


 舞花は椅子から立ち上がった。


 窓に顔を近づけて、つま先立ちになり、ちょっとでも高い位置から、遠くの建物を確認してみた。


 赤い瓦屋根の、喫茶店。


 帽子とサングラス、財布を持って、舞花は弾むように部屋を出た。




 赤く見えていた瓦屋根は、近くで見ると、渋いオレンジの色味を帯びていた。


 店先に並ぶ、プランターに植えられた花。その間から見えるガラス窓に、白いスプレーで、「洋菓子店」という文字が、淡くペイントされていた。


 喫茶店だと思っていたが、中にイートインスペースはなく、その店はテイクアウト専門の、小さなケーキ屋さんだった。


 舞花は女性の店員に、一言も声を発することなく、ショーケースの外から素早く商品を選ぶと、指を差して注文した。


「はい、エクレアですね。今日は暖かいので、保冷剤を入れておきますね。お早目にお召し上がりください」


 店員はそう言いながら、包装されたエクレアを、ビニール袋へ、四角い保冷剤と一緒に入れた。


 舞花の差し出したお金を受け取り、「ありがとうございました。またお越しください」と言って、にっこり微笑む。


 舞花はビニール袋を手に、ガラスドアを開けて外へ出た。


 若い女の子たちが二人、店の前に自転車を停めていた。舞花がそばを通り過ぎると、彼女たちの囁き合う声が、後ろで聞こえた。


「えっ、今の似てたよね……?」


「まさか、こんなとこにいるわけないじゃん」


「そっかー。っていうかマイカ、最近テレビで見ないよね……」


「ねえ、今日何食べる?」


 笑い声を上げながら、二人は店の中へと入って行った。




 白線の上を歩きながら、舞花は小さく口笛を吹いた。すっかり覚えた、あのメロディ。終わりまでくると、また始めから。


 人の少ない、午後の街。


 舞花はこの街に暮らしている自分を、想像してみた。


 それはとても、穏やかな毎日。だけど少しだけ……退屈な日々。


 白線が十字路で途切れ、舞花はその場で立ち止まった。


 前方に見えていたバス停に、青色のバスが来て停車した。ドアを開けて、アイドリングしている。誰も降りず、乗りもしなかった。またドアが閉まり、行ってしまう。


 舞花はずっと立っていた。ある思いが、胸の奥でうずいていた。


 それは、今すぐバスに乗って、あの輝かしい世界へ帰りたい、という思いだった。


 バスが見えなくなっても、舞花はそこから動けなかった。


 手に下げていた袋の中の、保冷剤の冷たさが、舞花の太ももに、スカートの上から伝わってきた。


 エクレアが溶けてしまう。上にかけられている甘いチョコレートが、ドロドロになって、袋の中で汚れてしまう。


 そんなイメージを見た。


 舞花はまた歩き出した。十字路を横断して、再び白線の上を歩き始める。


 口笛は気持ちに反して、静かに、伸びやかに、ただ美しい音色を繰り返した。


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