テトラポッド

@nekonoko2

第1話

 堤防沿いの道が、太陽にジリジリと焼かれている。彼女は、髪を靡かせて僕の前を歩き、時々振り返り笑顔を向ける。

 僕は軽く頷くとその笑顔から眼を逸らし、堤防越しに見える青い空と海と、テトラポッドに眼を向けた。それを見た彼女の顔がフッと陰り、僕に話しかけてきた。

 「先輩、どうしたの?そんなに思いつめた顔して。明るく元気に、ね?」

 彼女は笑顔に戻り、制服のスカートを翻した。

 踊るように歩き、健康そうな汗をキラキラと輝かせている姿は、まるで天使のようだ。

 「ねえ、暑いしそろそろ疲れた。ちょっと休もうよ」

 彼女は、堤防の左手にあるログハウス風の喫茶店を指差した。

 最近出来たこの喫茶店は一階が駐車場になっていて、外階段を上がって店内に入る仕組みになっている。店舗を二階に作ったことで、広々とした海が一望できるのだ。

 「ね。もちろん、先輩のおごりで」

 彼女は僕に駆け寄って後ろに回ると、背中を押しながら一気に走り始めた。

 「わ、わかったからさ、あまり押さないでくれよ」

 汗だくの僕たちは外階段を上り少し重い扉を開けた。店内には軋んだ音と共に軽やかなドアベルの音が響いた。

 この店は冷房がよく効いていて、穏やかなクラッシックが流れている。  

 僕たちは海が見渡せる隅のテーブルに向かい合わせで座った。メニューを広げるとお洒落な横文字が並んでいる。

 彼女は退屈そうにメニューを眺めていたが、手を挙げて店員を呼び、二人分のオーダーを伝えた。

 「アイスコーヒーとアイスミルクティー、お願いします」

 「僕はまだ決めてないよ…」

 僕が勝手に注文されたことを抗議すると、彼女は澄まして応えた。

 「悩んだ末にアイスコーヒー、でしょ」

 彼女はメニューを閉じ、テーブルの横に置くと真剣な眼差しで僕を見つめた。

  「ねえ、先輩、何であの子に別れようって言ったんですか?ずっと泣いてましたよ。まだ付き合ってから一カ月ぐらいでしょ」

 「別にどうでもいいだろ。お前には関係ない話だよ」 

 彼女は首を振り、言葉を添えた。

 「頼まれたの。先輩の本心を聞いてきて欲しいって」


 彼女は、僕が付き合っていた娘の友達で、高校の部活の一つ後輩、そして僕の母の妹の娘、つまり従妹にもなる。

 彼女は、昔から『お兄ちゃん』と僕のことを呼んでいたが、高校生になり周囲の雰囲気に合わせて僕のことを『先輩』と呼び敬語まで使うようになった。

 もっとも、二人でいる時は結局元に戻ってタメ口になり、昔の呼称である『お兄ちゃん』になってしまうのだが。

 

 「本心って…、まあ、告白されたから軽い気持ちで付き合ってただけだし」

 「お兄ちゃん、じゃないや、先輩は昔からいつもこうだよね、煮え切らないというか冷めてるというか…、それなら最初から付き合わなければ良かったのに」

 彼女は頬を膨らませ、口を尖らせながら僕に説教を始めた。

 「なんか…断ったその娘に悪いかなって…」

 「その中途半端な優しさが一番残酷なんだから。それに、優柔不断と優しさは違うでしょ」

 大きな眼を更に開いて、僕に文句を言うところは幼かった昔と変わっていない。

 「わかったってば…もう、そんな文句言うならついてこなきゃいいのに…」

 「でも、誰かにプレゼントする品を考えていたんでしょ。どんなものがいいか悩んでたみたいだからさ、わざわざ買い物に付き合ってあげたのに。大体別れたばっかりで、もう他の女にプレゼント買うの?ホント女心がわからないくせに手は早いんだから」

 「そんなんじゃないよ…それに僕が何しようと別に関係ないだろ…」

 僕は口ごもりながら答えた。

 「何でそんな言い方するの?私たちは仲のいい兄妹みたいなものじゃないの?そんなに冷い言い方しなくてもいいじゃない!お兄ちゃんのバカ!」

 彼女は怒った顔で横を向いた。

 「わかった、わかりました。僕が悪かったよ」

 「素直でよろしい」

 彼女はニコッと笑うと、ストローに口をつけた。小さい時から彼女はすぐ拗ねて怒り、結局、最後は僕が折れる。そうするとまたニッコリと笑うのだ。

 その笑顔は太陽のように明るく、僕の心に染み入ってくる。

 どうやら、僕はその笑顔見たさで、彼女には最後まで冷たい態度を取れないようだ。

 

 僕の両親と叔母夫婦は、僕たちが生まれる前からとても仲が良く、よく二組で一緒に遊びに行ったりして交流を持っていた。

 ところが、僕が生まれ、彼女が生まれた後、彼女の父親が突然に亡くなり、見かねた僕の両親が残された妹母娘を引き取ったのだ。 

 僕たちは小学三年生まで一緒に暮らし、そして遊んだ。

 叔母に自立の目途がつき、僕の家を出た後でも、彼女とはよく遊んでいた。つまり、僕たちは兄妹のように育ったのだ。可愛い妹にはついつい甘くなってしまう。

 

 「でも、さっき買ったのは誰へのプレゼントなの?わざわざ、あの雑貨屋まで行くなんて…気になるなあ」

 彼女はふて腐れながらテーブルの下で僕の脚を蹴飛ばす。

 「痛いなあ…誰のでもいいじゃないか…、いずれわかるよ」

 「ふーん、そうですか」

 彼女はまたプイと横を向いた。

 今、僕のバッグには、その雑貨屋の、猫屋という名だが、猫の絵が描かれている包装紙に包まれたプレゼントが入っている。猫屋は、猫関係のグッズが評判になっていて、僕たち高校生、特に女性の間では大人気でいつも混み合っていた。

 高校生の僕たちが、小遣いに余裕があって、簡単にお洒落なデートを、と考えた場合、猫屋でグッズを買い、堤防を歩いて海を眺めながらこの喫茶店まで散歩することが定番になっていた。

 彼女は、横を向いたまま窓越しに海を眺めていたが、ふいにふと呟いた。

 「…お兄ちゃんの家、この辺だったよね、なんか懐かしい風景だな…、海辺とか堤防とか、そしてテトラポッド…よく遊んだね…」

 

 僕の家は、当事はこの海辺近くの一戸建ての広い借家だった。築年数は大分経っていたが部屋数が多く、当初は一緒に住むことに躊躇していた叔母も、部屋数と広さを見て安心したらしい。

 多分、他人の家、という息苦しさをそれほど感じずに安心して住めたはずだ。

 母は、傷心の妹母娘が一緒に住むことを素直に喜び、逆に心強くも思ったらしい。よく、叔母と二人でショッピングに出かけていた。

 僕と彼女は、そんな時の留守番役だったが、家を抜け出しては海辺に行って遊んでいた。

 

 「なんか年寄りくさいなあ、懐かしいって言ったって、つい最近まで遊んでたじゃないか…若いんだからさ、そんな思い出より前向きに遊んで楽しまなくちゃ。青春は一度きりだぞ」

 僕は偉そうに、どこかで聞いたようなセリフを言ってみたが、彼女は余計に拗ねはじめた。

 「年寄りくさくて悪うございました。私はお兄ちゃんみたいに遊び人じゃないし」

 「そんなに拗ねるなよ…それに僕は別に遊び人じゃないよ」

 「まったく、何でこんなのがモテるんだか、上辺は優しそうだけど、簡単に女を捨てる冷血人間だしね」

 彼女は舌を出して憎まれ口をたたいた。

 

 彼女は、常日頃は相手の気持ちを思いやり、明るく振舞っている優しい娘だ。

 しかし、母子家庭という境遇のせいなのか、いつも自分を抑え、我慢しているように感じた。他の人に笑いながらも常に一歩譲っているのだ。

 それでも、僕と二人の時は、他人には見せない顔を見せる。僕に甘え、憎まれ口をたたき、拗ねてみせる。こんな姿は、多分、母親にも見せていないはずだ。それだけ、僕に心を許しているのだろう。

 

 「よくそんな悪口がポンポン出るなあ…たまには褒めてくれてもいいのに。ほら、これあげる」

 僕はバッグから猫屋で買った包みを出した。

 「え、私…に?」

 「自分の誕生日ぐらい覚えておきなよ、明日だろ?本当は明日渡そうと思ったけど、これ以上悪口言われるの嫌だから先に機嫌直しておく」

 「本当に…お兄ちゃんありがとう!やっぱり大好き!」

 彼女は包みを抱きしめ、嬉しげに僕を見つめた。

 「そんなに大げさにしなくても…毎年、お前の誕生日プレゼントはあげてるじゃないか」

 「うん…お兄ちゃんは、私の誕生日を必ず覚えててくれてるよね、いつも、ありがとう」

 僕は、妙な照れくささを感じ、窓の外を見ながら呟いた。

 「なんか、黒い雲が出てきたね…夕立かもしれない、早めに帰ろうか」

 「そうだね…あの雲はにわか雨が降る感じの雲だね」

 僕は彼女を促し、店を出た。しかし、既に外は暗くなり、夕立前特有の湿った空気が辺りを包んでいる。

 「すぐ降りそうだね…お兄ちゃん…」

 心配そうに彼女が呟いた。今日の天気予報を見て、雨は大丈夫だろうと僕たちは傘を持たずに出てきている。

 「仕方ない…、あそこに行こう。昔遊んだ秘密基地、テトラポッドの中なら雨宿りぐらいできるよ」

 「そうだね、わかった!走ろう、お兄ちゃん」

 ポツポツと大粒の雨が落ち始めている中を僕らは走り出した。昔、よく遊んだ、テトラポッドへ。

 雨のせいで、焼けたアスファルトが饐えた匂いを放っている中、僕たちは迷路のようなテトラポッドの中を、雨で濡れない所を探し、下へ下へと潜りながら進んでいく。

 いつのまにか雨は激しく降りだし、二人の服を濡らしていた。僕たちは、やっと雨が遮れるテトラポッドの隙間に入り込み、座り込んだ。

 「お兄ちゃん、寒いよ…」

 彼女は、歯をカチカチといわせ、震えながら僕に寄り添ってきた。どうやら急な気温の低下と濡れたせいで、身体が冷え始めたらしい。

 彼女は不思議な瞳と表情で僕の方を向き、僕の首に腕を回した。

 「抱きしめて…いつもみたいに…強く…お願い…」

 そう言うと彼女は、僕にしがみつき、唇を寄せた。僕は、彼女の唇をいつものように迎え入れた。

 

 彼女の母は当然叔母だが、父は…、本当の父は僕の父だった。母が僕を身ごもっていた時の、叔母と父の、ただ一度の過ち、それが彼女だった。

 叔母はなかなか子供に恵まれなかった。叔母夫婦はもしかしたらと検査をしたところ、夫の無精子症が発覚した。

 叔母は子供が好きで妊娠を熱望していたので相当ショックだったらしい。離婚することも考えたそうだ。

 しかし夫への愛情から思い直し、当時、出来うる限りのあらゆる不妊治療を夫婦で行った。しかし、恐らく夫の無精子症は、現代の医学では治らないだろうという、医者の残酷すぎる結論が出てしまった。

 叔母はとうとう子供を諦め、夫と二人の生活を選んだ。

 そんな頃、僕の父と母が結婚した。当時の叔母としては、子供が出来ない淋しさを紛らわすために、僕の父母と遊びたかったらしく、二組の夫婦はいつも一緒に遊び歩き、とても仲が良かった。

 ある日、僕の母は、夫婦二組で食事をしている時に、急に吐き気を催した。驚いた叔母は慌てて介抱したが、母は笑いながら大丈夫だからと返し、自分の妊娠を告げた。

 叔母夫婦は母の妊娠を祝福し、自分たちの甥か姪が出来たことを素直に喜んだ。

 叔母の、僕の母への思いが、白から黒く染まってきたのは、いったいいつの頃からなのだろうか。

 日に日に大きくなっていく母のお腹のスピードと、叔母の、母への思いが祝福、羨望から嫉妬、憎しみに変わったスピードは、ほぼ同じだったのだろうか。

 叔母は母をいたわり、お腹の赤ちゃんに何かあったら大変、と家事を手伝った。そこには確かに、本当の姉妹愛と、出てくる子供への愛情はあったはずだ。

 だが、自分には赤ちゃんが出来ない、いや、自分が出来ないのではなく、夫のせいで出来ないことが、だんだんと腹立たしくなり、母への憎しみと嫉妬が芽生えてしまったのだ。

 母の臨月が間近になった頃、叔母夫婦は母を励まそうと四人でホームパーティーを開き、無事の出産を祈った。

 父と母は、叔母夫婦の優しく、温かい心遣いに感謝した。姉妹とはやはりいいものだと。

 父の乾杯の音頭でささやかなパーティーが始まり、母以外はワインを飲み、叔母の手料理に舌鼓を打った。

 母はお腹の子のために早めにその場を切り上げたが、叔母夫婦と父はまだ酒を飲んでいた。

 父は、これかから生まれてくる子の将来を語り、嬉し気に杯を干した。

 叔父はニコニコと笑って聞いていたが、同じように話を笑顔で聞いている叔母に対してすまなさでいたたまれなくなったのか、父より杯を重ね、テーブルに突っ伏した。

 父が叔父を介抱し、客間へと運びリビングに戻ってくると、叔母が一人座っていた。視線を宙に彷徨わせ、手酌でワインを飲んでいる叔母の姿に父は驚き、いったいどうしたのかと尋ねた。叔母は、うつろな目を父に向け、自分たち夫婦にはどうやっても子供が出来ないことを話し始めた。

 そして、子供が出来た自分の姉に対し、どうしようもない憎悪を感じてしまい、さらにその憎悪を感じる自分が嫌になり、何もかもを捨てたくなる時がある、と苦しい胸の内を吐いた。

 父と叔母の間に、どんな心の動きがあったかは分からない。

 酒による自制心の欠如、父の義妹に対する哀れみ、叔母の義兄に対する甘え、何もかもすべてが重なってしまったのだろう。

 そして、皮肉にもその不貞の証拠が、叔母が熱望してやまなかった子供という形になってしまった。

 叔母は夫と姉への罪悪感はあったものの、念願の子供を産むことを選び、離婚覚悟で生きる決心をして、夫に子供が出来たことを告げた。

 もちろん、子供の父親は誰かという事は一切伏せていた。

 彼女の父は、叔母の裏切りと、自分の病気に悩んだが、それでも叔母を責めず、子供が出来たのなら、それは自分たち夫婦の子であると思うようにした。

 しかし、子供の顔を見ているうちに辛くなったのだろう、自ら死を選んでしまった。

 僕の母は、この出来事に嘆き悲しみ、哀れな妹と子供を引き取った。自分の夫と妹の、不貞の子であることを知らずに…。 

 父に、どれぐらいの悔恨と罪悪感があったかは、僕には想像し得ない。ただ、僕が中学二年の時、母には話していない叔母とのこと、そして叔母の娘である彼女が自分の子であろうという事を僕に話し、彼女を妹としてこれからも大事にしてあげて欲しい、と言った。

 だが…もう遅かった。可愛い従妹は、いつしか恋人になっていた。早熟な僕たちは、中学一年の時、結ばれていた。このテトラポッドの中で…。

 

 「お兄ちゃん…好き、大好き…愛してる…離れたくないよ…」

 

 僕は、父から彼女が妹だと聞かされた時、絶望し、父を、叔母を恨み憎んだ。

 従兄妹だから結婚できる、そう思っていたし彼女もそうだった、だから愛し、抱き合ったのに…。

 それから僕は彼女をなるべく避けるようになった。好きでもない女の子と、付き合いと別れを繰り返した。彼女に、こんな僕を嫌いになって欲しいと願った。

 ある日、彼女は僕たちの秘密基地、テトラポッドの中に僕を呼び出し、泣きながら詰った。

 嫌いになったの、酷いよ、私はこんなにお兄ちゃんが好きなのに…私は、お兄ちゃん無しでは生きていけない、と…。

 彼女の眼から涙が溢れ、僕の袖を強く掴み、絶望に苦しむ姿が痛々しかった。

 僕は、そんな姿を見て、死ぬほど辛い事を彼女に言わなければならないことを、この時悟った。

 僕は、従兄ではなくて実の兄であることを、お前のことは死ぬほど愛している、だけど、結婚は決して出来ないことを、そして僕たちは取り返しのつかない、大きな過ちを犯してしまったのだと。

 彼女は、僕の告白を聴くと、それまで泣きじゃくり震えていた身体が止まり、不意に泣きやんだ。

 そして、顔を上げると、何とも言えない不思議な微笑を僕に向けた。

 「私は…構わないよ。私を愛してくれるなら、彼女作ってもいい、誰かと結婚してもいい、でも、私はお兄ちゃんから離れないよ…」

 彼女は僕にすがるように抱きつき、長い口づけをした。

 そして、一枚一枚、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。まるで挑発するように…。

 そして、僕は魅入られるように、また、獣になった…。

 

 雨が上がり、晴れ渡った空と夕日が沈みかけた海を、僕たちはテトラポッドの隙間から、抱き合いながら見ていた。

 彼女は甘えるように僕の唇を舐めた後、胸に顔を埋め、そして呟いた。

 「もう、また彼女なんか作ったら泣いちゃう…」

 「彼女を作ってもいいんじゃなかったっけ?」

 「やっぱりやだ…」

 「わがままだなあ」

 「だって…結構我慢してるんだよ。でもやっぱり耐えられないよ…。お兄ちゃん、そんなに彼女作りたいの?」

 「そんなこと無いよ…」

 「じゃあ…これからは、私だけだよ…」

 「わかった…」

 「ねえ、お兄ちゃん、前にね、私たちが実は兄妹だって、テトラポッドでお兄ちゃんが言った時…、私たちが抱きあった後、お兄ちゃん、ボソッと『僕たちはテトラポッドみたいだな』って言ったよね?あれってどういう意味だったの?」

 「ああ、あれはね、僕たちって、先輩と後輩で、いとこで、兄妹で、そして、恋人…、テトラポッドの突起みたいにさ、四つの面、というか、顔があるなあって思って…顔が四つ…何か悪魔みたいだな、って、ふと、思ったんだ」

 「そっか…もしかしたら、本当に悪魔かもね…」

 

 それから、秘められた僕たちの関係は続き、より深く、強くなっていった。

 僕と彼女は、一年違いで二人とも同じ東京の大学に行き、一緒に住んだ。

 僕たちの関係を知らない親たちは、二人が一緒に住むのなら安心だと喜んだ。

 その後、僕は東京の会社に就職し、一年後彼女も就職が決まった。

 そして、自分たちで生活が出来ることを確認した後、二人で話し合い、敢えて悪魔の選択をした。

 彼女は予想通りすぐ妊娠し、両親と叔母に、僕と彼女は結婚して子供を育てていく、ということを告げた。

 何も知らない母は喜んだが、父と叔母はうなだれ、狼狽した。

 しかし、父と叔母は、その場で僕たちに何も言わなかった、いや、言えなかったのだろう。

 翌日、父は僕を呼び出し詰った。しかし、僕は、父に言われる前にすでに彼女と関係があった事、そして、彼女は実の妹であることを知った上で僕を愛し、今に至ったことを話した。

 激昂し、堕胎を迫る父に対し、僕は冷ややかな目で言った。原因は貴方だ、もし、叔母から迫ったにせよ、男が受け入れなければ体の関係が出来る事は無い、と。

 急所を突かれた父は、一転、泣きながら僕に謝り、自分が悪いことは重々分かっている、しかし何とか堕ろして欲しい、と土下座までした。もちろん僕はあっさりと断った。これは、僕と彼女と、そして貴方と叔母の業であり、敢えて選んだのだ、と。

 そして彼女が安定期に入った時、父は死んだ。原因は狭心症だ。

 元々心臓が悪かった父は、寝ている時に発作を起こし、病院に運ばれた時には既に遅かったらしい。父の心臓は大きなショックとストレスで発作が起こったのではないかと医者が言っていた。

 叔母は父と同じように、妊娠が発覚してから彼女に堕胎するよう頼み込んだらしい。そして彼女は僕と同じように、叔母を冷たい目で見返し、何で堕胎しなければならないのか理由を言って欲しい、と叔母に迫った。

 彼女が何も知らないと思っていた叔母は、今は言えないがとにかく堕胎して欲しい、悪いようにはしないから、と狂ったように言ったそうだ。

 やがて叔母は、腹の子供が安定期に入ったことと、父の死を目の当たりにしたことで心が病んだ。

 叔母は睡眠薬を大量に飲み、海辺の家があった近くの堤防から海に飛び込んだのだ。

 たまたま、その海に落ちるところを釣り人が見て助け上げたものの、もう手遅れだったらしい。

 亡くなる直前に、赤ちゃんが…、と譫言のように言い残したそうだ。

 そして母は相次ぐ死に憔悴し、入院した。

 僕たちは、親たちの不幸を、冷然と受け流した。多分こういうことになるだろう、と分かっていたからだ。

 そう、僕たちは、四面の悪魔になっていたのだ。

 しかし、後悔はしてない。

 なぜなら、僕たちは悪魔かもしれないが、彼女の腕の中でスヤスヤ眠る赤ちゃんは、紛れもなく、僕たちの天使だからだ…。


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