第43話 写真と浴衣
お腹を満たした後は、いよいよ温泉街をゆっくりと散策することになる。
温泉の湯気が肌をほんのり湿らせ、周囲からは下駄の鳴らす軽快な音が聞こえてくる。
映像や写真では決して味わえない生の温泉の風景を肌で味わって、これが日本文化なのかとしみじみ思う。
趣のある料亭なんかも多く見つけることができて、夜とか雰囲気最高の時に食事とかしてみたいと思うけども、それよりも旅館のご飯が楽しみだということで今回はパスとした。
また、次に卒業旅行なんかでもう一度来た時に行ってみるのも悪くない。そんな風に思う。
全体的に落ち着いた感じの空間は、とても好ましいものだった。
「ほんと良い雰囲気よね。若い人もいるけどマナーがちゃんとしてる」
涼華がそんな風に言う。
確かに、自撮り棒を振り回して周囲に迷惑を掛ける若者というのは観光地に付きものだけど、ここには自撮り棒の影すら見えなかった。
写真を自撮りで撮る若者も、人が少なくて映えるスポットを頑張って探し、あまり腕を伸ばさないようにして撮影を楽しんでいるように見える。
「温泉、綺麗だもんな」
「よね。SNS映え狙いじゃないけど、絶対に反応がたくさんくる」
エメラルドに輝くお湯は、まさにファンタジー世界の情景そのもの。
ビルや田畑に囲まれた人間からすると、写真でも良いから見たいと思うことだろう。
実際、俺も授業期間中はヨーロッパの自然を写真で見て癒やされていたことがあるし。
「どう? 写真撮る?」
「いいかもな。上げはしないけど」
「あら意外。どうして?」
「ツーショットなんて上げてみろ。俺帰ったら殺されるぞ」
何度も言うが、涼華は美人だし声も良い。
リアルでもネットでも大人気であって、そんな涼華と二人きりで温泉旅行など、殺害の動機としては充分すぎる。
ふふっ、といった感じで笑った涼華は、ずいっと顔の前にスマホの画面を差し出してくる。
「こんな風に?」
「ん? そうそうこんな風に……おい待ていつ撮った!?」
「盗撮されて気づかないとか鈍すぎるって~」
涼華のアカウントに投稿されていた写真。
それは、バスの中で肩により掛かり眠る俺の寝顔だったり、足湯で蕩けながら饅頭を食べている俺だったりと、どう考えても二人で温泉旅行に来ました感を押し出しているものばかりだった。
いや、違った。来ました感じゃなくて、写真なしの投稿で二人で旅行とかしっかり呟かれているわ。
案の定、涼華の投稿のリプには信者がたくさん現れていて、「藁人形と五寸釘を売ってる場所募集」だの「夜に防犯カメラがない場所どこだ?」だの、藁人形と五寸釘を売ってるネット通販のURLなんかがたーっくさん付いていた。
以前のラーメン投稿の一件で俺のアカウントも信者にバレているから、DMには怪文書や結婚を祝う祝文なんかが大量に送りつけられて、というか結婚はしていない。
「おいおい何してくれてるんだ……」
「いいじゃないの。炎上したとして、ダメージ受けるのは私だけなんだし」
「どう見てもヘイトの矛先が俺に向いているように見えるんだが?」
これはマズいぞ。しばらくの間は吾郎以外の男子からは逃げの一手に徹するとしよう。
まだ笑い続ける涼華は、また一枚温泉を背景に俺とのツーショットを撮って、その写真を俺のスマホへと送ってきた。
「ほら、もうこうなったら写真たくさん投稿して楽しまないと損よ。ほらほら早く」
「うーん、まぁ、そっか」
中途半端に燃えるより、灰も残らない完全焼却が潔い。
もう細かなことを気にせずに、温泉地の風景を何枚か写真に収めてネットの海へとばらまいてやった。
いいねもリプも一瞬で付いて、血涙を流す男たちの姿が簡単に想像できておかしく思う。
と、涼華が遠くを見ていることに気づいて、スマホをしまいその視線を追いかける。
見間違いじゃなければ、涼華が見ているのは若い二人組の女性だった。
華やかな浴衣を着て、和風美人といった言葉を全身で表している。
「ねぇ。結翔はさ、ああいう浴衣姿の女子とかどうなの?」
急にそんなことを尋ねられた。
答えはもちろん、というか俺以外にも男ならほぼ全員が同じ事を言うと思う。
「そりゃあ、可愛いと思うけどな。見惚れると思う」
「ふーん、そっか」
一瞬の沈黙が流れる。
そして、柵に手を置いていた涼華がバッと離れ、来た道を引き返し始めた。
「え、おいどこに行くんだ?」
「一回旅館に戻る。浴衣に着替えてくるから、あんたは自由に歩いてて良いわよ」
そう言ってさっさと旅館の方に戻って行ってしまった。
たしかに旅館には浴衣の無償貸出のサービスがあった。
浴衣姿の女子を見て、涼華も着てみたくなったんだろうか。
その気持ちはよく分かる。俺も、京都とか行ったら無性に忍者の格好したくなるし、それと同じ――、
「な、わけないか」
でも、涼華の浴衣姿は正直楽しみではある。
戻ってくるのを待つんだけど、けど、言われたとおり適当に歩くのも悪くないわけで。
「っし。行くか」
あまり遠すぎない近場を散策していようと思い、賑やかな場所へと歩いていく。
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