第40話 温泉街に到着

 高速バスに揺られることおよそ三時間。

 時間は到着予定時刻での計算だから正確なところは分からない。着くまでずっと眠っていたのだから。

 肩を揺られ、薄らと目を開けると、目の前を黒いダイヤのような美しい髪が横切った。


「もうすぐ着くわよ。そろそろ起きて」

「ん。あざっす」


 起こしてくれた涼華にお礼を言い、軽く腕を伸ばして体を解す。

 車内案内でもうすぐ到着の旨が伝えられ、バスが最後のトンネルを抜けた。

 そして、窓の外の景色を眺めて涼華と二人揃っての歓声を上げる。


「おぉ! すっげぇ!」

「異世界じゃん! 日本とは思えないんだけど!」


 パンフレットである程度は知っていたけど、それでも実際に見ると感動が押し寄せてくる。

 町の至る所に張り巡らされた水の通り道には絶えず天然のお湯が流れ、湯気が町を覆っている。

 お土産物屋やホテル、レストランにちょっとしたイベント会場やアトラクションを提供するお店が軒を連ね、大勢の観光客で賑わっていた。

 足湯に大浴場、他にもいろんな温泉があってたくさんの楽しみ方ができると思う。

 昔ながらの温泉街は古風な感じがして、東京と比べて劣るといっても地元も割と都会寄りだった俺たちにとっては新しい感覚だった。

 高速道路を降りるとすぐにバスの乗降場があった。

 敷地内に入って停止に向けてゆっくりと徐行するバス。


「さて、行きますか」


 完全に止まっていないが、涼華が席を立った。

 俺たちの席は前の方だったから、早めに動くとすぐに降りられるという考えだったんだろう。

 でも、バスの車内案内で完全に止まってから席を立ってと注意されているように、走行中はどれだけ鈍速でも危ない。

 現に、停止した際の揺れで涼華がバランスを崩してこちら側によろけてきた。


「きゃっ」


 咄嗟に手が出て涼華の体を支えてやる。


「ほれ、大丈夫か?」

「あ、うん……」

「気をつけろよ。完全に止まってからじゃないと危ないから」

「ごめん」


 次から気をつけてくれるとそれでいいから、深くは何も言わない。

 後ろの席では家族連れや一人旅らしき人、めちゃくちゃ幸せそうなカップルや夫婦らしき人たちが次々と席を立っていた。

 タイミングを間違うと長蛇の列に阻まれてずいぶん遅くに降りることになってしまう。

 それは涼華も避けたいと思ったのか、素早く通路に出て降りようとした。

 だが、最前列近くになると急に止まる。

 どうしたのかと思って涼華が見ている先を見ると、最前列の席から気品溢れる老夫婦が立ち上がろうとしていた。


「お先にどうぞ。ゆっくりで大丈夫ですから」

「おやおや。親切にありがとうねぇ」


 お婆さんがゆっくりと頭を下げ、お爺さんと一緒に仲良く手を繋いで降りていく。

 それを見届け、俺たちもバスから降りた。

 運転手さんからもお礼を言われるが、そんな大したことはしていないと涼華は言っている。

 俺からすると、列に誰かを入れてやるなんてそうそうできることではないし、大したことだと思うんだけど。

 涼華のこういう気遣いができるところは本当に好ましく思える。俺もこんな風に行動に移すことができる人間になりたいように思う。

 荷物を受け取り、早速軽く町を見て回ろうかと二人で話す。

 そんな時、後ろから声が掛けられて、振り向くとさっきの老夫婦がぺこりと会釈をしてくれたから、俺たちも同じように返す。


「さっきは本当にありがとねぇ。これ、よかったら」


 そう言いながら、お婆さんは諭吉さんを一枚ずつ俺と涼華に差し出してきた。

 さすがに受け取るわけにはいかず、全力で手を横に振りお断りする。


「いえいえそんな! したくてしたことですからお礼なんて良いですよ!」

「でも……」

「俺が言うのもおかしいんですが、ほんと気にしないでください。それに、このお金でお二人が美味しいものを食べて笑顔になった方が、俺たちは嬉しくなるんで」

「そ、そうかい?」

「婆さんや。あんまりしつこいのはよくないと思うぞ。……二人ともありがとう。親切な彼女さんと優しい彼氏さん、旅行を楽しんでくださいな」


 軽い会釈で老夫婦は旅館がある方へと歩いて行く。

 その背中からでも、あの二人の間には特別な繋がりと過ごしてきたかけがえのない素敵な時間があることが容易に窺える。

 あんな風になれたら、なんて思うくらいには眩しい。

 にしても、彼女と彼氏か。やっぱりそういう風に見えるのだろうか。


「涼華が彼女ねぇ」

「なによ、その不満そうな言い方は」

「いや、想像できないなって」

「まぁ、私たちは恋人っていうよりは親友って感じだものね」

「だな。でも、これが端から見たら恋人なのかって」

「かもね。まっ、私たちは私たちよ」


 そして、クスッと笑った涼華が俺の肩を強く叩いて歩き出す。


「でも、私はいいけどね。あんたが彼氏でも」

「は?」

「なんでもなーい。ほら、行くよ!」

「あ、おい! 荷物忘れてるぞ!」

「それくらい持ってきてくれてもいいじゃん! よろー!」


 ったく。雑用係じゃねぇんだぞっと。

 ただ、少し時間をおくと、涼華が口走ったことが脳内で反響してドキッとした。

 体が火照り、頬が紅潮したように思うのは、温泉の熱気で体温が上がったからだということにしたいし、そういうことにしておこう。

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