第32話 美味しい夕食

 湯船に二人で浸かるのはさすがに狭すぎた。

 本音を言えば、長風呂が好きな俺はもっとゆっくり浸かっていたかったけど、瀬利奈にあまり迷惑をかけるわけにもいかないからここら辺であがることにする。

 密着した状態では瀬利奈の柔らかい体が直に感じられ、お互いに触れてはいけない部分が触れ合って気恥ずかしくなったというのも理由だけど。

 先に風呂を出て体を乾かし、服を着てリビングで瀬利奈を待つ。

 しばらくすると瀬利奈も風呂から上がってきたから、完成したご飯ということになった。

 パイに包まれたビーフシチューにサラダ、冷凍食品のグラタンまで用意されていた。

 あまりにも豪華な料理に思わず目が点になる。


「結翔くんどうしたの? 固まってるよ」

「ご馳走出てきてビックリしてる」


 何度も言うが、俺は今日いきなり押しかけたみたいなもの。

 こんな豪華なもの出されたらそりゃあ驚くってものよ。

 心の底から感謝を絞り出して、早速スプーンでパイ生地を破った。

 サクッとした気持ちのいい感触と共に、その先にあるトローッとしたシチューをすくい上げる。大きめのお肉がパイと一緒に乗っかっていて、文字通り喉を鳴らしてしまった。

 勢いよくスプーンを口に入れると、熱々のソースが舌の上に広がって熱い。そして痛い。


「は、はふっ!」

「ほらほら。熱いから気をつけてね」


 瀬利奈に渡された水で口内の応急処置を行う。

 熱いソースとひんやりしたお水ですっかり口も温度に慣れたと思うから、また同じように一口分をスプーンですくって食べる。

 肉の風味が口いっぱいに広がって、サクサクのパイ生地はここがお店なのかと思うほどに美味しい。


「ふふっ、結翔くん、目が輝いてる」

「え、そう?」

「うん。美味しいものを食べてるときは目を輝かせて幸せそうな顔になるんだよ。結翔くんのその顔が好きで、私はいつも頑張るんだ」

「気づかなかった。でもこんなの食べたらそりゃ目も輝くさ」

「嬉しいこと言ってくれるね。ありがとう」


 お礼を言いたいのは俺の方なんだけどな。

 ビーフシチューは一旦置いておき、次に豆腐と野菜のサラダに手を付ける。

 と、思ったときに携帯電話が震えた。誰かから電話がかかってきたのだ。

 大方相手は予想ができる。きっと涼華だろう。

 先に自分から電話をかけておいて中々酷いとは思うんだけど、今は食事中。

 電話に出るか少し迷っていたら、瀬利奈がスプーンを咥えたまま可愛らしく首を倒す。


「出ないの? 私は気にしないけど」

「そっか。じゃあ、ちょっと電話する」


 瀬利奈に断りを入れて席を立ち、廊下に出たところで発信者を確認もせずに通話ボタンを押した。


「もしもし涼華? 悪い、今ご飯食べてて……」

『あ、それは失礼しました。こちら警視庁なのですが……』


 はいすっごい恥ずかしいことやらかしました。警察の方ごめんなさい。

 とにかく謝ってゆっくり話を聞くと、無くしていた俺の鍵が見つかったということで、わざわざ電話をかけてくれたそうだ。

 なんでも、葛谷と揉めた公園を散歩コースにしていた犬が咥えて持っていってしまっていたらしい。飼い主さんがそれを見つけて警察に届けてくれたんだそう。

 実を言うと葛谷にパクられて合鍵をこっそり作られている可能性も考えて怖かったんだけど、そうじゃなくて本当によかったと思う。合鍵は涼華が勝手に作っていた前科があるからマジで怖い。

 今日はもう遅いから、明日取りに行くことを伝えて電話を切った。

 と、それと同時にまた電話が鳴る。

 次はちゃんと発信者を確認すると、今度こそ涼華からだった。


『もしもし結翔? さっきはごめんね。で、何の用?』

「あー、鍵を無くしたから涼華に渡してた合鍵を借りようと思ったんだけど……」

『え、それ大変じゃん! 分かった行くよ』

「あ、大丈夫。鍵も宿も解決した?」

『? まぁ、それならいいんだけど……』

「ほんと心配させてごめん。ありがとー」

『うん。おやすみー』


 短い通話で電話が切れた。

 すぐに残りの美味しい食事にありつこうと席に戻ると、瀬利奈がグラタンを食べながら電話について聞いてきた。

 別に隠すものでもないし、正直に鍵が見つかったと伝える。


「そっか。よかったね」

「ああ。明日には家に帰れそうだよ」

「……もう少しうちにいてくれてもよかったのにな」

「それはさすがに悪いって。でも、そう言ってくれるのは嬉しい」

「結翔くんならいつでも来てくれていいんだからね? その、元だけど恋人だったんだし……」


 悲しげな表情でそんなことが呟かれる。

 俺はそれにどう返していいのか分からなくて、ひとまず無言で頷くしかできなかった。

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