第7話 バイト先の天使な先輩

 冬期休暇一日目からバイトを入れているとはなんと勤勉なことでしょうか。

 などと、少しふざけたことを言ってみた。別れてからはずっと体調不良を理由にシフトの休み届を出して休んでいたから全然勤勉なんかじゃないんだけど。

 俺が働いているのは本屋だ。文房具やお菓子や本以外にもいろいろ売ってる何でも屋みたいな場所だけど。

 さて、木曜の午前中。学生はそろそろ休みかもしれないが、世間一般的には平日だ。社会人の皆様は立派にお仕事をこなしている。

 だから、この時間帯のお客さんは主婦とかおばちゃんが多い。パズル雑誌や婦人誌がたくさん売れる。

 朝一番のレジラッシュをどうにか捌ききり、コミック立ち読み防止用のテープを巻く作業を始めることにする。


「なんか疲れた様子だね結翔君。ずっと休んでいたことと何か関係ある?」


 透き通るような綺麗な声が掛けられた。

 今日入荷した雑誌の品出しを終えた先輩がレジに入ってくる。近くの大学に通う白田美愛しろたみあ先輩だ。

 年は俺よりも一つ上。大和撫子、といった言葉がよく似合う清流のように流れる綺麗な黒髪。お淑やかさを醸し出す落ち着いた雰囲気は本人の力か着ている服の効果か。

 鋭くも攻撃性を感じさせない優しい瞳は心配そうに俺の顔に向けられている。


「いや、まぁ少しいろいろありまして」

「そっか。あまり無理しないようにね」


 白田先輩は本当に優しい。天使よりも慈悲深いとすら思えてくる。

 積み上がった新入荷のコミックの束を取り、白田先輩も俺の前でテープを巻き始めた。黙々と作業を続ける。

 お客さんが中々レジに来ないちょっとした休息の時間が流れる。


「……あの、さ。結翔君」


 不意に白田先輩が困ったような顔で話しかけてきた。


「どうしました?」

「えっとね……その……最近、瀬利奈ちゃんとは上手くいってる?」


 そっか。先輩はまだ別れたことを知らないのか。

 隠しているつもりはないし、別れたことを伝えよう。


「別れましたよ。ついこの間」

「え……まさか、理由は瀬利奈ちゃんの浮気?」

「は? 浮気?」


 何だそれ聞いてない。あれだけ俺のことを罵倒してきたくせに本当は自分が浮気していたのか?

 だとしたら絶対に許せない。何より白田先輩に申し訳ない。

 実を言うと、白田先輩は瀬利奈と同じ大学なのだ。瀬利奈との出会いも、お客さんとして店に来て俺のことが気になった瀬利奈が白田先輩に頼んで場を整えてもらい、カップル成立したという経緯がある。

 だから、白田先輩は俺と瀬利奈を結びつけたキューピッド的立ち位置の人なのだ。

 それゆえに瀬利奈がそんな身勝手なことをしていたのなら許すことはできず、気づけば詳細を尋ねていた。


「どういうことですか?」

「実はね、昨日、瀬利奈ちゃんが見たことない金髪の男の子とホテル街がある方へ歩いて行くのが見えて……見間違いかと思ったんだけど……」


 男の正体が一発で分かると面白いものだ。浮気じゃなくて、別れてすぐに付き合った相手だしそれなら瀬利奈の勝手だから口は挟まない。


「それ、葛谷って男です。俺の後輩だし、付き合い始めたのは別れた後で瀬利奈は浮気してないと思いますよ」

「そうなんだ。にしても、葛谷君か。ふふっ、なんだかピッタリな名前……あ、ごめん違うの!」


 慌てて訂正する白田先輩に思わず笑ってしまった。

 白田先輩は時々こうして無自覚に毒を吐くときがある。それがいつも的確すぎてつい笑ってしまうのだ。

 クズな葛谷。確かにピッタリな名前だ。見ただけで看破する白田先輩はさすがです。

 頬を朱に染めた白田先輩が俯いて作業に戻る。その姿も可愛い、推せる。


「いいですよ。もっと言ってやってください面白いんで」

「うぅ……人の悪口で気分を晴らすのはあまり良くないと思うな」


 ド正論をぶつけられてしまった。けど、葛谷だしまぁいいと思う。

 そんなことを話していたら、ちょくちょくとレジ周辺にお客さんが集まり始めた。もうすぐレジラッシュの第二波が来るだろうと予想する。

 というか、どうして一人が並ぶと一気に複数人が並び出すのだろう? もっとばらけてきてくれるとこちらとしてもひぃひぃ言わずに助かるんだが。

 俺と白田先輩の二人で次々とやって来るお客さんのレジを担当する。慣れてるとは言え中々に忙しい。

 お客さん全てを捌ききり、第二次レジラッシュを乗り切ると時間はもう一時だった。


「あ、じゃあ俺もう上がりなんで。お疲れ様ですお先に失礼します」


 メモ用紙とボールペンをポケットに仕舞い、後からシフトに入るパートさんのために引き継ぐ用の準備を整えてタイムカードを切ると、白田先輩が話しかけてきた。


「あのさ結翔君。その、瀬利奈ちゃんと別れたんならさ、もしよければ今度一緒にどこか遊びに行かない?」

「お、いいですね。休みの日に行きましょう」

「……っ! うん! また連絡するね!」

「お願いします。じゃ、失礼します」

「お疲れ様!」


 優しい笑顔に見送られて控室に入る。

 白田先輩と遊びに行く約束をしてしまった。大変なことだ。

 美人先輩と遊びに行けるとかご褒美です。今からその日が楽しみすぎる……!

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